Kyon {Silence Of Monochrome}

Kyon {Silence Of Monochrome}
上記をクリックするとKyonイラストのホームページとなります。ぜひご覧ください。

2022/09/02

くるみ バリウム検査の結果

 くるみ、2日間嘔吐を繰り返し、水も吐いたのでとうとうバリウム検査となった。

午前中に預けて夜にお迎え。

初めての検査なので飼い主が異様に緊張している・・・。

なにもないことを願ってひたすら耐える半日。


くるみはスムーズにバリウムを飲んでくれたという(5-10ml)

胃に入ったバリウムは3時間たっても胃に滞留したままだった。異常だ。

小腸にもたくさんガスが溜まっていた。食道は問題なし。

そこで腸を動かす薬(プロナミド)とラキサトーンを与えたところ、流れ始めたという。

バリウムが胃に滞留したままでは身体も弱っていく。もしもこれが夜だったらER案件だったかも…と言われた。

ひとまず危機は回避したがどうやら胃と腸の間の幽門に問題があるようだ。

何らかの要因で壁が厚くなってしまっているのか、腫瘍なのか。

はっきりさせるためにはやはり内視鏡をやるしかないらしい。

しかし内視鏡は大学病院での処置となり、その前の検査も必要となる。

費用は総額で15~20万。猫の体にも、金銭的にも大きな負担・・・・・・・・。


頭の中が真っ白になりそうなのをこらえて、必死で先生の言葉を脳内メモする。


くるみがドライフードを食べなくなった理由は好みの問題ではなく、身体に問題があったことだけははっきりした。

そしてドライフードを受け付けなくなる頻度は高まってきている。

今、デンタルケア用の大粒ドライは1-2個をサクサクおいしそうに食べているが、通常のドライフードは吐いた記憶が嫌悪学習になってしまっているのかさっぱり食べなくなってしまった。(ガルシア効果)

そして幽門の問題が浮上してきたからには、無理をしてあげる必要もないだろう。


しかし不安なのは、この幽門の症状(狭窄?)が今後さらに悪化し、完全に詰まってしまった時どうするのかということだ。

そういった可能性はなくもないという。

{緊急でかかる病院は不安定だ、ならばまだまだ元気なうちに、適切な処置をしてあげた方がよいのではないか?

しかし大学病院は遠いし、本当にお金がかかる・・・}

そうこう考えていると頭がぐるぐるしてくる。


現在、医師の指導のもと、プロナミドとラキサトーンを与え1週間ばかり様子を見ることとなった。

プロナミドが効いているのか、今まで雷鳴のように響いていたお腹の音がパタッと止んだ。

食事はバリウム2日後はもりもり食べたが、次の日はあまり進まない。

うんちはバリウム検査二日後に良いウンチが出たが、白くなかった。

そういうこともあるのだろうか?


ビビりのくるみは意外にも病院でチュールを食したという。その数、3本。

お皿からだと食べなかったが手からだと食べたんですよ、と先生。

なんと手間をかけてしまった。

好物のエネルギーチュールをたくさんもらえてちょっとは心許してくれたのだろうか。

レントゲン撮影では身体を緩めるなど終始協力的だったという。

がんばったね、くるみ。。。


次はBUNの値とクレアチニンの値を見るために病院へ。

どうか下がっていてほしい。



わさびが旅立ってから、さらなる試練。

実はわさびはくるみのこのことを知っていて、

これからは彼女が大変だよ、よろしくね、と言わんばかりにスッと旅立っていった。

そんな風にさえ感じている。






2022/08/30

くるみ バリウム検査する

 わさびが旅立ってからひと月過ぎ、ふた月めも過ぎようとしている。

なんだか人生にぽっかり穴が開いてしまったよう。辛くて寂しい日々。


同じサビ猫で来月12歳になるくるみも、12月から体調を崩して食が細くなり、8カ月で1キロあまり体重が減った。

それまでは4キロと丸々太っていて「まるみ」ちゃんとか、「でぶみ」ちゃんとか呼ばれてたりもしたのに、すっかりスリムになってしまった。もともと小顔なのでモデルのようだ。

それまでメタボリックスという太ったねこちゃん用のごはんを飽きずに食べていてくれたくるみ。

昨年11月の検診の時、もう11歳になるからごはんはシニア猫用がいいのですか?と聞き、その時の医師が深堀もせずに良いのでは?と即答されたので、鵜吞みにしてしまいシニア猫用のフードにガラッと変えてしまったのがそもそもの原因だ。

新しいフードが体質に合わなかったようで、くるみの猫生初めて大量に嘔吐してからドライフードを嫌がるようになり、試行錯誤でウェットフードに切り替えたが量もカロリーも足りず、その時に不調となった腸の状態も釈然としないまま、それまで吐いたこともなかった毛玉も含め時々嘔吐を繰り返すようになってしまった。


新しい病院の先生は、

「歳をとったからってフードを変える必要はない。

そのフードがその子に合っていて、気に入って食べているならわざわざ変える必要なし。

特に長年食べているとそのフードに身体が慣れている。

変えるときは一粒二粒から始めるんですよ」

・・・と。


目から鱗とともに、言葉がガンと突き刺さった・・・。


全て私の無知が悪い、そしてよく考えずに話を鵜吞みにした自分も。

今日の今日まで、ああ、なんでフードを変えてしまったんだろうと、

後悔に後悔で頭は渦巻のよう。


12月の不調以来、くるみのお腹はずっとギュルギュル鳴っている。

ひどいと2メートル離れていても耳に届く。こんなにも猫のおなかって鳴るんですか??


毛玉が悪さしている可能性もあったので、毎日毛をかき、毛玉ケアフードを食べさしたり、ラキサトーンを試したり、心因性で舐めてしまうかもということでジルケーンというサプリを1カ月試したりした。

毛玉を吐く回数は減らなかったが量がぐっと減ったので、毛かきとジルケーンはある程度効いたのかもしれない。

ジルケーンは検証するためにいったん止めてみることにした。


痩せてしまい華奢な体になってしまったくるみを見て、毎日毎日、心が不安だった。

あんなに丸々と健康そうで、ぽっちゃりしていたのに。悲しかった。


そして8月28日、くるみは久々のドライフードを食べたあと、10時間後に未消化フードと水分を大量に吐いた。

そしてその8時間後にも水分だけのねっとりとした茶色い液体を大量に吐いた。

更に次の日朝ごはんに食べたチュールもすべて吐いた。


食事の質と回数に注意しながら、時には病院にも通いながら、なんとかやってきたが、

もう限界だ。


急いで病院に電話して、その日の午後に診察。

血液検査、触診とレントゲン、エコー。

触診ではお腹が張っているとのこと。

レントゲンでは小腸にガスがすごく溜まっている。動きが悪そうだと。

エコーはガスが溜まりすぎて、よく確認できず。

血液検査ではBUNが89、クレアチニンが2.8と1カ月前より上昇。

これは脱水によるものではないかという。

その日は補液を50ml行い、閉塞が無さそうであれば吐き気を止めて食事を取るのも必要とのことで、制吐剤のセレニアを打ち、帰宅。

セレニアを打っていても吐くようであれば以上だからそこも見たいということだった。


さらに問題を追及するため、ついにバリウム検査となった。

午前中に病院へ向かい、夜迎えに行く。


猫のバリウム検査は初めてだ。

そして自分若い頃のバリウム検査を思い出す・・・。

あのまずいものを大量に飲むのにすごく苦労した。

その前に、お腹が空きすぎてついお菓子を食べてしまい、正直に検査の人に行ったら怒られたっけ・・・。

バリウム後の便秘も嫌だったので、それ以来私は何か不調があれば胃カメラを飲むことにしている。


バリウム検査後の診断はもちろん、バリウムが腸で固まってしまわないか、重度な便秘になったらどうしようと、なんだか不安でたまらない。


どうか、どうか、何もありませんように。













私の無知が悪かったのだと、心から後悔している。



2022/07/08

不思議な偶然

 あっという間に梅雨が終わりカンカン照りの日が続いていた6月下旬。思えばこの急激な暑さも老猫にはこたえたのだろう。

それなのに、わさびが旅だった日は暑さがやわらぎ、朝からシトシト雨が降り、次の日、わさびの火葬の日も曇り空からやがて静かな雨空となった。

私にはわさびの涙雨に見えて仕方なかった。


わさびが旅立ったその瞬間も、家人が病院から帰ったわずか5分後だった。

もし病院での滞在時間が長引いていたら間に合わなかったかもしれない。


こじつけと言われればそれまで、偶然といえば偶然だろうだけど、

これまで数々奇妙な話を聞いてきて、こういう不思議なことはあるのかもしれないと感じている。


不思議な偶然の一致はもうひとつ。

わさびとの出会いは14年前、とあるお店に貼り出してあった里親募集に私が連絡を入れたのがきっかけだった。

その時なにかピンときたのだろう。

猫と暮らすための、はじめての応募だった。


そのお店はいつも良い香りのするペット用品店だった。ホームセンターとはまた違った品揃えで、時々利用させてもらっていたが、コロナ禍に入り外出がままならぬ中で、お店にも足が遠のいていた。

そしてコロナのあおりを受けたのか、そのお店は今年の春に閉店してしまった。


お店がなくなったのを見て、残念と共に寂しさを感じた。

このお店の貼り紙がなかったら、わさびとは決して会えなかったのだと思うと胸がつまる。


そして同じ年に、わさびも虹の橋を渡った。









2022/07/07

わさびの思い出 1

 私が部屋で、畳んだ布団にもたれかかって休んでいるとき、

「わさび~」と呼ぶと、しばらくしてどこからともなくやってきた。

かわいい声で鳴くと、私の体をよじ登って布団の上に行く。

ふかふかしたものが大好きなわさびは、布団に身体をうずめて満足そうに「んにゃ んにゃ 」と鳴く。

そして私にほおずりして、鼻やほっぺたを何度も舐めてくれた。

ツンデレわさびの愛情表現。

こうして私に添い寝してくれるのだった。



当たり前だが、今は呼んでもわさびは来ない。


それでも呼んでみる。


幽霊でも幻覚でもいいからでておいで。



面影と触感を思い出しながら寂しさの中で、

なかなか夜眠れない私はうとうとしてくる・・・。



2022/07/06

わさび







7月4日、この日は10時に病院へ行く予定だった。

しかし、わさびの容態は刻々と変化し、ぐったりとして病院へ行ける状態ではなかった。

尿はもう48時間以上出ず、口からぷつぷつと音がしてきた。目は開いているが虚空を見ているようだった。

不思議だったのは、100ミリリットルの補液がスッと身体から消えたこと。

いつもだったら背中にこぶの状態でしばらく残るか、胸から腕のあたりに溜まるのに。

それだけ脱水が進行しており、すぐさま吸収されたということなのか。

それでも頼みの綱である尿が、出ない。


私としては最初、はっきりと原因を知りたい、今の状態を把握したいという思いだった。

家人は否定的でこの状態で運ぶのはもう無理、わさびの立場だったらもうそっとしておいてという感じだと。

9時、私も家人に同意し、まず家人が病院へ向かい、先生に状態を報告し指示を仰ぐ。そして連れてきてと言われたら車で直行する。


家人の連絡を待つ間、悲しみが込み上げてきた。もうがんばらなくていい、14年間ありがとうと声をかけた。

母が様子を見に来て、湿らせたコットンで水をふくませてくれた。何度か小さくこっくんと飲みこんだ。

てっきり水も受け付けないと思っていたので、これは意外だった。とともにまだ大丈夫なのかもと、かすかな希望を見た。

たくさん身体や頭を撫でてもらった。私たちが長期留守をしていたり、私の2度の入院中の間、母にたくさん世話をしてもらった。最後までなつかなかったけど・・・。


だんだんと呼吸が早くなってきた。

わさびは時々苦しそうに大きく口を開き、はあはあと苦しそうに息をする。

不安でいっぱいだった。ただただわさびを撫でてあげることしかできなかった。





家人が帰ってきた。

ショックで死んでしまうかもしれないから連れてこなくてよい、そして、利尿剤をうってくださいと。

おそらく肺に水が溜まっているのではという。

そこで尿を出すことで体の水分が抜けて楽にさせるために利尿剤を打つ。


家人とあれこれ話し合って、だめもとでもやってみようとなった矢先、

わさびの大きな目がふわっと開いて瞳孔が大きくなるのを見た。

そして次の瞬間、小さく息をして呼吸が止まった。


静かに、スッと、旅立った。


享年14歳11カ月 あとひとつきで誕生日だった。


2021年4月の腫瘍の手術ではわさびを失うことに不安でいっぱいだった私は狂ったように泣いていた。

外耳炎で診察を受けた時、鼓膜の穴に気付かずアルコールを入れられて、眼振を起し入院したときも、

2021年12月に補液で一気に具合が悪くなった時も、

事あるごとに不安と恐怖に襲われて、パニックになっていた。

それが今回、わさびが目の前でスッと旅立った時、心が穏やかだったのはなぜだろう。


これまで泣かないと決めていた家人は、その瞬間、ダムが決壊したように泣いていた。



死因はおそらく腎不全悪化による多臓器不全。肺水腫も関係しているだろう。

今まで懐疑的だった腎臓病につきものの補液について、3日の時点であの脱水状況と膀胱に尿が溜まっていなかったことで、まずは補液によって尿を出すという納得の上での選択だったが、あの時補液しなければよかったのかと何度も自問自答し、家人とも話した。

短い時間の中での難しい判断だったと思う。

しかし家人と一致したのはやはり、その選択しかなかっただろうと。

そしてそれ以前にもう腎臓が機能していなかった可能性もある。

3日にとったエコー検査では残っていた片方の腎臓が2倍に腫れていた。


腎不全の終着駅=無尿になってしまうと、こんなにも早く連れていかれてしまうのか。

呆然とした。


自分についても感情が責めてくる。

わさびがガクリと体調を落とし始めたのは6月の中旬、おもらしをしてしまったころから、持病の外耳炎が再発し、変な太くて深い声で鳴くようになり、わけもなくウロチョロするようになっていた。

その頃から尿量が減っていた可能性がある。しかし、「安定期」という言葉により心にフィルターがかかっていたのと、とりあえず尿が出ていれば安心という固定観念で見損なっていたかもしれない。

なにより私が、「わさびは元気、わさびは大丈夫」と思いたいがために、自分自身にイリュージョンを見せていたかもしれない。

もしも6月早いうちに乏尿に気付き相談できていたら・・・。


たられば思考の波に何度も襲われた。



他方、こうも思う。

昨年12月、よく理解せぬまま受けた補液でわさびの容態が非常に悪くなり、水もごはんも受け付けず、くらがりで小さく鳴きながらうずくまっているわさびを見た時、その後悔と怒りはすさまじかった。

医師は良かれと思ってやってくれているから責められない。その時の獣医さんも10年お世話になった優しくて親身なお医者さんだった。

だから刃は自分に向いた。そうならざるをえなかった。

無知は罪だ。無知は怖い。

自分たちの無知のせいでわさびを苦しませたと、家人とともに責め合った。


しかし、その一件から近所の良いお医者さんと出会え、緻密で的確な診断と処方薬でみるみるわさびは元気になった。

一時は2キロに落ちた身体も、5月には体重2.4キロになり、ごはんを何度もおねだりし、

軽快に階段を駆け上がった。

半年ほとんど元気に暮らせたのもこの医師のおかげだと心底思っている。

言葉では伝えきれないほどの感謝がある。

ここ何日間かも無理をして診てくれていた。


思い出深いのは、いつも忙しそうな先生がふとリラックスしていた時に、

わさびについて尋ねてきたことだった。

「わさびって洋猫がまざっているのかな」

かわいいですね、漫画のようだと言ってくれた。

数多くの猫を診ている寡黙な先生からの最高の誉め言葉と思っている。

よかったね、わさび。


実際、わさびはほんとうにかわいい猫だったのだ。

家人はよく、わさびは猫ではない、かわいいといういきもの、

かわいいのかたまり、かわいいの権化だと言っていた。


2016年ころのまんまる顔とまんまるおめめ。



わさびのことを愛してやまない家人だったが、こうもよくぼやいていた。

わさびは自分になついていない、嫌われていると。


それは違うということが今回ではっきりしたでしょう。

だってわさびは、家人の帰りを待って、旅立っていったのだから。



最後に私のことを少し。

わさびを半年間、つきっきりで看病できたことは幸運だったと思う。

朝早く、そして夜遅く、日中何度も投薬するのは私も正直辛いところもあった。

特に苦手だったのはカリウム補給のフィトケアで、これをわさびはとても嫌がり、

最終的には私の顔をみるとえづくようになっていたのにはこたえた。

日中、仕事がある方は思うように看病できなくてつらいという話も聞いたことがある。

その点、私はほぼすべての時間をわさびに費やすことができていた。

12月にいったん死を覚悟してから、少しづつ元気を取り戻し、春に桜が見れて、あとは8月の誕生日を迎えようという希望を抱きながら、楽しく前向きに過ごしたわさびとの濃厚な半年は私にとって一生の宝物であり、ほんとうに幸せだった。


ありがとう、わさび。

14年間、ほんとうにありがとう。

これからは病気も投薬もなにもない、苦しみの無い自由な世界で、

軽い身体で、蝶を追いかけ飛び回ってね。


友達であり、相棒であり、家族だったわさび。

絵を描くとすぐに邪魔してくるから、なかなか描画が進まなかったけど、

今ではそれもかけがえのない時間でした。


だんだんと布団にもぐってこなくなったり、

トイレのフタにのって肩もみもしなくなったり、

高いところでひなたぼっこしなくなったり、

同居猫のくるみにいじわるしたり、絵を描く邪魔もしなくなって、

いつもいる場所にいないことが増えて、

だんだんとあなたの姿を探すようになっていった。

それは近い未来への、さよならの練習だったんだね。


2011年ころのわさび(右)とくるみ。
お互いに鼻であいさつしたり、おしりをかぎあったり。
それ以上でもそれ以下でもない関係。



これからあなたのいない日々が、日増しに辛くて寂しくてどうしようもなくなってくるだろうけど、

いつかまた会えると信じているよ。

それまでどうか、待っていてね。



あごのせ大好き、ベットの二段重ねも大好き。