Kyon {Silence Of Monochrome}

Kyon {Silence Of Monochrome}
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2019/02/07

2月26日~3月3日「細密展14」に参加します。

 アートコンプレックスセンター 細密展14

**展示会のお知らせ**
2月26日(火)~3月3日(日)11:00~20:00 ※最終日17:00まで
The Artcomplex Center of Tokyo 2F にて開催される「細密展14」に参加いたします。

様々な細密画がご覧いただけるとても見ごたえのある展示会となっております。
私も作品を何点か展示させていただきます。画集・ポストカード販売もいたします。
お時間がありましたら、ぜひ見にいらしてください!


・・・・詳細・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

細密展14 
◆開催期間 2019年2月26日(火)-3月3日(日)
◆開催時間 11:00-20:00 最終日のみ17:00まで
◆パーティ 2019年3月2日(土) 17:00-19:30
◆展覧会場 The Artcomplex Center of Tokyo 2F ACT5

■出展者
Nyan Twitter: @k2007723
Kyon  http://psychout.sakura.ne.jp
宇野たまみ  https://www.instagram.com/tamami_midnightdrawing
指宿  https://twitter.com/ibsukionsen
chis
woga  https://www.instagram.com/?hl=ja
高橋 未歩
妬血  https://mobile.twitter.com/toketu09
溝井 悠紀
イシイヨシト  https://www.behance.net/YoshitoIshii
Yoshimi kawae
まやいけナングァズー
森田悠介  http://salone129.com/
     ・Twitter:@morita129
西田版画室  twitterアカウント→835ijc



3月4日追記*****

グループ展、無事に終了いたしました。今回も様々な学びを得ました。
ご来場下さった皆様、作品をご覧頂いた皆様、どうもありがとうございました。

Kyon

2017/04/04

桜とオオミズアオ



小学生の頃からいつも通る坂道に、二本の桜の老木があり、この季節になると毎年淡い薄ピンクの可愛らしい花を咲かせる。
その木々は、道を隔ててまるでお互い頬ずりをするかのように、寄り添うように立っていたが、いつのまにか、そのうちの一本は根元からざっくり切られてしまった。

片方の木は、今はもう無き相方を懐かしむかのように、その後も毎年、桜の花を咲かせた。
吉祥寺の井の頭公園のように誰かがその下で談笑し踊り歌うこともない。けっして見事という枝ぶりでもないが、私はこの桜が気になってしかたがなかった。咲き誇るというわけではなく、それでも慎ましく花をつけてくれると、ああ、今年も咲いてくれてありがとうという気持ちになる。


桜は確かに別格だ。美しく、そしてとても儚い。
その姿といつも重なり想いをはせるのは、昔、夜の駅でみかけた一匹の蛾である。

だいぶ前の話である。夜、駅のホームで電車を待っていると、足元に青白く光るものがみえた。
近寄ってみてみると、大きさは手のひらくらいか、一匹の青白い蛾であった。
左右に羽を広げたその姿は、それはそれは美しく、これが夜の空にふわふわと飛んでいれば、妖精と見紛うのも無理はないと思った。
瀕死なのか、それとも佇んでいるだけなのかは、わからなかった。おぼろげながらも記憶ではその後どうなったのかはわからない。なにしろ10数年も前のことだから。

しかし、私はあの青白く光る、怪しくも美しい姿が忘れられなかった。記憶をたどり調べてみると、その蛾はオオミズアオという種類のものだったと判明した。
その後、描く絵になんどかオオミズアオを描いた。図鑑を調べ写真などを模写して正確にも描いてみたが、記憶のそれといまいち符合しない。

もともと蝶好きであったし、オオミズアオと出会ったがために蛾はそれ以上に美しいものだと知ってしまった。興味が湧いて、さらにオオミズアオの生態を調べてみると、彼らはチョウ目ヤママユガというものに属し、蛾では大型の種であるという。
そしてそのヤママユガの最大の特徴として、成虫は口が退化しており、飲食ができない。だから立派で巨大な成虫となっても、幼虫の頃に蓄えた養分で過ごし、その命を1週間程度で終えるのだという。

このことを知って、私はとても驚愕した。

長く生きることを許されずに成長し、それでも生を全うするとは、どういうことなのか。
そのとてつもなく短い期間のうちに、次の生をつなぐということ、なんという宿命だろうか。

なんと儚い命だろう・・・
だから、あのように神々しいくらいの美しい姿をまとっているのだろうか。
そして、種名はギリシャ神話の月の女神アルテミス・・・


桜とオオミズアオ、この二つには接点がある。
オオミズアオの幼虫は桜の葉も食するという。そのため、都会でもその姿を目にすることもできるのだ。
桜の花が散り、みずみずしい新緑の季節に、彼らは目を覚まし、新鮮な桜の葉を食べ、定められた宿命を臆することなく、ひたすらに生きるのだろう。

ほのかな桜の花の香りに街がつつまれる、この季節は私も好きだ。
しかし、一方で、とてつもなく儚い命に想いをはせ、深い悲哀の底に沈む。
そして、桜の下でも繰り広げられる人の世が、なんだか哀れで、とても切なく感じてしまう。

私はその底の中で彼らを想い、この絵を描いた。


2016/12/09

世界が変わった日


{Silence Of Monochrome} Nostalgia



2010年12月7日、あずきは旅立った。
わずか4カ月の命だった。

12月8日、沢山の花と思い出とともに、荼毘にふした。

12月9日、あずきのいない生活が始まった。
そこから、見える世界も、生活そのものにも、激変が生じた。


2017年12月8日、奇しくも同じ日に、私は大きな転機を迎えた。
その時に何事もなく、ことが進んだのは、きっとあずきが傍にいてくれたからだろう。

ありがとう、あずき。

6年経った今でも、あなたのいない景色は時々悲しい色に染まる。



6年経って、やっと「あなた」の姿を見せることができた。

天使のようにかわいかった、あずき。


あなたを一生懸命描いた後、猫は描けなくなってしまった。
描いていると、どうしても深い悲しみに包まれる。



そのあと、2年半一緒にすごした、かたつむりのデンコもあなたのもとに旅立った。
彼のその姿も描いた。


きっと2匹で、遠い遠い世界で、自由に気ままに、暮らしていることだろう。
孤独も空腹も、病も争いも無い、穏やかな世界で。

2016/05/29

5/29~8/20 渋谷東急ハンズ・7Fでポストカード販売を行います。

5月29日(日)~8月20日(土)

時間10:00~20:30 ※最終日18時まで

渋谷東急ハンズ内、7F 【ハンズ ギャラリーマーケット】にて
ポストカード販売を行います。

今回、2回目の出展となります。


前回は2013年でしたが、時が経つのは早いものです。

その時、作品をご覧頂いた皆さま、ポストカードをご購入くださりました皆さま、
本当に、ありがとうございました。


今回、新作も出させていただきました。

渋谷にお越しの際は、ぜひ、お立ち寄り下さいませ!



2016/03/27

リアルファーのこと。

マハトマ・ガンジーの名言に、このような言葉がある。

「国の偉大さ 道徳的発展は その国における動物の扱い方で判る」


さて、この国ではどうだろうか。



いつも通勤途中で目にするポスターがある。
まだ幼く、ふんわりとした毛並みの、青白く愛らしい動物・・あれはキツネだろうか・・、
毎回こちらを、それはそれは悲しそうな眼で見つめてくるのだ。

そのポスターにはこんなことが書かれている。

「毛皮(リアルファー)を買わなければ  僕たちは殺されない」



若いころ、無知だった私は、好んでリアルファー商品を購入し、身に着けていた。
経験的に、草食動物よりも肉食動物の物の方が持ちが良いことまで知っていた。

それらがもちろん、以前は自分と同じように息をして、心臓が鼓動し、赤い血液がめぐり、
喜びも痛みも感じる生命だとは、想像さえせずに、
ただファッションの一部として、または自分の個性の表現方法として、選択していたのだった。


学んだのは、8年前に、保護された子猫を引き取ってからだった。

さび猫というオレンジと茶色が複雑に合わさった美しい毛色で、
とてもなめらかでふわふわのした、大変肌触りの良い毛並みである。

彼女の温かいふわふわとした、小さな体を触りながら、その感触がかつて所用していた毛皮商品と似ていることを感じ、
私はあらためて、あれは生きていた動物の物だったのだと痛感した。


かつて、大昔、リアルファー(毛皮)は防寒衣として用いられていた。
やがて、毛皮は権力の象徴とされ、己の力を誇示するための道具となった。
高価な毛皮は財力の証となり、貴婦人達が競い合い、毛皮を着用した。

私の幼い頃は、家に、キツネの顔つきファーがあったのを思い出す。幼心にあれが何なのかよくわからず、不思議に感じていた。
母は淡いグレーのラビットファーの毛皮を大切にしていた。
当時は何か月分もの月給を払って購入した高級品だっただろう。

今ではファストファッションでさえ、様々なリアルファー商品を取りそろえ、けっして所得が高いとは言えない若者でも、
リアルファーを首元や、足元、バック、ヘアアクセサリーとして手軽に身に着ける時代となった。

さて、購入者はリアルファーが、今まで我々と同様の命ある存在だったと、想像し理解したうえで購入するだろうか。
それとも、スーパーの魚の切り身に慣れた子供が、切り身のままで海に泳いでると想像するのと同じく、それがかつての生物だったとは想像だに及ばず、
今のトレンド(流行り)だから、おしゃれだからと、ただ世の中に流されて購入するだけだろうか。

それとも、リアルファーを身に着けて、かつての大昔の豪族のように、強さや権力を誇示したいのだろうか。
または、個性や自己顕示欲の表現のための道具なのか。


私は、かつてリアルファーを所持したものとして、自分が身に着けていたものの真の姿を知るべきだと思った。かつてはどのような生物で、どのようにして得られるものなのか、知るべきだと思った。
それはある種の贖罪でもあった。

検索すると、辛い記事や動画・画像が、山のように出てきた。
それは見るに堪えられないものばかりであった。


浅い知識のなかで、ミンクやフェレット等のイタチ系の動物の多くが、毛皮にされることは知っていた。
宮沢賢治作「銀貨鉄道の夜」の一説でも出てくるように、ラッコもその対象だと知っていた。

表記にラクーンとあるものはタヌキ、キツネの毛皮もよく見かける。

ティーン向け商品には、とろけるような肌触りのラビットファーがよく使われている。
かたや、巷ではうさぎ人気で、うさぎカフェなるものも登場し、うさぎの写真集が売れて、
ペットショップでは多くの生体販売もされている。

ふと、ラビットファー商品を身に着けながら、うさぎカフェでうさぎを愛でながらお茶を飲む・・そんな女子達を想像した。
この認知的不協和状態をいったいどのように解消しているのか、興味をそそられる。

そしてあの小さなリス達までもが毛皮の対象とは、下記ページで初めて知った。

【JAVA】 毛皮のこと

上記JAVAによれば、「1枚のファーのコートを作るために、リンクス(オオヤマネコ)は12~15頭、キツネは15~20頭、アライグマは27~30頭、ミンクは60~80匹、リスは60~100匹使われ」るとのこと。

たった1枚のコートの為に、どれだけの命が殺戮されているのか・・


リアルファーについて知ってしまった私は、今では猫のおもちゃにファーが使われているものも避ける。

そして、我が愛する猫達も、毛皮の対象になっていることを、最近知った・・
我が愛猫を撫でながら、確かにこのなめらかでふわふわとした毛並みは最高に魅力的だろうと感じる。
だからといって、人間の私利私欲のために、むやみな殺生をしてよいとは思わない。
彼らの毛皮は、彼らにとって生きる為に必要であり、彼らが命を全うするまで、
彼らだけのものであるからだ。

現在、リアルファーの代替としてのフェイクファー商品の質の高さは素晴らしい。
見ためも肌触りも、保温性も良く、ケアも簡単で、安価である。
どうしてもファー商品が好みであれば、フェイクファーを購入すればよい。

また、大昔とは違い、今は質が高くて機能性の良い繊維も生産され、それらで作られた衣料品もたくさんある。
防寒対策であれば、毛皮を着るよりももっと効率的で、お財布にも環境にも優しいものが沢山ある。
今の時代に、毛皮を着用することは、まるで、時代を逆行しているかのように思う。


もしも、防寒やファッション以外の目的、例えば、毛皮により自己顕示欲を満たしたい、またはアイデンティティを保持したいという目的であるならば、もっと別の道があるのではないだろうか。

自己肯定感やアイデンティティ、強さや個性といったものは、そんな表面的で、簡単に得られるものではなく、
様々な人生の経験によりもたらされる、心の奥深くから染み出てくるものではなかろうか。

自分を愛し、他者を尊び、生命を大切に想い、
人生を一生懸命歩み、積極的に楽しんでいる人は、それだけでファッショナブルで、個性的で、美しいと思う。


そのリアルファーは本当に必要なのか、今一度考えてみてほしい。

その毛皮は本当におしゃれなのか、リアルファーの実際を知ってから、もう一度チョイスしてほしい。


行き過ぎた市場原理主義の闇の犠牲者である動物たちのことを、もっと想像してほしい。

彼らの姿は我々の生きる世界の鏡であり、行き着く先の我々の姿、そのものかもしれないのだから。



不必要な生命の虐殺を、続けるも、なくすのも、我々の選択一つ次第。


そして、毛皮のことと同様に、
市場での安価競争、安すぎる物やサービスにも、どこかで誰かが、その命を蔑ろにされ、
苦しんでいるのではないだろうかと想像してみることも必要だ。



※No Fur 缶バッチ(76mm)作成しました。
※2017年2月追記・・こちらのサイトKyon_Psychout(ハンズギャラリーマーケット)でご購入いただけます。




さりげなくアピールすることから初めてみても、良いと思って描きました。

かれらはひとつひとつ図鑑や写真を見ながら描いたのですが、
不思議と、彼らを描いていると、心が穏やかになります。
彼らの表情はとても穏やかで、邪気がありません。

本当に申し訳ないという気持ちで、かれらそれぞれを描きました。


ミンクにイタチ、フェレット、おこじょ、キツネやタヌキ、リスやモルモット、
あざらしや、その美しさ故に乱獲の対象にもなるシカやサイ、ゾウ、
様々な鳥たち・・・

ここには入りきらない仲間達が、まだまだいます。

その中で、カタツムリがいることに疑問を感じられる方もいるでしょう。

わが家には大切に育てているカタツムリが2匹います。
かれらと過ごしてみて、かれらも私たちと同じ心臓が鼓動し肺で息をしている生命だと感じています。
可愛らしい姿に、なんども救われたこともあります。

しかし昨今、話題のカタツムリクリームには、ネットで調べてみると、
カタツムリに人為的にストレスを与え採取した粘液から作られているといいます。

心がしくしく痛みました。
そんなもので本当に美しい肌がえられるのか疑問です。

私の愛するカタツムリ達にも敬意を表するつもりで、この絵に描き入れました。



この世界は人間だけのものではなく、
また、人間だけが特別優れているというわけでもないのです。

カタツムリのことをいうと、彼らの小さな口の中には、約二万本の歯があるといいます。

また、-120度の世界でも死なずに生きるといいます。

これが人間で可能でしょうか。おそらく即死ではないかと思います。



そのおごりを無くすためには、人間の持つ機能や生命力は、時として他の生物より軟弱であるということ、

また、この自然のほんの一部に過ぎないなのだということを、
あらためて考えなくてはいけないかもしれません。













2013/01/13

ポストカード販売を始めました。

お知らせです。

1月13日より4月上旬まで、
【東急ハンズ渋谷店 ハンズギャラリーマーケット 7F】 にて、
ポストカードの販売を始めました。

こまめに新しい作品も出していきたいと思います。

お近くにお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。



2012/07/19

脱原発ポスター展。After311

【脱原発】私に何ができるだろうか?と昨年の3月11日以降から、
ずっと考えてきた。
そして、今も考えている。

官邸前の抗議行動やデモに参加したり、パブリックコメントを書いたり・・・
私ができることは、とても小さい。
ゾウに立ち向かうアリの心境だ。

いつか、京都大の小出先生がインタビューで、
「音楽でも絵でも何でも、自分のできる形で表現して行くこと。」
それが大事だとおっしゃっていたことが、
今でも胸の奥深くにある。

そして、先日の『さようなら原発 1000万人アクション』では、
様々な著名人が多数参加される中で、
私は個人的に奈良美智さんのお話がとてもこころに響いた。
微力ながらも絵を描くものとして、とても理解できるお話だった。


・・今回、【脱原発ポスター展】への作品の出展は2度目です。
『視覚言語』である絵は、世界の共通語。
なにかが伝えられるのではないか・という願いを込めて描きました。

・・私は日本という国に、とても女性的なものを感じます。
それは母性にも似た、優しさと育みの魂。
時に厳しく、 時にあたたかく包み込む。
絵の中の女性はこの国を表し、豊富な水資源に囲まれた国であるという象徴に、
彼女は人魚の姿をしています。
その美しい身体に、産みつけられた54個の不気味な卵・・・





{2011年3月11日の原発事故で、空や海や大地、自然界に生きる動物達の、
悲しい悲鳴が聞こえた気がしました。
放射性物質は目に見えず、においも無く、味も無い。
けれども、私達の生活や身体や心を、静かにゆっくりと蝕んでいく・・・
不気味で見えない陰におびえながら、
それでも生きていかなければならないこの国の現実を、
自分なりに視覚化してみようと思いました。}

これが、私の想いです。
 そして、精一杯、できることです・・・

この1枚の絵が、誰かのこころの代弁者となることができたなら、
幸いです。








2012/04/11

『脱原発ポスター作品集』届きました。

「脱原発ポスター作品集」が届きました。
脱原発ポスター展



脱原発・エネルギーシフト・省電力等、
原発・核、電気やエネルギーをめぐる様々なテーマで、
各国のクリエイターがポスターを作成し、個性豊かな作品が掲載されています。

【脱原発ポスター展】に投稿された作品は現在で1400点以上・・・
願いは一つの、多種多様な優れた作品がここに集結しています。
時に、そのデザインや画力に見惚れ、
またセンスにハッとし、感心したり、
同じ思い・願いに、勇気づけられます。


・・私も、デモに参加する事以外に、
自分の力でできる事は何かないか・・・と悩んでおりました。
そんな時に、このサイトと出会い、
自分ができる事=絵を描く事で、2011年3月11日にこの国に起こった事、
以後、進行している事、
私を含む人々の苦悩や悩み、
そして願いを表現し、少しでも伝えて行く事ができるかもしれない・と思いました。
そして、微力ながら、「核の無い世界を・・」という一途の思いを託した作品を投稿させて頂きました。
そして、今回発売されたこちらの作品集にも掲載して頂きました。
感謝しております。


・・先日、自分の作品がとある脱原発アクションで使われているのを見ました。
とても嬉しく思い、なんだか胸が熱くなりました。
こうして、自分の作品が誰かのお役に立てるとは思いもよらなかったです。
今後も、イベントやデモ等で、ぜひ使って頂きたいと思います。


※『脱原発ポスター作品集』は現在、アマゾンにて購入できるようです。
2000部限定なのでお早めに・・・
素敵な作品たちと出会い、語らい、思いを深めて頂ければ・と思います。







2011/11/11

脱原発ポスター展

絵や音楽は 言葉を超えて 伝わるものだと信じています

25年前のチェルノブイリ
25年後の福島原発事故

過ちから 人間は学べないのか
何故学ぼうとしないのか
絶え間ない 根本的な問いです
答えは 今 私達が だすべきものではないでしょうか


高次の心の防衛機能である 昇華
3月11日以降 数々の惨状にズタズタになった心を癒すには
描くしかありませんでした
今 「心」が見ている真実を
描き止めておかなければ と思いました
そして それが 言語を超えて
核の恐ろしさ 今のこの国の惨状を 世界に伝えてくれるだろうと・・・
微力ながら 「脱原発ポスター展」に
応募させて頂きました

  
他にも素晴らしい作品が1000点近く集まっています

あらためて デザインや絵画の持つ力を感じます

「原発いらない
放射能もいらない
普通の 日常を 返して」

2011/06/14

ちーちゃん ~dreams~

【ちーちゃん】

猫の一生は人間よりもはるかに短い。
それは当たり前のことですが、
家族同様に彼ら彼女らと生きていく者にとっては、
理屈では分かっていても、心がどうしても納得しません。

人生において、様々な個性豊かな猫達が、
それは駆け足で通り抜けて行きました。

快速や急行ではなくて、各駅停車でゆっくりいけばよいものを、
流れ星のごとく走り去っていった、
あずき や チビ子。チビ尾。

ちーちゃんは比較的長生きだったかもしれないけど、
それでも10年は早すぎたと思う。

近所のボス猫ちー様。負けず嫌いで、冒険家。
浮気のお家は数知れず。でもご主人様には忠実だった。
頭の良い ちーちゃん。
カブちゃんをいつも子分の様に扱っていたっけ。
私達の見えないところで、ちょこっといじめてたりしたけど、
でもむやみには八つ当たりしなかった。
少し若い頃は、ハンサムキャットだった。
歳を取って、中年太りがあだになってしまったね・・・

夜になると、近くの街頭でいつもぽつんと佇んでいました。
ご主人さまを待っているのか、夜の静寂と虫の声に心地よく酔っていたのか、
声をかけると、必ず返事をして近くまでお見送りしてくれるのでした。

今は、先に待っていた数々の猫と供に、
虹の向こうにいるはず。
カブちゃんや、わさび や くるみ はまだ迎えに来ないでね。

思い出を、永遠のものにしたくて、
ちーちゃん が亡くなった頃に、描いた絵です。

2010/04/12

夢~Dreams~

この絵は「夢」と名づけましたが、
確かにいつか見た夢の風景そのものです。

人生を旅に例えれば、特急列車に乗るよりは、
各駅停車に乗ってのんびりと旅を続けたいと思います。
たとえその終着駅が「死」だとしても、
途中下車する駅で、町で、多くの人と出会い、別れ、
沢山の思い出を紡ぎながら、ゆっくりと目的地へ向かえればよいと思います。

描かれている駅のホームに、椅子が二つあるのですが、
片方の椅子が倒れています。
自分でいうのもなんですが、どこか寂しげな感じがします。
一番上の駅のホームは、多分「終着駅」だと思います。

女の子は仮面(ペルソナ)をつけ、これから旅に出ようとしているのでしょうか。

この絵はひっくり返すと、もう一つの風景が出てきます。
いわゆる「見ざる 言わざる 聞かざる」の三猿をテーマに描かれています。
これは、この社会を生きて行く上で、とても重要な叡智だと思います。
私も幾度となく失敗を重ねて、この知恵の大切さを痛感しました。
余分な事は、「見ない 言わない 聞かない」・・・
思いやりや真心といった温もりを忘れてはいけませんが、
大切な教訓のように思います。

自身で描いた絵ながら、
時々自分を戒める為に、眺めたりもする大切な1枚です。

漆黒の闇に開く無数の花弁の中に、
やがて落ちて行くような感じがします。

もう一つ・・この絵には何人かの人物の顔が隠されています。
時間がたつと自分でも分からなくなるほどですが、
ずっと見つめていると、その人物の顔が浮かび上がってきます。
悲しくうつむいていたり、じっとこちらを見つめていたり。
それは常に自分を支配している「自我」といったところでしょうか。
それとも、知らずのうちに自分を操作している「無意識」のようなものでしょうか。

2010/03/03

冬の華~Flowers~

都会のビル群はいつ見ても、冷たくて淋しい感じがします。
夏の暑い日でも、冬のような寒さを感じてしまう・・
それは身体で感じる温度ではなく、
心で感じる温度です。

「冬の華」~この絵は、白黒の世界に引き込まれ、ドットやラインを駆使して、
じっくりと1枚の絵を描く喜びを知り始めた私の最初の頃の作品ですが、
そんな思いを描いた作品にも思います。

空は不穏な様相を映し、それは私自身の心模様であったかもしれません。
私には冷やかで閑散として映っていた都会の景色に、
颯爽と歩く、色とりどりの綺麗な女の人達は、
一見して咲き誇る花の様にも見えていました。
しかしよくよく見ると、その人達も何だかただの美しい人形の様しか見えず、
そこは自分にとって異国の様にも感じていました。
今でも、ふっと立ち止まるとそんな幻想に襲われます。

1人でいるよりも、大勢の中にいる方がより強い孤独を感じる事があります。
満員電車に揺られながら、思います。
となりにいるこの人も、あの人も、頭の中では色々な事を考えて、
心には色々な思いを抱えて、それぞれに大事な生活や人生があるのに、
この閉ざされた空間の中では、皆透明なカプセルの中に居て、
他を一切遮断している。
それは、普通に当り前の事なのだけど、何だか考えれば考える程とても不思議に思えて、
群衆の中での痛烈な孤独感が、より一層高まってくるように感じて、怖くなります。

私も含めて皆、温かな鮮やかな血が流れているのに、
体温が一切感じられない冷やかな空間、そんな所にひとりぼっちでいる様に感じます。

そうかと思えば、感情をむき出しにして、ホームで人と人が身体をぶつけ合い、詰りあっている・・
家族でも友人間でも、あのような喧嘩をする事は少ないんじゃないかと思います。
喧騒の激しい都会では、そんなもめ事が少しでも起きない様に、
また自分が傷つかない様に、
やはり1人1人がカプセルに入って、
外の世界を遮断してじっと耐えている方が得策なのかもしれません。

 都会では、「華」はいつでもあらゆる所に咲き誇っています。
しかし、本当の「花」が生きて行く事はとても難しい世界なのだと思います。

2009/12/28

秘密~Instinct~

「秘密」
この絵も随分初期に描いた絵で、気に入っているものです。

絵の前方で交わっているのは男女なのかあるいは同性同志なのか、
それはあまり関係はありません。
「秘密」の情事が、多くの傍観者に見られ、吹聴されている事が問題です。

これは、日々世間に流れているゴシップや愛憎劇、事件等、
それらに吸い寄せられて、貼り付いて離れない人間のイメージです。
「人の不幸は蜜の味」とはよく言ったものです。
そのような話題で、メディアはひしめき合っているように見え、
それは、それらを好物としている人々がいるからだという需要と供給の構図が、
私には時々恐ろしく感じます。

「壁に耳あり障子に目あり」そのようなイメージとも近いかもしれません。
東京では20年後4人に1人が、独りでご飯を食べることになるかもしれない、
と聞きましたが、
ご近所との付き合いは希薄になる一方、
でも、世間では「人の噂話」が軒並み連なって手招きしている。
不自然なアンバランスが、ゆっくりと人の心を蝕んでいくように思えます。

「秘密」は誰の心にもある。 
生きている上で、秘密は大なり小なり必然的に生まれるものだと思います。
しかし、「秘密」があることすらも秘密にしておかないといけない世の中になってしまったら、
それは不健康で、寂しい気がします。

2009/12/14

恍惚~Instinct~

「恍惚」
ペン画を始めた初期に描いた絵です。
当時は、60・70年代に興味があり、
その思想や文化、音楽にかなり傾倒していた時期でした。
この絵のように、アンニュイな女性の表情は特に好みでした。
頭の中では、様々な事が乱舞しているような、錯乱しているような、
しかし独特の楽しげな色彩が、広がっていたのです。

白と黒のニ色で描くのですが、
個人的には原色が好きで、特に赤は大好きです。
部屋の中も、ほぼ赤い色で統一されており、
人によってはやや疲れるかもしれません。
モノクロで描いていても、
頭の中は極彩色が広がっている、ともいえるのでしょうか。
以前絵を見てくれた知人から、こんな言葉を頂いたことがあります。

「Kyonさんの絵は、白黒なんだけど、
家に帰って思い返してみると、あれ?カラーじゃなかったっけ、と思うんだ」

非常に印象的な感想で、とても嬉しかったのを覚えています。
まるで頭の中を見透かされたような・・・・・
しかし、現実に描くのであれば、やはり白と黒のニ色がしっくりきます。

「恍惚」は、私の憧れでもありました。
深い快楽の瞬間に落ちて行く様を描きたかったとも記憶しています。
当時は、迷路のような人生の道にたたずんでいる状態で、
心の中は「恍惚」とは全く逆の心模様だったと思います。
「悶々」という感じでしょうか。

絵は時にその紙面上のみで、夢を叶えてくれることがあります。
それはいつか現実のものとなりうるという希望を抱いて、
儚い夢のように、未来の自分へ託されて行きます。

2009/12/01

時は流れる~Dreams~

「時は流れる
同じ時はないのに 何故か同じような流れにのって 日常はくるくる回る
素晴らしい1日 花のように美しく 儚い日々 」


ある日、お皿洗いをしていて思いついた絵です。
ふとした日常の中に、「絵の種」は沢山見つかります。

同じような事を繰り返し、掃除や洗濯、お皿洗い・・
エンドレスな家事を毎日こなして、
あっという間に過ぎてしまう1日。
仕事に追われて、矢のように過ぎてしまう1日。
同じ時間や1日なんて1秒たりとも存在しないのに、
毎日が同じように感じてしまう、
それはなんだかとてももったいない気がしていました。

特別でなくてもいいから、1日を大切に過ごしたい。
儚い夢でも、人生は前向きに生きて行きたい。
そんな希望を抱きながら、大切に仕上げた絵です。
普段は点描など大変な描写が多いのですが、
この絵は比較的楽しくのびのびと描いた記憶があります。
せめて絵の中では、
自由に生きていたい、という思いがあったのかもしれません。

絵は時に、魂にだけ自由を与えてくれるように思います。
身体は様々な事に拘束されていても、
魂は自由に、好きな時間や場所を行き来できるような気がします。
時々、頭の中で様々な夢や風景を描いてボーっとしてしまうのは、
それが理由、かもしれません。

2009/11/11

次へ~Lovers~

「次の生へ また逢える」
これは、亡くなった祖母のために描いた絵です。

小さい頃、私はほとんどの時間を祖父と祖母の家で過ごしたので、
その頃の温かい記憶には、大体祖父母が存在しています。
絵を描く喜びを最初に教えてくれたのも、祖父母でした。
大事な存在である祖母の死に直面した時、
私は胸の奥深いところで、何かが崩壊するような音を聞きました。
そして、その事実に耐えられない弱い自分がいました。

悲しみや苦しみを克服するために、
あるいは「死」を自分の中で美化するために、
その事実を客観的にみつめるために、
・・理由はいろいろあるけれど、まず祖母に対して、花むけになる絵を描きたかったのでした。
 祖母は亡くなるその時まで、美しい黒髪の持ち主でした。
祖父のところへお嫁に来た当初はとても可愛かったと聞いています。
年老いても私を懸命に育ててくれたその人生に対して感謝の気持ちを表すには、
その時の私には「描くこと」しかありませんでした。

 ~祖母は今から美しい場所へ行くのだ・
そしてそこは人間は誰でも通る場所なんだ~と思いたかったのです。
そして、その思いを描いてみれば、
その美しい場所が本当に存在すると、信じられる気がしました。


思い出深い1枚です。

2009/10/30

山葵~nostalgia

私は猫好きで、愛猫は山葵(ワサビ)というメス猫です。
毛色はサビと呼ばれる種類で、別名べっ甲柄(トーティシェル)とも呼ばれます。
黒と茶とオレンジとベージュの四色が絶妙に絡み合った、
なんとも奥深い色合いの小柄な猫です。

そのお月さまのような大きな瞳は初対面の時から魅力的で、
顔に斜めにかかった黒い線がとても印象的でした。
綺麗な猫だと思いました。
そのインスピレーションから、「山葵」は生まれました。

「山葵」は夜と朝、月と太陽、陰と陽を表しています。
光の中で悲しみ、暗やみの中で微笑む。
それは日常の中で感じているある種の感情の断片でもあります。
「山葵」は小さな絵ですが、
私にとってはとても大きな存在です。