大切なものは、やがてこの手のひらからこぼれおちる。
大切なものが多いほど、失うことへの恐れと悲しみも
それに比例して多くなり、深くなっていくように思う。
だからといって、大切なものが無くては生きていけない。
大切なもの=愛すべき存在があってこその人生だと思う。
愛すべき存在。私にとってはわさびとくるみ・・・猫二匹、この子達であり、
あさりから突然飛び出してきた、ピノという小さなカニであり・・・
5ミリほどの小さな小さなそのカニは、
オオシロピンノという隠れ蟹の一種。
アサリなどの二枚貝と共存しているらしい。
ほとんどの人は、自分達が食しようとしているそのアサリに、
そのカニが生きている事、その存在事態にも気づかないだろう。
でも、ピノは確かに生きていた。
アサリから飛び出した瞬間から、
7月14日のあの日まで、半年間生きていた。
あの小さな小さな身体で、キッチンの小さなシャーレの中で、
ずっと、たくましく、生きていた。
私は食事や洗い物などでキッチンに立つたびに、
ピノに話しかけた。
その愛らしさ、可愛らしさにどんどんと魅かれた。
今まで億劫だったキッチンでの作業が、ピノと会うことで、
楽しくなっていった。
ピノに会うことが、楽しみになっていた。
ピノとのそんな生活はずっと続くだろうと思っていたので、
ピノの飼育日記もつけはじめていた。
1年、2年・・・その命は、ずっと続くだろうと思っていた。
そんな矢先の、ピノの死だった。
7月はカニ座の月。
ピノは、夜空の星のひとつになってしまった。
抱きしめようにも、小指にもあまるほどの大きさだ。
私はピノを、小さな小瓶に入れて、
両手で包みこんで一晩、泣いた。
命や魂に大きさや重さという、物理的な概念はそもそも存在しないのだろうと思う。
ピノの魂は私の中で大きな存在となっていた。
それはカニと人間という種族の壁を越えて、
魂の触れ合いがあったという、何よりの証拠だった。
ピノの最期、私は珍しく海の夢を見た。
美しく広がる、清々しい海であった。
小波の音が優しく聞こえ、それは、幼い頃に見た海岸の風景にも似て、
心を優しく包み込むようであった。
私は、その後、強烈に海に行きたいと思った。
そして、ピノの死があった。
私はこの夢は、この子が見せてくれた、最後のメッセージだったのではないかと思う。
「僕の故郷だよ。素晴らしいところなんだ。」と。
そして「帰りたい」と。
その想いを思うと、私はとても切なくなる。
そして、できることは、彼の生まれ故郷の熊本の海には行けないが、
やはり、「海」に帰してあげることだろうと。
ピノ、今までありがとう。
君がいたから、私の半年間は、なんだかとても、キラキラしていたようだった。
それは水面の輝きのように。