Kyon {Silence Of Monochrome}

Kyon {Silence Of Monochrome}
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2011/06/23

サビちゃん、何処へいった?


くるみの綺麗な黄色の眼をみていて、ふと思い出した。
随分前、近所のホームセンターにブリティッシュショートヘアーのサビ猫が売られていた。
同じく黄色い眼で体系がわさびに似ていたものだから、
凄く親近感がわいて、そこへ行く度に、彼女の様子を見に行った。

サビという柄は、好き嫌いされるちょっと特殊な柄だ。

だから、そのサビ猫もなかなか売れずに行く度にディスカウントされ、
それを見る度、私は心を痛めた。

「なんとかしてあげたい・・けど10万円は高すぎる・・」

「命」の値段はいったいどういう理由でつけられるのだろう。
単に、私がペット業界について勉強不足ということもあるのだろうが、
私の心がどうしても、それを受け付けなかった。

10万円が次には8万円、その次には7万円・・・
彼女はどんどん月日を重ね、日増しに大きくなり、
もはや見た目は子猫ではない。でも、心はまだ甘えん坊の子猫である。
様子をうかがう度に、可愛いそぶりを見せてくれた。

いつか猫のボランティアの方が言っていた。
「日本では、まず1才以上の子は見向きされない。
子猫の可愛さだけを求めてきて、
それが無くなると途端に捨てる人たちもいる。

本当に飼いやすいのはむしろ1才ぐらいの子だし、
その頃には猫本来の性格もあらわれているだろうから、
飼い主さんとの不一致もおこりにくい」のだと・・・

ホームセンターにいたそのサビ猫は、
いつしか姿を消した。
最終的には半額になって、一匹だけ大きなケージに入れられていた。

姿がみえないとわかった時、私は不安になった。
ホームセンター等で売られているペットは売れ残ると、
ブリーダーさんのもとへ返されるか、
別のルートをたどる事もあると、以前聞いた事があったからだ。

別のルート・・・口にだすのも恐ろしい・・

どうか、嘘であって欲しい・・・

わさびに似た、お月さまの様な眼をしたサビ猫。
優しい家族を得られただろうか?
今でも、気がかりでしょうがない。
ただ、かなり昔の話で、それを調べる手立てもない。
願うしかない自分が、暗闇で途方に暮れている・・

個人的には、私はペットを飼うなら、
彼らを家族として迎え入れるなら、
保護施設や捨猫の様な「可哀そうな子達」を優先させようと決めている。
そして、命に値段がつく事が、どうしても自分の中で納得できない。
皆、私達と同じ「命」である事には変わりないのに、
人間だけが彼らに値段をつけられる程、優れているというのだろうか・・
彼らのディスカウントされる命を見る度に、私は悲しくなってくるから、
ホームセンター等のペット売り場には、もう、近づけなくなってしまった。

日本はまだまだ、ペット途上国だという。
今回の震災でのペットの扱いを見ていてもそれは感じる。

「人命が先なのに、ペットの事がもう心配で・・
泣いているなんて不謹慎だと思って、更に辛くなってくる・・
でも、心配で心配で、どうしようもないんです」
20キロ区域にペットを残してきてしまった女性の言葉が今でも耳に残る。
幸い、この女性は後日、愛犬と再会できた。が、
同じ思いをしている被災者の方は多いだろう。
「そんなこと、言わないで下さい!お願いだから・・」心で何度も思った。

20キロ区域の方の中には、飼い猫が心配で避難できず、
線量の高い場所に、危険を承知で、ずっと留まった方もおられたという。
私達夫婦は事あるごとに話す。
「わさびやくるみを、絶対に、おいて行けない。
家族だもの!
もし、そういう時がきたら、私達はここに残ろう・・・」


 いつか、動物も人間の命も平等だ!
と胸を張って言える国になって欲しい。
動物達の悲しい姿は、未来の私達の姿でもあるかもしれないのだから・・・

2011/06/21

ファミコン 以前と以後

小学生の頃、ファミコンが流行りました。
我が家にもいつしかファミコンがきて、最初は夢中になったものです。
ボンバーマンや、マリオブラザーズ・・・

しかし、私が違和感を感じ始めるのも、そう遅くはありませんでした。
友人同士で集まると、早速、ファミコン。
夢中で、皆で画面にくぎ付けになって、無言のまま・・

この「無言」が私の最初の気づきでした。
楽しいんだけど、何か、満たされていない。
会話したいのだけど、皆画面に夢中だから、話しかけても会話にならない。

時にはゲームの話になるけど、
それはあくまでゲームの話であって、
「その人」の話ではなかった。

「その人」の話・・例えば、どんな食べ物が好き、とか、
最近どんな本を読んで感動した、とか、
学校の勉強でここが悩みだ、とか、
先生の話や、家族の話、好きな人の話・・・

いわゆる生活に寄り添った、普通の話をしたかったのに、
ファミコンがきてからは、無言か「ゲーム」の話ばかり・・・
やがて、私はその場についていけなくなってしまいました。

何が違和感なのか、その時は解りませんでした。
仲が悪くなったわけでもなかったので、
自ら孤立を選択したとはいえ、とても寂しかったのを覚えています。
図書館に行っては、本を読む毎日。
ちょうどその頃、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に出会い、
ジョバンニの心象と自分の心象が強く重なったのを覚えています。

私は、ファミコン以前と以後を経験した者として、
それを境に、子供同士のコミュニケーションのあり方が
徐々に、しかし確実に変わっていったのではないかと思っています。

対し、今でもゲーム好きの主人には真っ向から反論されます。
「ゲームをやっている間も、ゲームについて楽しく話していたよ!」と。
たんに、私がゲームと相性が悪かっただけなのかもしれません。
ファミコンは、子供たちにコンピューターへの親和性ももたらしました。
だから、このネット社会も私達は違和感なく遊泳できるのだと思います。

しかし、私はあの時の「孤独感」を忘れられません。
会話したい事は沢山ありました。
面と向かって、ただ、日常の風景を話したかっただけなのです。
それが、皆とずれてしまったということは、
それ以後の子供達の感性や、思考、コミュニケーション能力のあり方について、
ある意味、示唆的ではなかったか・とも思うのです。

2011/06/20

温度差がある

「見えない敵」がまわりを囲んで3ヶ月。・・・まだ3ヶ月。
チェルノブイリや核に汚染された地域のその後の過程をみると、
それはそれは果てしない苦悩が続く気がします。

晩発性の病気や、遺伝子レベルでの汚染、産まれてくる子供の奇形・・・
知らなければ、知らないまま、通り過ぎていくような、
本当に「現実」とは思えない現実。
放射能は目に見えないのをよいことに、
大手メディアや政府は、詳細を教えてくれません。

内部被ばくの危険性は?
危険の具体的な姿は?
生物への影響は?
どこまで汚染されているの?
人の住めない土地は存在するの?


チェルノブイリなどの教訓がすでに存在し、
汚染地域の悲惨な現状も沢山知ることができるのに、
肝心な問いへの答えが、公には未だに出てきていません。
私達、特に子供達は未来に向かって生きているというのに、
その未来が、安全なのか、安心なのか、見えてきません。

大変におかしなことだと、思います。

情報の狭間に挟まれて、精神的に苦悩される方も多いでしょう。
かくいう私もその一人です。
情報格差の中で、周辺の人々との認識の違いに戸惑い、
自分がまるで逸脱しているかのように感じること事態が、
心の大きな不安に繋がってしまいます。

しかし、それでも、自分の信念をもって生きていきたいと思います。
「何もなければ、それでいい・・
未来に、毎日マスクしてた事もあったよね、と笑えればそれでいい」

最悪を考えることは負担ですが、
少しでも危険の可能性があるなら回避していく。

そうして、わたしは、これまでも食品添加物の問題や、
心から納得できない動物実験に対して、自分なりに向き合ってきました。
気にしすぎ!と言われればそれまでです。
人はそれぞれの価値観をもって生きていますし、
それを尊重することも大切です。

しかし、唯一無二の「生命」に関係する信念だけは曲げたくない。
疑念をもったまま、あるいは知らないまま、無知なまま、
朽ち果てたくないのです。

放射能の問題、原発問題、はては核の問題も、
今後一生付き合っていかなければならないのでしょう。
その為の心の準備はだいぶ整いつつあり、
豊富な情報やコミュニケーションツールも、今は沢山得られます。
自分の中で、インプットとアウトプットをこれからも恐れず、
積極的にやっていきたいと思います。

2011/06/14

ちーちゃん ~dreams~

【ちーちゃん】

猫の一生は人間よりもはるかに短い。
それは当たり前のことですが、
家族同様に彼ら彼女らと生きていく者にとっては、
理屈では分かっていても、心がどうしても納得しません。

人生において、様々な個性豊かな猫達が、
それは駆け足で通り抜けて行きました。

快速や急行ではなくて、各駅停車でゆっくりいけばよいものを、
流れ星のごとく走り去っていった、
あずき や チビ子。チビ尾。

ちーちゃんは比較的長生きだったかもしれないけど、
それでも10年は早すぎたと思う。

近所のボス猫ちー様。負けず嫌いで、冒険家。
浮気のお家は数知れず。でもご主人様には忠実だった。
頭の良い ちーちゃん。
カブちゃんをいつも子分の様に扱っていたっけ。
私達の見えないところで、ちょこっといじめてたりしたけど、
でもむやみには八つ当たりしなかった。
少し若い頃は、ハンサムキャットだった。
歳を取って、中年太りがあだになってしまったね・・・

夜になると、近くの街頭でいつもぽつんと佇んでいました。
ご主人さまを待っているのか、夜の静寂と虫の声に心地よく酔っていたのか、
声をかけると、必ず返事をして近くまでお見送りしてくれるのでした。

今は、先に待っていた数々の猫と供に、
虹の向こうにいるはず。
カブちゃんや、わさび や くるみ はまだ迎えに来ないでね。

思い出を、永遠のものにしたくて、
ちーちゃん が亡くなった頃に、描いた絵です。