2014/01/29

ずっと、家族を待っている。

時が経つのは早いものだ。
最終公開日から、なんと1年も経ってしまっていた。
その間、私の生活には大なり小なり、変化があった。
それを記述するつもりはないし、必要も無いだろう。



寒い日々が続く。
我が家の猫達は、小さな電気ストーブの前に陣取り、
ぬくぬくと温まりながら、丸くなって眠っている。


今夜のニュースでは、久々に心が痛み、
治りきっていない傷に塩を塗り込むような思いがした。

厳寒の冬、福島の飯舘村。
2011年3月11日の原発事故で住民は避難を余儀なくされ、
残されたのは、家族同然のペット達・・・
今も家族の帰りを、ずっと、待っている。


映されたのは、一匹の犬。
避難先では動物を連れ込むことが許されなかった為、
大切な犬を連れていくことができなかった。

週に二回、様子を見に行く。
積雪で真っ白な景色、吐く息は白く、飲み水も凍る寒さの中で、
はちきれんばかりの「笑顔」(私にはそう見えた)を見せて駆け寄ろうとする犬。
とても甲斐甲斐しく、愛らしく・・・
雪の中、足は凍えて、体も小刻みに震えている・・・

別れ際に涙を見せる、老いた飼い主。
「できるなら連れて帰りたい」

犬もきっと、泣いていた。
涙を見せまいとして、顔を見せぬよう、陰に隠れたように見えた。
私にはそう見えてならなかった。

悪いのは、飼い主でも、もちろん残されたペット達のせいでもない。
悪いのは、あの日の原発事故。
そして、その「原発」を長い間許してきた、国。
私達・・・

だから私は、やはり原発を好きになれない。
その気持ちは今でもずっと、変わらない。


ぬくぬくと丸くなっている我が猫達を見て思う。
もしここが、ある日、居てはならない「強制避難区域」に指定されたら・・・
そうではなくても、地震等の災害で、住めないことになってしまったら・・・

避難先で「ペットはご遠慮ください」といわれてしまったら・・・

外でテントでもはって、この子達と過ごすのか?
可能であっても、長期的にみて現実的ではない。

では、「強制」の文字を恐れることなく、ここに居続けるのか?
いや、多分、ライフラインが止められて、経済活動の一切が無くなった町では、
食料にも水にもありつけなくなる。
そんな不安定極まりの無い中で、長く過ごすことはできないだろう・・・

あの原発事故により、断腸の思いで家族同様の動物達をおいてきた人々の思い、
残された動物達の恐怖、不安、悲しみ・・・

我が猫達も、私達の姿を追い求めて、毎朝毎晩、
涙無き涙を流し、
声にならぬ声を出し続けることだろう。
私自身も、怒りと悲しみと不安と・・・
それこそ、気が狂ってしまうかもしれない・・・


それでも、原発を続けなければならないのだろうか?
こんな悲しい思いを、そこいらに撒き散らしてまで。
それらは放射能と同様、見えないし、
人間は二つの目があっても、心の目で見ようとしなければ結局何も見えないから、
ほうっておけば、そのうち忘れ去ってしまうよ。
そういうことだろうか・・・
そういうことでいいのだろうか・・・

心に負った深い傷は、本当に実感をともなって痛むものだ。
心の目で見えた真実は、脳裏に焼き付き、消去も忘却もできない。
むしろ時とともに、より鮮明に蘇ってくることさえある。
それはとても苦しいことだ。

だがそれは、人が同じ過ちを繰り返さない為、その長き経験に基づいて、
人間自身に備わった、一つの重要な防衛本能なのかもしれぬ。




もうすぐ、都知事選。
一都民として参加し、
その行く末を、見守りたい・・・