2010/11/30

アズキ…アズキ!!


新しいおトイレでも3回おしっこできて、
先住猫のワサビともだいぶ慣れて、少しプルプル震えても向かい合って座る事ができて、
食欲も旺盛で、たまにウンチを失敗するアズキ。

アズキが先日、歩行困難になり、痙攣とひきつけのような症状を見せた。
これは変だ!ということで、
日曜日だったが緊急で検診してもらった。
(動物病院の先生、大変ありがとうございましたm(_ _)m)

診察台の上で、力を振り絞りながらシャーっといっているアズキが痛々しい・・・
鎮静剤を2本、小さな身体に打つと、じょじょに静かになった。

私達には何をする事も出来ず、
珍しく、連れ合いが涙ぐんでいる。
私が勝手に拾ってきた子猫で、当初は不満そうな顔も見せていたけれど、
3ヶ月経って、愛着がわいてきたのだろう。
別れ際、小さな小さなアズキの額を何度もさすっていた。

3ヶ月・・・この世に生まれおちてまだ3ヶ月。
私達はこの子に何か良い事をしてあげれたのだろうか?
ひょっとしたら、私自身の日頃の行い、心構えが悪かったせいではないだろうか?因果応報というではないか・・・などと悶々考え、何をやっても、何を聞いても、何を見ても、頭の事はアズキの事ばかり。
「声らしい声」を聞かぬまま、
立派に成長したアズキの精悍な姿を見ぬまま、
このまま終わりたくはない。


今は祈るだけの日々が続いています。

2010/11/19

枯れ果てるまで生きてほしい

先日の仕事の帰り、ふらっと本屋に立ち寄りました。
何気なく写真集等のコーナーに近寄り、ふと下段に目をやると、
「チロ愛死」という写真集が。

「愛しのチロ」は写真家 荒木経雄氏の言わずと知れた有名な本ですが、
そのチロが?

中を見て、閃光に射抜かれたような衝撃を受けました。
今にも天国へ召されようとしている、痩せ細ったチロの姿に衝撃を受けた、というのもありますが、
それよりも何よりも私の胸に日々纏わりついて離れない、
愛猫の死、そのものがそこにありました。

愛されて愛されつくして召される猫の姿
ガリガリに痩せて今にもその小さな鼻息が聞こえなくなりそうなのに
瞳はずっと月のように輝いていて
その神々しい月光の中で
いつまでも照らされていたいと思う


胸が詰まって思わず本屋の中で涙しそうになり、目を何度もパチクリする自分。
それでも鼻水が出てしょうがないので、
鼻をすすりながら、呆然とその写真集を手にしていました。

可愛らしく愛くるしい猫を被写体にしたハートフルな写真集は沢山あります。
でも、こんなに胸に迫り私を一瞬にして何処かに連れ去る写真集は今までありませんでした。
何よりも、自分の愛猫達の姿をそこに同一視してしまう。
いつか来る死を頭では理解しつつも、感情が許さない自分への、
運命から突き付けられた真実の姿にも感じました。

私も、私自身の身そのものにもいつか訪れる、死。
たかが猫といわれても、私にとっては家族同然の存在です。
その死を受け入れる自信が今でもありません。
しかし、その写真集を見て、私も心の準備を、今からしておかなければ、
その時に、自分の心身に大洪水が起き、崩壊するのが目に見えてきます。

私は写真集を購入しようか迷いました。
が、その時は決断できませんでした。
と同時に、私は、いざ愛猫達の「死」に直面する時に、
やはり自分は耐えられないかもしれないと、
再認せざるをえなかったのでした。

写真家アラーキーの写真集なので、所々に官能的なページもありますが、
その少女や熟女のヌードと、
痛々しく切ないチロの姿が、
交互に網膜に飛び込む度自分の核心部が揺さぶられ、
そのエロスとタナトスのコントラストが眩しく、繊細で、どうにも悲しすぎて、
愛猫の「死」をより鮮烈に想像させるのでした。

その日の帰り道、写真集を手にできなかった私は、
脳裏に焼きついたそのコントラストを心の中でずっと咀嚼しながら、
涙を流し、鼻をすすってトボトボと歩き、
家にかえって、クロチビのアズキと、美猫のワサビの背中を撫でながら、
やっぱり私はその時、耐えられないかもしれない、
と再再認してしまうのでした。
しかし、その命が燃え尽きて、枯れ果てるまで生きてほしい。
そしてその瞬間まで、ずっとずっと一緒にいさせてほしい、と心からそう思いました。

大切なものは、それらを多く持っている程、
失う時の悲しみも多く、深いものです。
家族も、友人も、そして愛猫達も、
いずれはお別れする日が必ずやってくる。
その時、辛くて耐えられない日々もやってくるだろうが、
それも含めて、私の生きている「人生」そのものの世界なのだと、
あらためて考えさせられた日でした。

2010/11/09

その時私は耐えられるだろうか

久しぶりに酷い風邪をひいてしまいました。
病気になると、事更に心細くなるものです。

いつもいないはずの私の存在を不審に思ったワサビはたえず私の傍にいます。
時々寄り添ったり、時々遠くから眺めてみたり・・・
病気で弱り切っている私にとっては、
言葉を話さない(ついでに看病や家事をしてくれるわけでもない)ワサビでも、
とっても大きく頼りがいのあるものになります。

布団で寝込みながら傍で無邪気な寝顔を放つワサビをみてふと心苦しくなりました。

この子が居なくなった時、果たして私はその寂しさ、苦しさに耐えられるだろうか・・・

動物は、私達より先に逝ってしまう運命であり、それは変えられない事実です。
それは頭で解っているつもりなのですが、感情がそれを受け入れようとしません。
その葛藤で、私は発作的に悩むことがあります。

布団に寝そべり天井を見ながら涙がうっすら出てきました。

体調の悪さは、心理的なものにも随分影響するというのは良く聞きますが、
ほんのちょっとの空想が、妄想になり、それに取りこまれてしまう様では困ります。

このように感傷的になりすぎるのは、
半ばこの憎き風邪菌のせいだろうと考え、
その日は寝る事に集中することとしました。