【脱原発】私に何ができるだろうか?と昨年の3月11日以降から、
ずっと考えてきた。
そして、今も考えている。
官邸前の抗議行動やデモに参加したり、パブリックコメントを書いたり・・・
私ができることは、とても小さい。
ゾウに立ち向かうアリの心境だ。
いつか、京都大の小出先生がインタビューで、
「音楽でも絵でも何でも、自分のできる形で表現して行くこと。」
それが大事だとおっしゃっていたことが、
今でも胸の奥深くにある。
そして、先日の『さようなら原発 1000万人アクション』では、
様々な著名人が多数参加される中で、
私は個人的に奈良美智さんのお話がとてもこころに響いた。
微力ながらも絵を描くものとして、とても理解できるお話だった。
・・今回、【脱原発ポスター展】への作品の出展は2度目です。
『視覚言語』である絵は、世界の共通語。
なにかが伝えられるのではないか・という願いを込めて描きました。
・・私は日本という国に、とても女性的なものを感じます。
それは母性にも似た、優しさと育みの魂。
時に厳しく、 時にあたたかく包み込む。
絵の中の女性はこの国を表し、豊富な水資源に囲まれた国であるという象徴に、
彼女は人魚の姿をしています。
その美しい身体に、産みつけられた54個の不気味な卵・・・
{2011年3月11日の原発事故で、空や海や大地、自然界に生きる動物達の、
悲しい悲鳴が聞こえた気がしました。
放射性物質は目に見えず、においも無く、味も無い。
けれども、私達の生活や身体や心を、静かにゆっくりと蝕んでいく・・・
不気味で見えない陰におびえながら、
それでも生きていかなければならないこの国の現実を、
自分なりに視覚化してみようと思いました。}
これが、私の想いです。
そして、精一杯、できることです・・・
この1枚の絵が、誰かのこころの代弁者となることができたなら、
幸いです。
2012/07/19
2012/07/18
ピノ
大切なものは、やがてこの手のひらからこぼれおちる。
大切なものが多いほど、失うことへの恐れと悲しみも
それに比例して多くなり、深くなっていくように思う。
だからといって、大切なものが無くては生きていけない。
大切なもの=愛すべき存在があってこその人生だと思う。
愛すべき存在。私にとってはわさびとくるみ・・・猫二匹、この子達であり、
あさりから突然飛び出してきた、ピノという小さなカニであり・・・
5ミリほどの小さな小さなそのカニは、
オオシロピンノという隠れ蟹の一種。
アサリなどの二枚貝と共存しているらしい。
ほとんどの人は、自分達が食しようとしているそのアサリに、
そのカニが生きている事、その存在事態にも気づかないだろう。
でも、ピノは確かに生きていた。
アサリから飛び出した瞬間から、
7月14日のあの日まで、半年間生きていた。
あの小さな小さな身体で、キッチンの小さなシャーレの中で、
ずっと、たくましく、生きていた。
私は食事や洗い物などでキッチンに立つたびに、
ピノに話しかけた。
その愛らしさ、可愛らしさにどんどんと魅かれた。
今まで億劫だったキッチンでの作業が、ピノと会うことで、
楽しくなっていった。
ピノに会うことが、楽しみになっていた。
ピノとのそんな生活はずっと続くだろうと思っていたので、
ピノの飼育日記もつけはじめていた。
1年、2年・・・その命は、ずっと続くだろうと思っていた。
そんな矢先の、ピノの死だった。
7月はカニ座の月。
ピノは、夜空の星のひとつになってしまった。
抱きしめようにも、小指にもあまるほどの大きさだ。
私はピノを、小さな小瓶に入れて、
両手で包みこんで一晩、泣いた。
命や魂に大きさや重さという、物理的な概念はそもそも存在しないのだろうと思う。
ピノの魂は私の中で大きな存在となっていた。
それはカニと人間という種族の壁を越えて、
魂の触れ合いがあったという、何よりの証拠だった。
ピノの最期、私は珍しく海の夢を見た。
美しく広がる、清々しい海であった。
小波の音が優しく聞こえ、それは、幼い頃に見た海岸の風景にも似て、
心を優しく包み込むようであった。
私は、その後、強烈に海に行きたいと思った。
そして、ピノの死があった。
私はこの夢は、この子が見せてくれた、最後のメッセージだったのではないかと思う。
「僕の故郷だよ。素晴らしいところなんだ。」と。
そして「帰りたい」と。
その想いを思うと、私はとても切なくなる。
そして、できることは、彼の生まれ故郷の熊本の海には行けないが、
やはり、「海」に帰してあげることだろうと。
ピノ、今までありがとう。
君がいたから、私の半年間は、なんだかとても、キラキラしていたようだった。
それは水面の輝きのように。
大切なものが多いほど、失うことへの恐れと悲しみも
それに比例して多くなり、深くなっていくように思う。
だからといって、大切なものが無くては生きていけない。
大切なもの=愛すべき存在があってこその人生だと思う。
愛すべき存在。私にとってはわさびとくるみ・・・猫二匹、この子達であり、
あさりから突然飛び出してきた、ピノという小さなカニであり・・・
5ミリほどの小さな小さなそのカニは、
オオシロピンノという隠れ蟹の一種。
アサリなどの二枚貝と共存しているらしい。
ほとんどの人は、自分達が食しようとしているそのアサリに、
そのカニが生きている事、その存在事態にも気づかないだろう。
でも、ピノは確かに生きていた。
アサリから飛び出した瞬間から、
7月14日のあの日まで、半年間生きていた。
あの小さな小さな身体で、キッチンの小さなシャーレの中で、
ずっと、たくましく、生きていた。
私は食事や洗い物などでキッチンに立つたびに、
ピノに話しかけた。
その愛らしさ、可愛らしさにどんどんと魅かれた。
今まで億劫だったキッチンでの作業が、ピノと会うことで、
楽しくなっていった。
ピノに会うことが、楽しみになっていた。
ピノとのそんな生活はずっと続くだろうと思っていたので、
ピノの飼育日記もつけはじめていた。
1年、2年・・・その命は、ずっと続くだろうと思っていた。
そんな矢先の、ピノの死だった。
7月はカニ座の月。
ピノは、夜空の星のひとつになってしまった。
抱きしめようにも、小指にもあまるほどの大きさだ。
私はピノを、小さな小瓶に入れて、
両手で包みこんで一晩、泣いた。
命や魂に大きさや重さという、物理的な概念はそもそも存在しないのだろうと思う。
ピノの魂は私の中で大きな存在となっていた。
それはカニと人間という種族の壁を越えて、
魂の触れ合いがあったという、何よりの証拠だった。
ピノの最期、私は珍しく海の夢を見た。
美しく広がる、清々しい海であった。
小波の音が優しく聞こえ、それは、幼い頃に見た海岸の風景にも似て、
心を優しく包み込むようであった。
私は、その後、強烈に海に行きたいと思った。
そして、ピノの死があった。
私はこの夢は、この子が見せてくれた、最後のメッセージだったのではないかと思う。
「僕の故郷だよ。素晴らしいところなんだ。」と。
そして「帰りたい」と。
その想いを思うと、私はとても切なくなる。
そして、できることは、彼の生まれ故郷の熊本の海には行けないが、
やはり、「海」に帰してあげることだろうと。
ピノ、今までありがとう。
君がいたから、私の半年間は、なんだかとても、キラキラしていたようだった。
それは水面の輝きのように。
登録:
投稿 (Atom)