2010/12/31

サビ猫姉妹が教えてくれたこと

あずきが亡くなってから、
まだ霧の中をさまよっている感覚に陥ります。
年末の慌ただしい町に出ても、
その場所、その時間と自分自身の乖離を感じます。

新しい命に出会いました。
わさびと同じトーティシェルのふわふわの毛並みの子です。
これはあずきが引き合わせてくれた縁だと思い、
私達はこの子と一生生きて行く決心をしました。

トーティシェル=鼈甲柄、またの名をサビ猫といいます。
猫好きの方は良くご存じですが、
そうでないとピンとこない柄です。
私自身も、わさびと出会う前は良く解らず恥ずかしながら小さな偏見ももっていました。

ルックスや、見た目でその内容や人格までも想像し判断してしまうのは、
人間の愚かな部分であり、悲しい性だと思います。
そんな中で、サビ猫はその見た目から、
捨て猫が多く、貰い手も少ないと聞きました。
サビ猫はその殆どが女の子です。
サビ好きとしてひいき目に言えば、賢くて順応性が高いように思います。
その鼈甲と言われる柄も、光によって様々な風合いを出しとても美しいのです。

くるみと名付けたその小さな女の子は、
大変わさびと似ています。
しかし、その行動的で躊躇ない性格から、わさびより少し賢いかも・・と思っています。

縁あって我が家にはサビちゃんが2匹になりました。
なかなか魅力の伝わらない、とっても魅力的なトーティシェルの姉妹。
 少しでもトーティの子たちの持つ魅力が伝わればいいなと思います。


そしてもう一つ、
人は人を判断する時にその外見の第一印象が殆どをしめ、
その印象の良し悪しが最後まで残ってしまうとも聞いた事があります。
それはほぼ無意識の中でなされている行為なので、
自分でも気付かず、たった一目の印象で
自分の狭い価値観の枠に人を収めてしまっているのかもしれません。
それはとても残念な事に思うのです。

サビ猫はその柄で嫌厭されても、性格は他の猫ちゃんと変わらない、
可愛い子たちばかりです。
それが見た目で、生死さえも分けてしまうかもしれないというのは、
本当に悲しい事だと思います。

人に対してもそのような事が無いように・・・
トーティ姉妹が本当に大事な事を教えてくれた気がします。

2010/12/24

幻影

悲しみがこんなに深いものかと、
身をもって痛感しました。

時間が癒してくれるのをただひたすら待って、
日々のやるべき事に、今は身を委ねるしかありません。

それでも、あずきの小さな幻影はいつも私の視野の片隅に静かにたたずみ、
「あ~」と鳴いていた可愛い声が今も聞こえてくるような気がします。

悲しみと愛情と、一緒に過ごした楽しかった日々の思いが、
混沌として頭の中で渦を巻いていたものが、
時間の流れとともに、悲しみだけが蒸留され、
静かに頭の中から蒸発して行き、
愛情とその日々だけが濾過されて残っていくような気がします。
けれど、時にそれが反対のような感じもしてしまいます。
深く冷たく突き刺すような寂しさと悲しみだけが、
ずっと留まって離れないこともあるのです。

「死」というものは何なのか、
あずきは小さな体で私達に教えてくれました。
共に生きるとはどういうことなのか、
命に対して責任を持つとはどういうことなのか、
愛情を惜しみなく注ぐとはどういうことなのか、
一心不乱に守りたいと思い気持ちはどういうものなのか、

悲しみの深い闇に落ちて行くとはどういうことなのか

また、そこから這い上がる過程とはどういうものなのか


それでも、あずきは私達の元から、
本当に早すぎるぐらいに
流れ星のように一瞬で去って行ってしまったと、
その寂しさが癒えません。


あずきと出会った坂道を通る時、
街頭に照らされてヨチヨチと歩み寄ってきたあずきの幻影を、
私は心の中で見つめながら、
ただ時間の癒す力を信じるしかないのです。

2010/12/08

12/7さようなら あずき

6日夕方、ぐったりとして明らかに弱っているあずきをみて、
もう駄目かもしれないと、連れ合いと極限の緊張状態で病院へ連れて行く。

症状は「脱水症状」だった・・私のミスだ。水を飲ませる量が圧倒的にたりなかった。
もう舌を動かすのもやっとのあずきに、注射器で水やミルクを与えるのが、
正直怖かったというのもあった。
先生が背中から輸液をしてくれると、
それまでぐったりとしていたあずきが、ひょっと一瞬覚めたような顔をした。
明らかに持ち直してくれていた。
私は深い反省と罪悪感とともに、あずきのその様子に少しの安堵をもらい、
その日は帰宅した。
あずきのせなかは輸液でふくらんでいてちょっと太った様に見えた。
これで24時間は大丈夫だという。あとは私達が精一杯お水やミルクを与える事だ。
少なくとも50mlは、必ず。


7日 明日は仕事で一日開けてしまう為、母にあずきをお願いしなければならない。
その為に母と一緒にあずきのお世話の練習をするつもりだった。
母もこれまであずきを可愛がってくれ、一緒に育ててくれた。

昨日のうちに、あずきの看病のための24時間スケジュール表を作り、
きめこまかに、全身全霊で世話をするつもりだった。
必要なものももっとストックをふやして、
出来る事はなんでもやってあげようと思った。
午前はミルクを10mlなんとか飲んでくれた。
ミルクの雫が小さな口に滴ると、舌がかすかに動く。それが救いだった。

午後2時過ぎに母と二人でミルクを与えた。
相変わらずあずきはぐったりとしているが、その時は呼吸が何だかおかしい事に気付いた。
小さくぜぇぜぇといっている。
それでも水分と栄養補給はしてもらわねばならない。
小さな口にミルクを1滴、2滴・・・少しづつでも飲んでくれている。
根気よく、ゆっくりと、気長に、集中して、ミルクを与えていたその時だった。

あずきは突然痙攣のような発作を起こしたかと思うと、
大きく深呼吸をして、それから動かなくなった。
目の眼振もとまっていた。
その時は私も母も気付かなかった。
「なんだろう?」「おかしいね、あずき?あずき?」

それは静かなおとずれだった。
理解した途端に、涙がせきを切って溢れ出た。
悲しかった。寂しかった。
おつかれさま。と声をかけてやりたいが、
まだそんなに、疲れる程、生きていないではないか。
あずきは、病気で苦しむ為に産まれてきたのではないのに、
なぜ、こんなことに・・・

あずきは男の子だったから、
てっきり、5キロもこえる大きな猫になるだろう、と想像していた。
先住のわさびは気難しい猫だが、
このキュートでフレンドリーなあずきならなんとか仲良くやってくれるだろう、
実際、2匹は近づきつつあった・・
そのうち、猫団子も見れるだろうし、
「家族2+2匹」でにぎやかな毎日が、これからもずっと続くのだろうと、
勝手に想像し、楽しみにしていた。

もうそれは叶わない。
儚い夢に終わってしまった。

それよりも、更に辛いのは、あずきの一生がこんなにも、
桜が散るように儚いことだ。
彼は夏に産まれた。
しかし、殆どを寒い秋冬ですごした。
寒い思いばかりさせてしまった。
春の暖かさや、夏の爽やかさを知らないで
逝ってしまった・・・・・・

2010/12/06

アズキ闘病記2

昨夜は激しいテンカン発作も無く、丸まっていた身体が少し伸びていた。
私はこの様子を、衰弱してしまったと慌てていたが、
連れ合いはむしろ落ち着いてきたのではないか、と言ってくれた。
確かに、呼吸も安定し、短距離を走っているかのような昨夜の心臓の鼓動よりかは、
随分と穏やかな鼓動になった。
目をつむっている顔が子供の様で、大人びている様でなんとも可愛らしい。
私達は普段、まだアズキが家をかけずりまわっていた頃、アズキの寝姿を見る事はなかった。
私達が近づくと、どんなに熟睡していても、眠そうな目を一生懸命開けながら、
大きな声で鳴き、遊んでとせがむのだった。

まさか、こんな形で、アズキの寝姿を見る事になるとは・・・・・・・

今朝、アズキはまた体勢をかえていた。
腕枕をして少々丸くなっている。
多少なりとも、動く事ができるのだろうか。奇跡よ起こってくれ、と連れ合いと二人で思う。

朝は起きると、一目散にケージに行く。
アズキが呼吸をしているか、冷たくは無いか、あらゆる不安が、
アズキの温かな体温で払拭される。
不安と供に起き、アズキに触れてやっと安堵する。
そんな日々がこの先、どのくらい、続くのだろう。
続いて欲しい。何時までも。
ただ、正直、私は耐えられるだろうか。
この不安と、寂しさと、恐れと、後悔と、虚脱感と、
とにかくありとあらゆる負の感情がとぐろをまいて襲いかかる毎日に。
救いは、アズキの体温と、呼吸、鼓動。
そして、いつまでも変わらない愛らしい顔それだけだ。

時々、アズキはふぅ、とため息をつく。
目から体液のような透明な液体が漏れてきた。
ティッシュで拭っても、あふれてくる。
私はそれが、何だかアズキの涙の様に見えて、
とても切なくなってきた。
まだ、私達のそばに居たいと、言ってくれているようだった。

アズキ、ごめんよ、こんなことしかしてあげられなくて・・・

何も出来ない自分に、大きくて深い憤りを突き刺すように感じ、
いつものように、涙がとめどなく、あふれ出てきた。

アズキ9月撮影

2010/12/05

アズキの闘病記1

このアズキの闘病日記がずっと続きますように・・・・・・・


退院、3日目の朝。
昨夜は痙攣発作が酷く、身体があらぬ方向にまがったり、身体が強張ったり、
とにかくつらそうなので、
少し早かったが、抗けいれん薬を連れ合いと二人で必死に飲ませる。

アズキはもう、自力で動く事も無く、
食事も出来ない。しかし、薬だけは飲ませなければならないので、
二人でアズキを抑え、口を開け、少しずつスポイトで飲ませた。

今朝、震えも小さくなり、落ち着いた様子で安心する。
アズキが返ってきてから、夜もあまり眠れない。
次の日、冷たくなっていたらどうしようと、自分自身が冷や冷やしている。
食事もおいしく感じなくなった。
面白い事や楽しいと思われる事も、素直に反応できなくなった。
アズキを助ける為には、アズキは苦しんでいないか、
アズキ、アズキ・・・頭の中はそればかり。

9月に出会って、300グラム程の小さなアズキを、
慣れない手でミルクを必死に飲ませ、育てた。
毎日の景色が180度かわって、生き生きとした。
回虫の駆除に四苦八苦したり、ワサビとの関係に悩んだりした。

家の中をこれでもかというぐらいに走り回るアズキが、
本当に可愛かった。

これを記録している今も、涙が止まらない。

以前、「愛しのチロ」の作者、荒木氏の「チロ愛死」や、
自身の猫達との出会いや別れを独特な視点で綴った、町田 康氏の「猫にかまけて」「猫のあしあと」を読んで、号泣したが、
現実が、別れの予感や不安が、こんなにも辛く切なく、
身を引き裂かれる思いとは、想像を絶した。
自分の想像力なんて、こんな程度のものだ。

今そこにある「現実」は、本当に悲しい。
私から見える世界をまた別世界に変えてしまった。

アズキはもう自分で食事ができないので、
朝に1回ミルクを5mlなんとか流し込んだ。
時折、口を動かした事が何よりの救いだった。

ケージの中でブランケットに包まれながら、小さく震えている。
大丈夫か、アズキ?何度も何度も話しかけて、身体をさする。

随分痩せてしまった。小さな身体は骨格が分かるくらいになってしまった。
一生懸命、体重が増えたのにね。11月にはやっと1キロになったのに、
今はもう痩せていく一方だ。

出会った頃にまた戻ったように、私はミルクを溶かして、
スポイトで飲ませている。
出会った頃のように、また小さくなってしまっても、
私の愛情は変わらない。

アズキ9月撮影

アズキの入院

アズキと出会って4ヶ月あまり。
まさかこんな運命が待っているとは思わなかった・・・

入院6日後病院へ行く。
医師が言うには、抗けいれん薬を投与しないと、けいれんが始まってしまい、
それは脳にウィルスが侵入した為に起きていて、
あまり良くない状態なのだという。
細密な検査をしたが、コロナでもトキソプラズマでも無く、
ウィルスが特定できなかった。
また、治療法が無い為、これからも抗てんかん薬を内服し続ける等、
対処療法しかない。


アズキに久々に会った。
診察台のアズキは、ベタリと寝そべったまま、動かない。
しかし、餌を持ってくると、皿の中に顔をうずめて、小さくもぐもぐと口を動かしながら、
餌を食べようとしている。
ときおり、唸り声をあげているのが痛々しかった。
はっきり言えば、もう前のやんちゃで元気な面影はなかった。
しいて言えば、大きなくりくりした目がアズキそのものだった。
でもその目も、光をあてても変化が無い。見えていないらしい・・・・・・・・・・・・

アズキは夕方引き取りに行く事になったので、
連れ合いと一緒に、近くの井の頭公園を歩いた。

病院を出たとたん、緊張の糸がぷっつりと切れ、
私は号泣した。

けがれの無い純真な子猫がどうしてあんな目に合わなければならないのか、
運命を呪った。
偽りと虚構と薄汚いものに満ちた自分自身も呪った。
世界は、やはり、不公平だ。
本来ならば私のような人間が苦しむべきなのに・・・
アズキ、御免、御免、御免・・・・・・・・・・・・

連れ合いは泣かないといった。
アズキが天寿を全うするまで泣かないと誓ったという。
そうでなければ、今必死で生きようとしているアズキに対して、失礼だという。
もっともな意見だと思った。
どのような姿であれ、
アズキは懸命に生きようとしている。
それを悲しむだけというのは、輝く命そのものに対して、
なんと失礼な行為ではないか。
わたしは全力をかけてアズキを介護する決心を固めた。

幸い私の職場は住処と近い。
職場の人間の理解もある。
母が近くに住んでいるので、母も一緒に小さなアズキをミルクから育ててくれた。
母ももちろん、悲しむだろうが、協力してくれるだろう。

アズキ、辛いだろうけど、一緒に頑張ろう。

アズキ9月撮影

2010/11/30

アズキ…アズキ!!


新しいおトイレでも3回おしっこできて、
先住猫のワサビともだいぶ慣れて、少しプルプル震えても向かい合って座る事ができて、
食欲も旺盛で、たまにウンチを失敗するアズキ。

アズキが先日、歩行困難になり、痙攣とひきつけのような症状を見せた。
これは変だ!ということで、
日曜日だったが緊急で検診してもらった。
(動物病院の先生、大変ありがとうございましたm(_ _)m)

診察台の上で、力を振り絞りながらシャーっといっているアズキが痛々しい・・・
鎮静剤を2本、小さな身体に打つと、じょじょに静かになった。

私達には何をする事も出来ず、
珍しく、連れ合いが涙ぐんでいる。
私が勝手に拾ってきた子猫で、当初は不満そうな顔も見せていたけれど、
3ヶ月経って、愛着がわいてきたのだろう。
別れ際、小さな小さなアズキの額を何度もさすっていた。

3ヶ月・・・この世に生まれおちてまだ3ヶ月。
私達はこの子に何か良い事をしてあげれたのだろうか?
ひょっとしたら、私自身の日頃の行い、心構えが悪かったせいではないだろうか?因果応報というではないか・・・などと悶々考え、何をやっても、何を聞いても、何を見ても、頭の事はアズキの事ばかり。
「声らしい声」を聞かぬまま、
立派に成長したアズキの精悍な姿を見ぬまま、
このまま終わりたくはない。


今は祈るだけの日々が続いています。

2010/11/19

枯れ果てるまで生きてほしい

先日の仕事の帰り、ふらっと本屋に立ち寄りました。
何気なく写真集等のコーナーに近寄り、ふと下段に目をやると、
「チロ愛死」という写真集が。

「愛しのチロ」は写真家 荒木経雄氏の言わずと知れた有名な本ですが、
そのチロが?

中を見て、閃光に射抜かれたような衝撃を受けました。
今にも天国へ召されようとしている、痩せ細ったチロの姿に衝撃を受けた、というのもありますが、
それよりも何よりも私の胸に日々纏わりついて離れない、
愛猫の死、そのものがそこにありました。

愛されて愛されつくして召される猫の姿
ガリガリに痩せて今にもその小さな鼻息が聞こえなくなりそうなのに
瞳はずっと月のように輝いていて
その神々しい月光の中で
いつまでも照らされていたいと思う


胸が詰まって思わず本屋の中で涙しそうになり、目を何度もパチクリする自分。
それでも鼻水が出てしょうがないので、
鼻をすすりながら、呆然とその写真集を手にしていました。

可愛らしく愛くるしい猫を被写体にしたハートフルな写真集は沢山あります。
でも、こんなに胸に迫り私を一瞬にして何処かに連れ去る写真集は今までありませんでした。
何よりも、自分の愛猫達の姿をそこに同一視してしまう。
いつか来る死を頭では理解しつつも、感情が許さない自分への、
運命から突き付けられた真実の姿にも感じました。

私も、私自身の身そのものにもいつか訪れる、死。
たかが猫といわれても、私にとっては家族同然の存在です。
その死を受け入れる自信が今でもありません。
しかし、その写真集を見て、私も心の準備を、今からしておかなければ、
その時に、自分の心身に大洪水が起き、崩壊するのが目に見えてきます。

私は写真集を購入しようか迷いました。
が、その時は決断できませんでした。
と同時に、私は、いざ愛猫達の「死」に直面する時に、
やはり自分は耐えられないかもしれないと、
再認せざるをえなかったのでした。

写真家アラーキーの写真集なので、所々に官能的なページもありますが、
その少女や熟女のヌードと、
痛々しく切ないチロの姿が、
交互に網膜に飛び込む度自分の核心部が揺さぶられ、
そのエロスとタナトスのコントラストが眩しく、繊細で、どうにも悲しすぎて、
愛猫の「死」をより鮮烈に想像させるのでした。

その日の帰り道、写真集を手にできなかった私は、
脳裏に焼きついたそのコントラストを心の中でずっと咀嚼しながら、
涙を流し、鼻をすすってトボトボと歩き、
家にかえって、クロチビのアズキと、美猫のワサビの背中を撫でながら、
やっぱり私はその時、耐えられないかもしれない、
と再再認してしまうのでした。
しかし、その命が燃え尽きて、枯れ果てるまで生きてほしい。
そしてその瞬間まで、ずっとずっと一緒にいさせてほしい、と心からそう思いました。

大切なものは、それらを多く持っている程、
失う時の悲しみも多く、深いものです。
家族も、友人も、そして愛猫達も、
いずれはお別れする日が必ずやってくる。
その時、辛くて耐えられない日々もやってくるだろうが、
それも含めて、私の生きている「人生」そのものの世界なのだと、
あらためて考えさせられた日でした。

2010/11/09

その時私は耐えられるだろうか

久しぶりに酷い風邪をひいてしまいました。
病気になると、事更に心細くなるものです。

いつもいないはずの私の存在を不審に思ったワサビはたえず私の傍にいます。
時々寄り添ったり、時々遠くから眺めてみたり・・・
病気で弱り切っている私にとっては、
言葉を話さない(ついでに看病や家事をしてくれるわけでもない)ワサビでも、
とっても大きく頼りがいのあるものになります。

布団で寝込みながら傍で無邪気な寝顔を放つワサビをみてふと心苦しくなりました。

この子が居なくなった時、果たして私はその寂しさ、苦しさに耐えられるだろうか・・・

動物は、私達より先に逝ってしまう運命であり、それは変えられない事実です。
それは頭で解っているつもりなのですが、感情がそれを受け入れようとしません。
その葛藤で、私は発作的に悩むことがあります。

布団に寝そべり天井を見ながら涙がうっすら出てきました。

体調の悪さは、心理的なものにも随分影響するというのは良く聞きますが、
ほんのちょっとの空想が、妄想になり、それに取りこまれてしまう様では困ります。

このように感傷的になりすぎるのは、
半ばこの憎き風邪菌のせいだろうと考え、
その日は寝る事に集中することとしました。

2010/10/25

もう染み込んでいる

時々見る夢です。
混雑して熱気立つ店内に、
商品構成や展開をあれやこれやと考えながら徘徊する自分。
すると突然レジが壊れてしまい、慌てる店員と殺気立つ店内。
慌てて直そうと試みるがどうしても上手くいかない・・・

現実に過去にあったことかもしれません。
私にとっては悪夢です。
またこの様な夢も見ます。

職場へ行ったら、他の従業員が無言で抗議めいた眼差しを向けてくる。
何だと思ったら、私は入りの時間をすっかり間違えていた。
大きく「遅刻」していたのだ。

これも現実に過去にあったことかもしれません。
私にとってはやはり悪夢です。

激しく動悸をおこしながら飛び起きると、
それが夢であった事に気付き、本当に安堵します。
たわいのない日常の一片が再現されたに過ぎないのですが、
私にとっては、現実のその日をも揺さぶる程の「悪夢」なのです。


今であればワーカーホリックだったと思います。
自分は倒れなければ、仕事は休めない、
仕事を休むためには、倒れなければならない、
その為に、更に激しく仕事に没頭する自分がいました。
結論申せば、休みたいが故に、倒れる為に、働いていたといえるでしょう。
しかし、そんなに自分は軟ではありませんでした。
そんな状況が約4年続きました。

今思うと、それは決して心身共に健全ではなかったと思います。
「仕事」は熱意にこたえて順調に走り、結果も出してくれましたが、
それでも、良くやったねと素直には褒められない。
その時に経験した、数々の小さな葛藤や不安感や、
何よりも自分で自分を追い込んでいた自虐的な情景が、
時々「悪夢」となって今でも私を動悸つかせるのです。

後遺症とでもいえるかもしれません。
それは、今の自分対して感じる事です。
前職よりもマイペースで働けて、自分の時間が持て、猫たちとも暮らせている今、
それでいいのかともう一人の自分が時々囁きます。
{以前のようにもっと働け、もっと忙しく生きろ、それこそ絵も描けない程に}
そうなると、はたしてこのままで良いのだろうか、とたちまち不安に思うのです。

そんな時は、今やるべき事に向き合ってみる事にしています。
エンドレスな家事にしても、簡単な入力作業でも、
猫との他愛のない遊び一つにしても、
今あるその事に対して、正直に向き合ってみる。
どんな些細な事でも、私にしかできないことであって、
私がやらなければ誰もやってくれません。
それは、前職の時も同じで、似たようなある種の正義感と使命感でその時はがんじがらめになっていました。
今あるものは、他者の厳しい目や、自分の中の意地や自虐要素が少ない分、
質感がちょっと違います。
これが健全な頑張りとそれに伴う達成感なのか、と改めて感じる時があります。

時々みるそれらの「悪夢」よりも、
本当は絵を描く自分を置き去りにしていた、
その事が一番の「悪夢」であり、
「倒れたい」気持ちは、その自分の悲痛な悲鳴であったと今になって思います。

もう自分で自分を煙に巻き、迷宮に迷い込ませたくはない。
あの頃の懐かしい感覚に浸食されながらも、
何度もそう自分に言い聞かせていました。

2010/10/23

晴天の中曇り空

こんなに良い天気なのに、心の中はいささか曇り空。
人は他者や環境・社会などに様々影響を受けて、
少しずつ変容しながら、でも変わらない場所はいつまでも変化なく、
微妙なバランスで持って橋渡りをしているように思います。
そんな中で、多少の不調は当たり前と思っています。

それでも自分の中の、いわゆる薄汚い部分や黒い部分はあまり見たくないものです。
自分は決して真人間だとは微塵も思っていませんが、
それでも、暗黒の形相があからさまに姿を現すのは好ましい事ではなく、
私の中の良心がそれを阻止しようと躍起になり、
それが心の中で葛藤となるのです。
その情景が、この眩しいくらいの晴天と、心の曇り空の対比そのものです。

多かれ少なかれ人は心に幾つもの矛盾と葛藤を抱えて、
それらと日々折り合いをつけながら、
それも自分を構成している大切な一部に過ぎないと思って生きていく。

私のやりこなし方は、
黒くて甘い餡子をさっぱりとした薄皮に包んでパクッと食べてしまう、
そのようなイメージでしょうか。

しかし時々、傍にふわっとたたずむワサビの心が羨ましい。

2010/10/19

アズキ、体重が2倍に

新入りのオス猫、アズキです。
子猫はとても可愛いのですが、こんなにお世話が大変だとは思いませんでした。
先住猫のワサビがすごく大人に感じます。

9月に私がアズキを拾った時は300グラム。
それから体重も二倍に増えました。

時々ワサビと会うと、シャーと威嚇されて、目をまん丸くしていますが、
ご飯もモリモリ食べ、沢山遊んで、いささか元気過ぎて困っています。

この子の一生を見続ける覚悟を心に約束した時、ふと思ったのは、
人間では幼少期から老年期、
そして死まで、1人の人間が他の人間を連続してみることは不可能ですが、
この子たちの一生は長くても20年程で終えることとなり、
その幼少期から死までを全て見届けるということは、
本当に感慨深いものだということです。

そしてそれは私達飼い主にとって、楽しみで充実した日々ということと供に、
別れは想像を絶する程に、
寂しいことであり、悲しいことなんだと思います。

アズキがおじいさんになる頃は、私も中年期後期をてくてくと歩んでいる頃、
その時は今よりも、私の精神力の耐久性が心配ですが、
そんな先のことよりも、
今ここでお腹が空いたぁ!とワ―ワ―鳴いているアズキと、
アズキに少し嫉妬していつもより甘えてくるワサビのお世話をすることに気を向けて、
そんな日々を毎日、毎日変わらずに過ごしていけたらと思います。

2010/09/26

小豆まめ

暑い暑いとうだっていた日々は何処へ?
次の日には、急いでフリースのジャケットを箪笥の奥から引っ張す始末。
ワサビも猫ベットから離れず、これでもかというくらい丸くなって寝ています。

私の生活にも大きな変化が有りました。
それこそ、今年の記録的な酷暑からこの寒さのように、いきなり、突然に。

その小さな黒猫は、薄暗い夜道にほんのり街灯に照らされて、
ヨチヨチとやってきました。
ミャアミャアと小さく、繰り返し鳴きながら、私に向かって歩いてくるように見えました。
そして足元に手を伸ばしながら更に激しく鳴きました。
小さく、ガリガリに痩せた子猫でした。
「一緒にいこうか?」
そう話しかけました。

1か月になるその子猫は、通常あるべき体重の半分程しかなく、
風邪をひいていました。
そしてその虚弱な身体には、無数のノミやダニが・・・。
このか細い身体から、まだ血を吸うのかと思うと、腹が立ってきました。
翌日には病院へ行き、すぐさまノミと回虫の駆除をしました。
それから元気と体力を付ける為に、5時間おきに食事やミルクを与えました。
骨ばった小さすぎる身体を撫でながら、涙が出てきました。

それから約3週間。寝不足を我慢しながら、お世話をしました。
今では元気に飛び回っています。
まだジャンプはできないし、カリカリ御飯も上手く食べれない。
それでも、毎日少しずつ出来る事が増えて行きます。
そんな姿を見ると、本当に励まされます。

名前は「アズキ」と名付けました。
出会った時、真黒くて小さな身体が小豆まめのように見えた事と、
「ワサビ」のツンとした性格とは対照の「あまったれ」だからです。

まだまだ、充分に見守っていかなければなりませんが、
とにかく元気にのびのびと、大きく育ってほしいと思います。
その為に、今日も私は寝不足で、趣味の時間を返上しています。

2010/09/04

夏の困りごと

私の部屋にはエアコンがありません。
毎年のことなので、今年も扇風機で行くつもりでした。
そして、夜になれば涼しさも増し、じっくりと絵を描けるはずなのですが・・

今年の暑さはやはり、何かが違います。
夜になっても気温が下がらず、暑い!
扇風機では追いつきません。
それでも意を決して、首に冷却タオルをまき、
氷水とアイスコーヒーを用意して、扇風機をかけまくり、
部屋を閉め切って描き始めました。

しかし1時間も経たないうちに、頭がボーっとしてきました。
身体の熱が段々とこもってきて、放熱仕切れなくなってきた感じが辛くなり、
クラクラとしてきたので、流石にこれはまずいと思い、
描くことを断念しました。
こんな夏は初めてです。

緻密な作業をしている時は、冬場でも汗が滴り落ちてくるので、
ましてや猛暑が続き夜も気温が下がらない日々、
エアコンの無い部屋で絵を描くのは至難の業となってしまいました。

9月に入り、九という字の持つ、
秋を思い起こさせる涼しげなイメージに少し騙されつつ、
辛抱しながら蒸し風呂のような部屋の中でコツコツ描いております。

描き終えた後に、汗だくで外に出ると、
まるでクーラーのきいた部屋のような爽やかさ。
これならエアコンが無くてもいける!と不思議な錯覚をおこしています。

2010/08/27

共に生きる


ワサビはボランティアさんから譲り受けた猫です。
家に来てもう3年目になりました。
別に換算しなくていいのだけれど、
人間にしてみれば、24才くらいです。
猫は2年目から人間にして4才づつ歳を取っていくそうです。
そうすると、あと3年もしたら、私達を抜いてしまうのか・・と
寂しいような気分にもなり、
このような事はできれば考えない方が良いのでしょう。

可哀そうな野良猫が、病気を患って、すみません、ちょっと休ませて下さい・・
という感じで共に住むことになった子とは違い、
ワサビはお母さんと離れて、遠い遠い道のりををやってきました。
家に着いた時は、それ以前も、ずっと無口で、
この子は鳴けない子なのでは?と思った程でした。
抱くと目をまん丸くして小さく震えて止まらないので、
なにかいけない、悪い事をしているように思い、
申し訳ない気分になったりもしました。

それでも猫の適応力は素晴らしいものです。
運命の享受とでもいいましょうか、
私たちとも2日経たないうちに段々と打ち解けてきて、
可愛い声も聞かせてくれるようになりました。
「外に出たい!!」という我儘も言わず、悪戯もせず、
トイレも初日から失敗なく行えて、本当に良い子が来たと二人で喜びました。
あまりに臆病すぎて、人に懐かないのがたまに傷ですが、
健康でおとなしく、マイペースに過ごす姿に日々安らぎを貰っています。

時々、外にいる野良猫たちが野原を駆け回っている姿を見ると、
それを窓から眺めているワサビに向かって、
「ここにきてよかったのかな?」と問いかけます。
その問いかけに関して、もちろん言葉での返事はありませんが、
小さく鳴いてみたり、尻尾をフラリと振ってみたり、
彼女なりに「まあ、いいんじゃないの?ご飯もまずくないし」
という返答をしているみたいです。

 寿命は消して長くないかもしれないが、
自然の中を自由奔放に歩く野良猫たちを見ると、
本当の幸せはいったい何なのか?
そのような問いかけに自ら迷路に入り込んでしまいます。

自然に生きるとはどういうことなのか?

ワサビ、この子は幸せなのか?

小さな身体をさする度に、そんな思いが私を包みます。

そして、{出来る限りのことはしますから、共に生きて行かせてくださいね}
ワサビに心の中でずっと話しかけていました。

2010/08/18

蝉と蝶

とろとろに溶けてしまいそうな猛暑の日、
いつも通る坂道の真ん中に、蝉が一匹、仰向けになって死んでいました。
羽根も身体も、まだ死んだばかりか、とても綺麗です。
連れ合いが、このままでは車にひかれて潰されてしまうと、
道の脇、涼しげな木の木陰に蝉を移動させました。

「コンクリートの上では、死んでも土に戻れず寂しいものだね」
 そんな言葉を交わしました。

翌日の朝早く、幾分涼しい日でした。
また同じ坂道を上って行くと、小さな猫が一匹向こうからトコトコ歩いてきます。
何か見つけた様子で、それに向かって真っすぐに歩んできます。
猫はあまり食べていない様で、痩せていました。
猫の視線の先には、1匹の蝶。
羽根もボロボロに、それこそ虫の息で必死に草木にしがみつく、黒アゲハでした。
羽根をゆっくりと動かしていますが、もう飛べそうもありません。
しかし、猫もお腹を空かせている為か、
その蝶を懸命にいじくっています。
食べたら中毒をおこしかねない蝶でも、
その猫は食したい程、空腹だったのでしょうか。
私は、その両者が何だか切なく見えて、後ろ髪をひかれる思いで、仕事に向かいました。

その日の夕方、仕事を終えて帰路、その坂道を下る時、
うすぼんやりとした空気の中に、黒いものがヒラヒラと道になびいています。
近寄ってみると、それは朝に出会った瀕死の蝶でした。
羽根は更にボロボロで、見る影も無く、
無残な姿で死んでいました。

このままでは車にひかれたり、ふんずけられて、更に可哀そうだと思い、
その蝶を持ち上げようとすると、なかなか動かない・・。
すでにお腹の一部が少し踏まれていて道にへばり付いています。
それでもなんとか、蝶を持ち上げて、
土のある、小さな木陰に移動させました。

「コンクリートの上では、死んでも土に戻れず寂しいものだね」
先日の会話が、その時、私を突き動かしていました。

せめて土の上なら、他の生き物の栄養となるかもしれないし、
土の栄養となり、新たな植物の糧となるかもしれない。
道路の上で、無残に踏みつぶされ、粉々になり、
行くあても無く吹き飛ばされるより、
遥かに土の上での死は温かく、次の「生」を感じさせるものです。


「無縁社会」と呼ばれる現在、
孤立死を迎える人は、年間3万人以上といわれます。
私ももしかしたら、何十年か後、この蝶のようになってしまうかもしれない。
小さな蝶の死は、やがて来る自分自身の死へと繋がってゆきます。
その時、せめてこのように、土に返れるような死でありたい。
私は蝶を救いたかったわけではなく、
自分自身を救いたかったのかもしれません。

2010/08/12

65年

とても幼い頃、友人と友人のお母さんに連れられて、「はだしのゲン」を見に行きました。
友人は恐ろしさに泣きじゃくり、私も幼心が大きな不安と恐怖に包みこまれたのを覚えています。
同時期に、「ピカドン」という絵本を見て、衝撃も受けました。
何度も読み返して、言い様の無い恐ろしさにかられ、
飛行機が空を通ると、その都度机の下に隠れていたのを思い出します。
戦争体験の無い幼い私でさえ、空想の中でもその恐怖や絶望感は大きく心を揺さぶりましたから、
体験者でおられる方々の心中は、想像を絶します。


「戦後65年」といわれ、この夏は特に戦争体験やその実情を知る機会が多いように感じます。
私の祖父は、今生きていれば100歳を越していますが、
いつも朗らかで優しく、私を一番可愛がってくれた人でした。
ついに戦争の話を聞くことはなく随分前に他界してしまいましたが、
最近になって、古い古い写真が何枚も出てきて、
その中に軍服姿の祖父が銃を持っている写真を発見しました。
茶色く古ぼけたその中で、うっすらと笑みを浮かべている青年は、
紛れも無く祖父でした。
この時、どんな思いで、どんなことを考えながらいたのだろうと、
それをもう聴く事が出来ないことに、寂しさを覚えました。

驚いたのは、私よりも若い人達の中に、
日本が戦争をしていた、という事をしらない人達がいるということです。
幾つもの悲しい事実を繰り返し思い、考えることは容易なことではありませんが、
同じ悲劇を繰り返さない為には、やはり事実を知ることがとても大事な事だと思います。
その為には、私達世代もしっかりと自ら知ろうとし、学ぶことが必要に思います。

と言っても、私自身、そのことに気付いたのが、
恥ずかしながら、ごく最近のことです。
祖父がまだ生きていた頃は、私はまだ20代半ば。アイデンティティもままならず、
自分中心で必死でした。
その時に、軍服姿の若い祖父の姿を目にしても、
それに対して、その時代のことを自ら問うたかといえば、
そんなことすら思い浮かばなかったでしょう。

現在、特にこの夏は、私でも解り易く戦後を知ることのできる特番が多く、
それは大いに学ばせてもらおうと思っています。
しかし、心にある核心は、
あの幼い頃に感じた、恐怖とも不安とも悲しみとも言える、
複雑混沌とした、あの感覚です。
言葉には言い表せぬあの感覚が、
無き祖父や祖母が体験してきた時代の、一種の片鱗ともしシンクロするならば、
私は辛くても、その感覚をしっかりと心に刻み、
それを定期的に繰り返し思うことが大切なことのように思い、
それが大好きだった祖父や祖母との出来なかった「対話」を、
時空を超えて、今しているように思えるのです。

2010/08/03

2010年FUJIROCK

今年も参戦しました。フジロック。
正直に言いますと、面倒くさがり屋の私は行く前の準備が苦手なのですが、
到着し現地入りすればそこはやはり変わらない「自然と音楽の天国」。
ここにくると普段の日常の、ありとあらゆるものが有難く感じられます。

屋根の下で食事が出来ること。眠れること。
お風呂に入れること。
トイレがゆっくり入れること。
夜でも明りが灯ること・・・etc
 

毎年12万人近く来場しているそうですから、
人混みも相当すごいのですが、
それは都会のものと質が違います。
皆、歩みは緩やかだし、人の事を考えて行動している。
ぶつかりそうになったり、間違って接触してしまっても、
「ごめんなさい」と自然に声がかかります。
今年で6回参加していますが、日常ホームや街中で見るもめ事を、
このフジで見たことはありません。
ゴミの分別も本当に主客共々頑張っているし、
メンタリティとタフネスが明らかに違う。
環境問題に関しては、レジ袋やエアコン問題が象徴しているように、
「自分一人がやったところで・・・」というような心理が働き、
その時の快適さを求めて、なかなかエコな行動に結びつかない難しさがありますが、
このフジでは、一人ひとりの、
「ゴミを分別する」「出したゴミをほったらかしにしない」などの小さな行動の積み重ねが、
大きな波となり、強い「意思」となって、
会場や道にほぼゴミが落ちていないという実にクリーンな状況を維持している事は、
とても興味深く、 人はやればできるんだ・という真実と証明が、
このイベントに凝縮されているようです。
「自分は分別する」「自分は捨てない」という志を日常でも持てるなら、
それはやがて大きな動きに繋がるだろうし、
何かが確実に変わっていくという期待が持てます。
これは環境問題に限った事ではなく、
あらゆる事にも当てはまる大切なセオリーのように思います。

「音楽」だけではない「何か」がきっと見つかるから、
フジはかけがえのないものであり、
その「何か」は生命を持つものすべてに内在している、
普遍的なものだから、
自然の中で、大勢の人々とそれらを分かち合い、確認し合い、
感じあえる事がこの3日間の最高の魅力のように思います。

2010/07/26

心の訓練

他者はやはり自分と違う人間だから、
その発する言葉によって、ひらめきをもらったり、勇気を与えられたり、
残念なことに、不意に傷付けられたりもします。

「言葉」に対し、怒りを感じたら、次のようにすると良いと教わりました。
・待つこと
・その怒りの理由を考えてみること
そして
許すこと。

待つことは、怒りの感情に押し流されずに、一歩立ち止まって客観してみることでしょうか。
私の場合は可能な限り、その場を離れたり、
身体的に離れるのが無理だとしても、心理的に距離をおいてみる努力をします。
そして、何故不快に感じたのか、それを内観してみます。
他者は大体において、故意に人を傷つけたりはしないと思うので、
怒りの原因は、まず自身の心の中にあり、それはコンプレックスだったり、
不安だったり、心配事だったりします。
その「辛い事」から目をそらさずに、解決できるにはどうしたらよいのだろうと考えてみる事は、
自分を見つめ直す良い機会にも転じます。

そして、これが一番難しいのですが、「相手を許すこと」。
相手も悪気が無いのなら、ふっと言ってしまった過ちなら、
もしかしたら自分も、何処かで人を傷つけている可能性が同じようにあるのです。
そこで、誰かの許しを暗黙のうちに得ているのかもしれません。
その心に敬意を表し、自分も真似してみる。
真似してみる事は、いつか「学び」に結びつき、
(「学ぶ」という言葉は、「まねる」から来ていると聞きました)
自分が人格的に成長するための大きな糧になると思います。

負の感情は連鎖しやすいが故に、誰かがどこかでストップしなければならないし、
それを実行している人がこの世の中には沢山いるから、
お陰で穏やかに暮らせて行けるのだと思います。

まだまだ成長過程の、更に底辺にいる自分ですが、
人生はある意味「修行」と思って、心のコントロールを日々鍛錬していきたい、
そう思います。

2010/07/23

はるか昔

先日見たテレビ番組での内容です。
我々哺乳類の祖先が何億年もの昔、まだ恐竜達が世界に君臨していた頃、
様々な試練を乗り越えて生き延び続け、今の私達の「命」に繋がっっている・という事を、
CG映像などをまじえて、理路整然と解り易く伝えていました。
太古の昔、小さくて弱い存在だった祖先達は、
その弱さゆえ、未完成ゆえ、生き延びて進化し続けてこられたといいます。
何億年もの時を経て、繋がっている「命」を、
我々皆が宿していると改めて認知した時、
周りにいる人々が、自分も含めて、今ここに存在しているという事は、
とても奇跡的な事なのではないか、と思いました。
繋がってきた命を継承できるかはさておき、
それが自然に果てるまで、断ち切ってはならない「絆」と感じました。
現在「自殺者3万人の社会」と言われ、
何億年もの時を費やして進化し届けられた大切な命を、
自ら断ち切らざる終えない状況を生み出してしまっている今日、
少し立ち止まって、気が遠くなるほどの大昔、
死に物狂いで必死に命を繫ぎ進化し続けて来た、
遠い遠い祖先に思いをはせてみることは、
自分という存在を確信する為に、とても有意義なことかもしれません。

「哺乳類が生き延びる為に、その「弱い存在だった」という事実が、
最も大事なことだった。
そして「未完成」であったゆえに、進化し続けることができた」
と番組では語られていました。
多大なストレス状況においても、生き延びる為にどうすべきか、
人間は常に思考を重ね、「脳」を大きくしてきたと言います。

私達は、その質や量はちがっても、
「命」を危険に陥れる可能性を秘めたストレスと
日々対面せざるを得ないのは事実です。
そこで、私たちの遠い遠い「祖先」に思いをはせてみれば、
たとえ今、自分が弱くて小さい存在に感じているとしても、
それが次の自分の精神的進歩に繋がる大切なファクターだと考えることができたなら、
随分と楽になると思います。
そして、ストレスフルな中でもがき苦しんでいるとしても、
それが進化へのきっかけや踏み台になりうるならば、
自分を信じてそれらと対峙する価値はあると思います。

2億年も3億年もの昔というのは、
目も眩む程に遠い過去のはるか彼方の事ですが、
険しい生存競争を生き抜ぬき、進化し続けてきた人類の歩んできた「路」が、
私たちの中心にずっと継承されていると思うと、
なんだか心強く、胸が熱くなります。

2010/07/14

夏の暑さ 冬の寒さ

昨日は肌寒かったのに、今日はまたぐんと気温が高い。
夏は暑さのせいか、集中力が落ちるので、
絵を描くペースが四季の中でもガクリと落ちます。
下書きしてある絵は沢山あって、
早く「私」を完成させろと言っているようで、
なんとなく焦ります。
絵を描く時も扇風機だけなので、日中はもっての外、
下手をすると汗で紙が湿ってしまうので大変です。

夏の酷暑の日に、ふと冬の寒さを想像してみますが、
うまく思い出せません。
寒くて寒くて震えるほどの日を何回も重ねてきているはずなのに、
どんなんだったっけ、という感じです。
逆に冬の極寒の日に、夏の暑さを思い出そうとしても同じです。
都合よく忘れてしまっている感すらします。

人の人生もこれと似ていて、本当に辛い時はその辛さの中で苦しみながら、
幸せだった時をを想像するのが難しく、
幸せな時も、それにどっぷりつかってしまっている時は、
他の苦労や悲しみもなんとなく忘れてしまっているように思います。
光や影は交互に私達を包み、巻き込み、翻弄しながら、
人生においての、夏の酷暑の日でも冬の極寒の日でも、
それぞれ生き抜けるような知恵と力を
私達に与えてくれているような気がします。

光の中で影を思い、影の中で光を想像する、そのちょっとした思考の練習が、
光や影の渦に溺れない為に必要なことかもしれません。

2010/07/10

内猫 外猫 隔てなく

夏は苦手です。少々夏バテ気味です。
クーラーによる外気の差がとても辛く、体力を奪われてしまいます。
家ではクーラーを使う時は設定温度は28℃、
ほとんどは扇風機で事足りてしまいます。
「夏」そのものは、季節の中でも一番青空がすがすがしいし、
日暮れ時の散歩も情緒があって好きだし、
鈴虫やヒグラシの音色が心地よくて好きなのですが、
ビルやショップ、電車などの冷えすぎた空間と外との差が
夏の身体を怠くする大きな要因に感じます。

夏になると、ワサビも定番の「おなかみせ」スタイルで、
大股を開きながら、ドベ~としていることが多くなります。
毛皮を着ているので、ちょっとの暑さでも大変です。
この時期は熱中症にも十分気をつけなければなりません。
以前、初めてワサビが来たその夏に、熱中症をおこし、
2日間ほど押入れから出てこなくなってしまったことがあり、
食事もとらず、だるそうにしているのを見て、焦りました。
それから、本当に暑い日には、冷房をドライにしてタイマーでかけておきます。
過保護と言われますが、その時のトラウマがあるので、
夏はワサビと私にとって要注意の季節です。

私の家の周りには野良猫も多いのですが、
外の猫たちにとっても、夏は大変な季節です。
先日は、酷く年老いて弱った白い猫がうつろな目を私に向けてきました。
思わずその汚さに「ぎょっ」としてしまったのですが、
その猫は飲み水を求めて、さ迷って家にたどり着いた様子でした。
私がためらっていると、猫好きの父が「水がほしいんだろう」と
桶に水を汲んで猫にさしだそうとすると、
猫はフラフラと弱々しく足を引きずって逃げてしまいました。

その時、私の胸は自己嫌悪感に苛まれ、きりきりと痛みました。

猫の世界は私の考えているよりも、
ずっとずっとシビアです。
外猫の現実は、飲み水と餌にありつけなければ、
この暑さの中で体力を消耗し、
もし病んでいたならば、真っ逆さまに死の淵へ落ちてしまう。
そうでなくても、他の猫との闘争や感染症、交通事故や、
悲しくも人間による虐待という恐怖も待っている。
明日は生きているかどうか分からない現実の中で、
外猫の眼は、家猫のそれよりもずっと厳しく苦悩に満ちた光を放っています。
その老いた白猫は、そのような厳しい現実を
その眼差しによって訴えていました。
それでもジタバタせずに、大騒ぎせずに、
運命を静かに享受しているようにも見えました。

ワサビも3年前にボランティアの方から譲り受けた野良猫です。
錆柄というのは、その柄の特性(あまり見た目に美しくない)からなのでしょうか、
飼われている猫は多くないようです。
生まれる数がもともと少ないのか、それとも引き取られる件数が少ないのか・・
私は要因が前者であることを祈ります。

外猫の過酷な現状を見る度に、
「ワサビ、おまえは幸せかい?」と問いかけます。
窓から外を眺めているワサビは静かに尻尾を振りますが、
真意はわかりません。
ある意味、親猫と引き離し、慣れた自然界から勝手に持ち出したのは、
私たちであり、彼女が望んだことではありません。
でも、外猫の過酷な生活とそれによって平均寿命はわずか3年というデータを聞くと、
家猫は長くて20年以上も生きることができますから、
その間、たっぷり愛情をそそいで、美味しい物を沢山食べてもらい、
快適な空間でゆっくりくつろいでもらえたら、それが彼女の幸せにつながってくれればいいと、飼い主の誰もが思うのではないでしょうか。
そして、それが小さな命を守るために私たちの出来ることなのです。

外の猫と家の猫、命の重さは同じなのに、
そこには「寿命」という格差がある。
それを生み出したのは私たちなのかもしれません。
だけど、猫たちは不平不満を言わずに静かに生きている。
お互い必要以上は争うこともなく、羨むこともなく、妬むことなく生きている。
私自身の小ささと醜さを浮き彫りにしてくれた、
そして、どんな命も重さは同じだという大事なことを教えてくれたあの老いた白猫は
もう亡くなっているかもしれません。
せめてあの時優しい言葉をかけてあげればよかった・・今でも心が痛みます。
それから、年老いた弱った猫を見かけると
「がんばれ。がんばって生きろよ」と心の中で声をかけています。
ぼろぼろになっても生き抜こうとする、その姿に敬意と尊敬の念をこめて。

2010/06/23

映画の話「愛のむきだし」

最近観た映画の話です。
「愛のむきだし」という4時間の大作を観ました。
それまで気にはなっていたのですが、
考え深いタイトルとその長さにずっと躊躇していました。
(これは腰を据えて見ないといけない)

しかし、見始めると同時に、
タイトルの割に意外とポップでテンポも絶妙な感じに進み、
人間の「心」の深部にまで及ぶ題材を扱っているのに解り易く、
しかし濃厚に細密に展開していく、その物語にぐんぐん引き込まれ、
4時間という長さは私は感じませんでした。

人の人格がどのように不可抗力の中で歪み、
妥協と許容の狭間で変容していくのかを痛烈に感じ、
このようなコンプレックスは、
種類は違くても根っこの部分で同じようなものが、
誰の心の中にでもあるのではないかと思うと、
人は本当に深いものだし、大変な中で生きているのだと思いました。

また人が「愛」によってどのように救済されうるのかも、
切なく苦しい程に表現されていて、
人(愛)によって人は傷つくけれども、
また人(愛)によって救われるという、、
一見単純なセオリーのようだけれど、
人間の人生の「元型」のような、
かけがえのない大事な部分を再確認できたように思います。

最後の30分の間に、化粧が全部落ちる程に一気に号泣してしまいましたが、
それは悲しいとか切ないとか、「感動した」などというような解り易い感情ではなく、
もっと心の深層のさらに奥深い所が共鳴して、
あふれ出てきたようなものに感じました。
それは透明で甘美な涙とは質の違う、
もっとどろどろとしたもので、
映画の内容から借りれば、「血の涙」のようなものだったかもしれません。

2010/06/22

宝石

 





家の近くには、アゲハ蝶の好む柑橘系の植物があります。
そこに、毎年蝶が卵を産みつけて行くのですが、
雨に流されないよう、ちゃんと葉の裏側に産みつけるので、感心します。
若い蝶が羽根を閉じたり開いたりして乾かしていました。
きっと産まれたばかりでしょう。
個人的に蝶は大好きなので、
その美しさにすっかり見入ってしまいました。



緑色のコロコロした姿の幼虫は可愛いのですが、
ややグロテスクな感もあり、
やはりこの美しさへの変貌には、
強い憧れを抱きます。
 
雨の日でも、風の強い日でも必死で枝に掴まりながら、
頑張って生きようとしている幼虫を見て、
「いつかあのような美しい蝶になって羽ばたいていけ」
と思います。
それは自分自身にも言い聞かせているような感じもします。

蛹の日々は長い。
それは人生の殆どの部分かもしれない。

しかし、せめて人生が終わる頃には、
蝶のような羽根で羽ばたいてみたい。
そう思います。



2010/06/09

雨の季節

雨はじとじとして嫌だという声は多いし、
腰痛および頭痛もちの私としても、
雨の日は痛みが出やすいので、
「雨よ、ようこそ!」とはならないのが本音です。
が、猫のワサビは、どうやら雨がお気に入りな様子。
朝からシトシト降りしきる雨を、窓から飽きずに眺めています。
多分、屋根にあたる雨粒が奏でる、雨音を聞いているのだと思います。
そういえば、何かで聞いたことがあるのですが、
絶対音感のある人では、雨音が様々なメロディーに聞こえ、
それがとてもうるさく感じる人もいるとか。
猫の聴覚も人間よりはるかに敏感といいますから、
どんな音に聞こえているのか、不思議です。

個人的に、上記の理由は抜きにして、
雨は好きでも嫌いでもありません。
なので、「雨か、嫌だなあ」と積極的に思わないようにしています。
「雨が降れば、植木に水をやらなくてすむわ」とか、
「肌が潤っていいわ」など、
前向きに捉えるようにしています。
これは、他の物事にも応用できて、
よくある話ですが、コップと水に例えると、
なみなみと注いだ水が、コップの3分の1になった時、
「もう3分の1しかない」
と思うよりは、
「まだ3分の1あるぞ」
と思うほうが気が楽になる、と同じ原理です。

他者を変えることはできないが、
自分自身、特に内面は、いかようにも変えることが出来る。

私には幸い「ワサビ」という良い心の師がいます。
「雨音は気持ちいいにゃ~」
そんな感じで、今日も朝早く、窓から外を眺めております。

2010/05/31

ワサビの寝言

猫のワサビはたまに寝言を言います。
この前も、朝方「ニャウニャウニャ~」という大きな声がしたので、
びっくりしてワサビをみると、心地よさそうに眠っていました。

遊んでいる夢でも見ているのでしょうか。
夢は無意識や深層心理の産物でもあるということを聞いたことがありますが、
すると、猫の中にもそのようなものが存在するということなのでしょうか。

当たり前ですが、人間は24時間のうち、その3分の1は眠っています。
その間、覚えていなくても何らかの夢を見ている。
私は、夢は別世界へ行っているような、精神だけ旅をしているような気がしているので、
夢を見ることが、1日の最後の楽しみとなっています。
時々はとび起きるほどに恐ろしい夢を見る時もありますが、
そんな夢にも、何かヒントや謎解きのようなものが隠されています。

人生は普通に睡眠をとっていれば、3分の1は眠っているのだと思うと、
さらに、その間常に見ている「夢」の風景や情景を無視せずにはいられません。

2010/05/24

デザインフェスタその後・・

20代の頃に参加した時は、
とりあえず何かしたくて、また、作品を見てもらいたくてという
半ば衝動のようなものに突き動かされて参加していた感があります。

少し間があいて、時間の経過とともに私も年をとり、
当時の衝動的な部分や、がめつさは随分と薄くなったものの、
作品を多くの人に見てもらいたい、という気持ちだけは変わりませんでした。

やはり実感したのは、私も含めて、
人は常に何かを創造していないと落ち着かないというか、
とにかくエネルギーに満ちた存在なんだという事です。

そのエネルギーは、もしかしたら強大過ぎて、
自分の中で飼い慣らすことができずに、
自身をも破壊してしまうかもしれないし、
もしかしたら、予期せぬ退行が起きるかもしれない。
けれども、DFに参加された多くのアーティストが、
素晴らしい創造を成し遂げているのを見ると、
やはり、そのエネルギーがもたらすものは素晴らしく、
偉大だと思います。

私も、微力なものでも、参加することが出来て光栄でした。
また、絵を描いていて本当に良かった!と、新鮮にそう思えました。
そして、そのような気持ちを味わえたのは、
やはり時の経過とそれに伴う数々の経験が、
自分の中に、何らかの変化をもたらしてくれたのだと思います。

歳をとるのは嫌だ・という人は多いですが、
このような未知の気分を味わえるなら、
歳をとって行くことが楽しみになってきますし、、
次のステージでの、また新たな発見を探求して行けたら、と思います。
自分自身の心を常に見つめて、精神的な鍛錬を続けて行ければ、
10年後、20年後、描く絵がもっと多くの事を語ってくれることと願い、
それを励みに、歩み続けて行こうと思います。

2010/05/17

デザインフェスタVol.31終了 ありがとうございました!

2010年5月15,16日 DESIGN FESTA Vol.31
無事終了いたしました。
今はイベント特有の燃え尽き症候群気味です・・・・・

8年ぶりの参加だったので、
自分自身のブランクが不安だったのですが、
やはりエネルギッシュで、パワフルで、
魅力的なフェスだとあらためて実感し、
多くの方に作品を見てもらえ、大きなエネルギーを頂きました。
DESIGN FESTAの出展者紹介欄を見てわざわざ見に来て下さった方や、
昔から作品を観て下さっている方も、遠方から足を運んでくれて、
本当に嬉しく、本当に感謝しております。
また、新たに様々な方々ともお話が出来て、
有意義で貴重な時間を過ごすことが出来ました。
ここでお礼を言わせて頂きます。
ありがとうございました!!

デザインフェスタでお会いするのはまた来年になるかと思いますが、
その間、かなりゆっくりとですが、着実に作品を描いて行きたいと思います。
そしてまたご縁があれば、ぜひ見て頂きたいと思います。

今後ともKyonを宜しくお願いします。


※デザインフェスタ Vol.31の出展者紹介ページで、
私の名前が誤って平仮名表記になっております。
正式には【Kyon : psychout  0】です。



〈お知らせ〉
デザインフェスタで私の作品を見て頂いた方で、
Web Site【Silennce Of Monochrome】にて、作品集をご購入されたい方は、
送料をサービスいたします。
メールでのご連絡を頂く際に、私のブースNoをご記入ください。

2010/05/08

伴走者

時が経つのは、意識していないと本当に早いものです。
2日に投稿したと思ったら、気がつけばもう6日経っている・・・
その間の1日はとても長く感じていたりするのに、不思議です。

私は、内向的で情緒的な音楽を好んで聴きます。
落ち込んだり悲しい時にも、そのような音楽を聴きます。
そんな時には元気付けに、
明るい映画を観たり、明るい音楽を聴いた方が良いのでは、
という事もありますが、私にはむしろ、
正直な気持ちと向かい合って伴走してくれるような、音楽や映画が合っているようです。

黄昏時、買い物に行く途中一人で川沿いを歩いていると、
不意に胸の中に、木枯しがふくような感覚が湧き起こりました。
寂しいというよりは切ない、悲しいというよりは心苦しい、そんな感じです。
一人で歩く時はいつも音楽を聴いているのですが、
その時も、好んで聴いている、やや暗くて内向的な音楽が流れていました。
この発作的に生まれた負の感覚に拍車をかけるかと思えば、そうではなく、
むしろ、そんな気持ちを浄化させるかのように、
静かな伴走者は私を慰めてくれます。

夕日の中に、負の感覚と音楽が絡み合い、羽根を付けた音符が少しずつ連なって、
口や耳や鼻の穴から飛び立っていくような幻を見たようです。
夕日が全く沈む頃には、心もすっと落ち着いていました。

今感じている気持ちに正直になりたい時、
寂しければ寂しいままで、
悲しければ悲しいままで、自然に任せれば良いのだと思います。
そしてその気持ちと一緒に伴走してくれる、
音楽や映画や、そして絵画が傍にいてくれれば心強いものです。

人との繋がりの中で得られる温もりは、
必要不可欠で、とても大切なもので、
無くてはならないものですが、
人には人の人生があり、
私は私の人生を生きて行かなければならない時、
やはり、 心の拠り所となる音楽や、詩や文学や、映画や、絵画があれば、
自分で自分自身を、いつでも勇気付けられ、
それらに慰めてもらえます。
そして、そんなささやかだけど、忠実な安心感が、
私をずっと支えてくれています。

2010/05/02

蝋燭の花

半年以上も前に種をまき、一度は枯れてしまってとても心配しました。
冬の凍えるような寒さの中、じっと耐えて、春の暖かさを待ち焦がれていたでしょう。

ストロベリーキャンドルという可愛らしい名前の付いた花です。
その名のごとく、見事な蝋燭の華奢な炎のような、
真っ赤な花を咲かせました。

種から育てたので、その花を見た時は胸にぐっとくるものがありました。
良く頑張ったね、という思いです。

小さく純粋な命はいつも大切な事を教えてくれます。
この子が教えてくれたのは、「待つ事」でした。

育てたといっても、
毎日ただ水をやり(時々やり忘れて、しゅんとして元気のない事も多々ありました)、
ほんの一瞬様子を見ていただけです。
特別な事はなにもしていなくて、正直言えば、
あとはオヒサマにまかせっきりで、ほったらかしでした。
 それでも、一人で頑張って、花を咲かせてくれた。

そこで思ったのです。

自分に対しても、人に対しても、
過剰に対応することなく、考えすぎることなく、
適度に距離をおいて、時にはひたすら待つ。
時間の流れに身を任せて、待つことが一番最良な時もあるのではないかと。

このストロベリーキャンドルも、
ほとんどほったらかされていても、
最低限の水分と、太陽の光があれば、こんなに美しい花が咲くのです。

物も、情報も、生き方も、思考も、全てが飽和して過剰な今、
あえて最低限の中に身をおいて、歩んでいくという選択も大切かもしれません。

2010/04/25

時間

辛さと寂しさと、甘美な夢が混在しているときは、
まるで地に落ちるような目眩のなかに自分を見失います。

しかし止む事のないゆるやかな時の流れの中で、、
その苦痛の中から、甘美な幻想のみが少しずつ抽出され、 
やがてできあがるその湖の中に身を委ねれば、
その甘美な幻想の中で、
いつまでも泳ぎ続けられます。
 
どんな闇の中にいても、苦痛の中にいても、
時に「時間」が、最良の味方になってくれると信じています。
 

2010/04/21

憧れ

二十歳ぐらいの頃、バイトで憧れの女性の先輩がいました。
いつも優しくて、包容力があって、時には厳しく叱咤激励してくれて、
皆美しかったのを覚えています。

私自身が、いざその先輩方の年になって近づいて、通り越してみると、
社会性や歳相応の分別はついたものの、
心底の中心は、あの頃と何ら変わっていない事に気付きます。

多少心臓に毛が生えてきたとはいえ、
ちょっとの事でくじけたりするし、イライラしたりもします。

秘めた想いや感情も、あの頃と同じような色彩で深層に混沌と渦巻いていたりもして、
時々それに苦しんだり、悲しんだりもします。

そう思うと、あの頃憧れだった女性達も、
すごく大人で、手に届かない存在に見えていたけど、
実は同じような心模様の中で、見える部分だけ、
多少の化粧を施していただけなのかもしれません。
そして当時の私は、男性が女性へ持つものとほぼ同様の幻想を抱いて、
彼女たちを見ていただけ、なのかもしれません。

この先年をいくつ重ねて行っても、
核心は多分永遠に変わらないのだろうと思います。
だとしたら、女性はいくつになっても「女性」であり、
それが女性という生き物の背負った性なのだろうと思います。
そしてそれは、生を最後まで愛しみ楽しむ為に、
きっと必要で、良い事なのだろうと思います。

2010/04/14

DesignFesta vol.31 ブース番号決まりました

東京ビックサイトにて、5月15(土曜日)16(日曜日)に開催いたします、
デザインフェスタvol.31のブース番号が決まりました。

私、Kyonは C-0038 です。

会場は混み合いますし、ちょっと探さなければなりませんが、
お時間がありましたら、ぜひお立ち寄りください。

私も両日なるべくブースには居る予定ですので、
お気軽に、お声をお掛け下さい。

2010/04/12

夢~Dreams~

この絵は「夢」と名づけましたが、
確かにいつか見た夢の風景そのものです。

人生を旅に例えれば、特急列車に乗るよりは、
各駅停車に乗ってのんびりと旅を続けたいと思います。
たとえその終着駅が「死」だとしても、
途中下車する駅で、町で、多くの人と出会い、別れ、
沢山の思い出を紡ぎながら、ゆっくりと目的地へ向かえればよいと思います。

描かれている駅のホームに、椅子が二つあるのですが、
片方の椅子が倒れています。
自分でいうのもなんですが、どこか寂しげな感じがします。
一番上の駅のホームは、多分「終着駅」だと思います。

女の子は仮面(ペルソナ)をつけ、これから旅に出ようとしているのでしょうか。

この絵はひっくり返すと、もう一つの風景が出てきます。
いわゆる「見ざる 言わざる 聞かざる」の三猿をテーマに描かれています。
これは、この社会を生きて行く上で、とても重要な叡智だと思います。
私も幾度となく失敗を重ねて、この知恵の大切さを痛感しました。
余分な事は、「見ない 言わない 聞かない」・・・
思いやりや真心といった温もりを忘れてはいけませんが、
大切な教訓のように思います。

自身で描いた絵ながら、
時々自分を戒める為に、眺めたりもする大切な1枚です。

漆黒の闇に開く無数の花弁の中に、
やがて落ちて行くような感じがします。

もう一つ・・この絵には何人かの人物の顔が隠されています。
時間がたつと自分でも分からなくなるほどですが、
ずっと見つめていると、その人物の顔が浮かび上がってきます。
悲しくうつむいていたり、じっとこちらを見つめていたり。
それは常に自分を支配している「自我」といったところでしょうか。
それとも、知らずのうちに自分を操作している「無意識」のようなものでしょうか。

2010/04/09

Design Festa vol.31出展します

様々なアーティストの方々と出会え、
その作品を観る事が出来るインターナショナルアートイベント、
Design Festa vol.31出展します。
約8年ぶりの参加で楽しみにしております。

5月15日(土曜日)、16日(日曜日)の両日出展します。
場所はビックサイトです。

ブース番号など、またこちらのブログページで紹介いたします。
お時間がありましたら、
ぜひ遊びに来て観て下さい。

きっと素敵な出会いがあると思います!

詳しくはこちらをご覧下さい。
↓↓
Design Festa Web site

2010/04/06

良く歩く坂道の手前に、見事な桜の木があります。
川沿いにあるその木は、道を隔ててもう一本の桜の木と、
寄り添うようにして、この時期見事に花を咲かせていました。

しかし、そのもう一本の木は、病気か何かにかかっていたようで、
いつの間にか切り倒されており、
残された桜の木は寄り添う相手を失ったまま、
やや傾いたアンバランスな様子で花を咲かせていました。

連れ合いと歩いていて、その坂道に近づいた時、
「桜の木が寂しそうだ」と言います。
「切り倒された木と残されたこの木は、もしかしたら
恋人同士か、夫婦だったかもしれないよ」

見事に咲き誇る一本の桜の木が、
途端に孤独な色彩を帯びました。

確かに、恋人同士であっても夫婦であっても、
いずれはどちらかが先に逝ってしまいます。
もしかしたら、この木も連れ合いを無くして、
寂しい心を抱きながら、
それでも4月、約束通り、美しい花を咲かせて、
私たちを楽しませてくれているのかもしれません。

この時期、あらゆる場所で見事に咲いている桜の木を見ながら、
もしかしたら桜の木もいろいろで、
堂々と咲く桜の中でも、
いまいち気が乗らないなあ・とか、咲くのは面倒だなあ・とか、
そんなことを思いながらも花を咲かせている、
ちょっと欝な桜もひょっとしたらあるんじゃないか、
と思います。

2010/04/01

直線と曲線

ここ何日か、酷く落ち込む日が続きました。
絵を描く気力さえわかない・・
私にとって、絵を描く事が出来なくなることは、
一番の恐怖です。
ペンをとってものらない自分が、落ち込みに拍車をかけました。
こんなこともあるさ・・・と思って、開き直る日々です。

通勤中、まだ産まれたての太陽に照らされて、
淡く光る線路を見て思いました。
線路の直線と曲線の交わりを見ていると、
人生の中での人との出会いの構図そのものに見えてきます。
人は長い旅路の中で、ほんの一瞬出会い、
だいたいはそのうち、また違う道へと散っていく。
それはすごく当たり前のことです。
しかし、出会った時から、人の足跡は脳裏にしっかりと焼き付いている。
今はそれがすごく愛おしく感じます。
中には、マイナスの出会いもありますが、
そのような出会いの中でも、気付きや学びは必ずあり、
人生の糧となっています。
どんな出会いも無駄ではないと思います。
だから、人ひとりとの出会いはそれだけ重要で、意味深く、
尽くせぬ思いが重なります。

この直線と曲線は長い道のりの中で、
そのうちどこかで交わって、
そしてまた、別れて行くのだな・・と思うと、
少し寂しくなります。

やはり、心がちょっと疲れているせいかもしれません。
見えるものの感じ方が、いつもより感傷的です。
でもそれがまた、いつもと違う景色を見ているようで、
まんざらでもありません。

2010/03/26


出かける時など、3回に1回ぐらいの割合で、
気まぐれに玄関まで「お見送り」してくれるワサビ。

「お見送り」しているかどうかは分かりませんが、
「いってらっしゃい、早く帰ってきてね」と言っているような気がします。

気のせいなのはわかっているが、本当にそう言っているような気がする・・・
愛犬や愛猫等を飼われている方には、少なからずある事だと思います。

ごはんをあげれば、「ありがとう」や「おいしかったよ」
遊んであげれば、「たのしい」「うれしい」
決して喋りはしないけれど、そんなふうに心の声が、聞こえたといっている。
それはもしかしたら、そんなふうに言ってもらいたい、というささやかな願望の表れかもしれません。

そうおもうと、私にとっては、ワサビは「心の鏡」です。
じっと見つめる視線の中に、愛情のようなものを感じれば、
それは私の彼女に対する愛情に他なりません。
その瞳の中に、「遊んで・・」というメッセージがあれば、
私が最近、沢山遊んであげれていない事の後ろめたい気持ちを反映しているのだろうし、
「一緒にいたい」というメッセージを感じれば、
私が、もっと一緒にいてあげたい、という願望の表れなのかもしれません。
猫は本来、複雑な感情は持ち合わせていないという事を前提にして考えるならば、
ワサビから感じ取る複雑な感情は、結局は自分自身のものだと思うと、
なんとも不思議な気分になります。

人に対しても、同じ事が言えるかもしれません。
「以心伝心」という言葉がありますが、私はこれは確かにあると思います。
人の心は、そんなに単純でない事は百も承知ですが、
それでも、好意を持って接すれば、相手も朗らかに接してくれるように思います。
こちらから、積極的に働きかけてみれば、
相手も段々と心を開いてくれるかもしれません。
度を越すのは、いかなる場合でも良くないとは思いますが、
それでも、まず相手を信じて、好意を持って接してみる事に、
心の中でチャレンジしてみるのは、悪い事ではないと思います。
「思いやる」という言葉が、調度良いかもしれません。
相性の良し悪しや、価値観の違いなど、心をすれ違わせる要素も多々ありますが、
まずは自分の中で働きかけてみて、それから冷静に判断していくのも、
人間関係を円滑にしていく、一つの手ではないかと思います。


時にはワサビを疎ましく思ってしまう事があります。
作業をしている時に、「遊んで」とせがまれる時や、
訳も無く「ニャアニャア」鳴き続けている時など、
ほんの一瞬ですが、疎ましく思います。
そんな時は、決まって、自己嫌悪に陥ります。
ワサビは悪気はなく、むしろ私がほっておき過ぎてしまっているから、
欲求不満で鳴いているだけなのに・・・
これも、私の推測に他ならないのですが、
それでも、自分の心の黒い部分を観てしまう時は、がっくりと落ち込みます。

 人との関係で躓く時も、こんな心模様が関係しているのかもしれません。
予期せぬ化学反応が起きてしまうのが、人間関係の性とでもいえるのでしょうか。
 ワサビに限らず、人もある意味、
自分自身の心を映す鏡にもなりうる、という事をふまえて、
人の言葉や行動を感じ取っていく必要性を感じています。
 まずは、今自分がどんな気分なのか、
自分自身への「思いやり」を持ちながら、
人に対しても、「思いやる心」を持てたなら、
いつもと違う心の声が聞こえてくるかもしれません。

2010/03/21

繋がる

やはり、孤独では、頑張りきれない時もあると思います。
誰かが見てくれていると思えば、何となく心強いし、
辛い時も耐えられます。

前職では誰よりも早く行き、誰よりも遅く帰る日々が続きました。
休憩もろくに取らずに、ただひたすら走り続ける日々。
役職柄、目に見えぬ裏方仕事もこなさなければならず、
最初は会社の為、お客様の為を常套句に使っていましたが、
そのうち、何の為に、誰の為に、頑張り続けて良いのか分からなくなり、
心身ともに焦燥感に浸る日々が増えてきました。
ただ空回りして時間と労力を浪費している自分に、
腑甲斐無い涙を流した時もありました。

こんなにも仕事に集中し没頭する自分がいたのかと、
新たな側面に、自身で驚くと同時に、
「自分の時間」はどんどん減り、その時間の居場所や役割すら分からなくなって行きました。
私が感じていた焦燥感は、その「時間」の悲鳴のようなものだったと、
今になって思います。

それでも我慢して仕事に携わって行く中で、次第に充実感と楽しみを与えてくれたのは、
自分の献身的且つ自虐的な努力等ではなく、
それを陰ながら私を見てくれていた上司や部下、同僚、そしてお客様だったと思います。
時には人間関係に苦しんだ時期もありましたが、
人から得た痛みは、人がまた癒してくれるという事を、
身を持って体験できた貴重な時間でありました。
また、そんな人との関わり合いを密に感じてきたからこそ、
人との繋がりの大切さを理解し、
人を大切にしていきたいという思いを持てるようになったと思います。

「絵」も同じです。
20代の井の頭公園に始まり、今日に至るまで、
私の絵を誰かに観てもらえた、そして、絵を通じて人とコミュニケーションもとれた、
それが支えとなり、描く原動力になっているのも事実です。
以前は、寂しさや哀しさ等、心に巣くう言いようのない孤独感や虚無感が、
絵を描く事で緩和されていた事もあり、
それが原動力となっているのは今でも変わらないのですが、
それに人との繋がりが加わって、
絵を描く事が私の中で、更に意味の深いものに変わりました。

私の知らない遠い場所で、誰かが絵を観てくれている・・
それはとても有難い事です。
1枚の絵を通じて、少しの間、
その空間の中で対話させて頂ければ、
それはとても嬉しい事です。

2010/03/18

左利きの悩み

最近見た映画のセリフに、印象深い言葉がありました。

「鏡文字で、メッセージを残す・・」

私は左利きで、小さい頃は字や箸を右手に直すのに、両親は一苦労していました。
左利きの子を、無理やり直させると、
その子の発育にあまりよい影響が無い・と聞いた事があります。
本当かどうかは解りませんが、私に限って言えば、
その「影響」は無くも無かったと言えるでしょう。

この社会はやはり右利き社会です。
パスモをかざす時も不便ですし、ちょっとしたネジを回す時も、
時には時計の針の回転方向でさえ、私は一歩立ち止まって考えてしまう時があります。
人が描いた円を見れば、右で描いたか左で描いたかは一目瞭然です。
私は絵を左で、字を右で描くのですが、
左で円を描くと、時計の針の回転方向とは必ず逆の方向に円を描くことになります。
私は時々、それを本当の時計の回転方向だと勘違いする時があります。
以前、時計回りに物語が進む絵(時は流れる・・・)を描きましたが、
何を勘違いしたか、見事に時計とは逆の回転で、物語を進めていました。
しかも、描き終えてしばらくたってから気付いたのです。

これは全く個人的な事ですが、左と右の区別もたまに間違う事があり、
右へ曲がるはずが左へ曲がったりすることはしょっちゅうです。
それが左利き、または、それを無理やり直した事と、
直接の関係性は無いと思いますが、
時々やってしまう奇妙な思考と行動を考えると、
私の頭の中は、
常に鏡と向き合っているような状態なのではないかとさえ、思う事もあります。

何をするにも一歩立ち止まって考えてみないと行動できず、
幼い頃から、このノロノロとしたとろい性格に劣等感を持っていました。
それは当時右手を使う事が正しいとされていて、
鉛筆を持つのも、ハサミもお箸も包丁も、
まずきき腕の左手を無視して練習しなければならなかった二重の苦労の、
ある種後遺症のようなものに思えた時もありました。
これはもう少し大人になってから聞いた事ですが、
私を担当してくれていた保母さんが、
「kyonちゃんは人よりちょっとのんびりしているけれど、
そのかわり人の10倍頑張ろうとする子」と言ってくれた・と母から聞いて、
とても救われた思いになったのを覚えています。
その言葉は今でも私を勇気づけてくれています。


さて、左利きの人は鏡文字のかける人が多いと聞きます。
水守アドさんという、とても素敵なイラストレーターの方がいますが、
「クッククック~」といって、
透明なガラスに両手を使ってイラストを描くパフォーマンスを覚えている方も多いと思います。
あれが要するに「鏡文字」を絵に変えて、両手で再現したものです。

ちょっと試してみたら、私も難なく描けました。
簡単なものなら文字も、絵も、左右対称に描けます。
それはちょっとした驚きであり、
たいして役には立たないが、左利きでよかったかも、と思った瞬間でした。
万が一、右手を怪我しても、左で字が書けますし、
悪い事ばかりではない、と今は思っています。

「鏡文字で、メッセージを残す・・」
日記をそのうち、鏡文字で書いてみようかな・・と思ったセリフでした。
小さなメッセージでも、ちょっと神秘的で、未来の自分への謎かけになり、
面白いかもしれません。
出来る事なら、作品として、右手と左手、両手を使って鏡絵に挑戦しても、
また新たな世界が広がるかもしれません。

幼い当時は、皆との違いに悩んだ左利きも、
今は絵を描くためのベストパートナーとして、
私をずっと支えてくれています。

2010/03/15

私が幼少の頃、毎日を過ごしていた祖父母の家は10年以上も前に取り壊されました。
その現場は、私にとっては「死」であり、とても直視できるものではありませんでした。
取り壊す前に撮っておいたその家の写真を見て、
何度懐かしみ、寂しい涙を流したか知れません。
だから私は、郷里がしっかりある人が時々とても羨ましく感じます。

祖父母の家に遊びに行く時は、
決まって川沿いの砂利の坂道を、自転車を大きくバウンドさせながら、
心も大きく弾ませて走って向ったものでした。
祖父母の家は、私にとっては宝の山でした。
叔母が大学を卒業して就職した後にその家を去り、
そのまま残された叔母の部屋は、私にとって城のようなものでした。
本好きの叔母が読んでいた沢山の本の山・・
横溝正史や江戸川乱歩、筒井康孝などを好むのは、
そこにあった本の影響です。
そしてお洒落だった叔母の古着も魅力的でした。
毛皮など、もっとお姉さんになったら来てみようと、小学生の自分はとてもワクワクしたものです。

砂壁に赤い電球が1つ灯るだけのその小さな薄暗い部屋は、
夕暮れになると少しひんやりとして、
気温のせいなのか、それとも違う寒気なのか分からない時がありました。
覚えているのは、日がすっかり暮れた頃に、
その寒気に身体がゾクゾクとして途端に恐ろしくなり、
わっと部屋を出た事です。
今思うと、多分、気温の寒気では無かったのでしょう。
それは暑い夏の日でも有りましたから。

それでも、私はその小さな薄暗い部屋が好きでした。
友達と遊ばなくても、両親が働いていて傍にいなくても、
心はすっかり、祖父母とその部屋に満たされていました。


時々、その祖父母宅へ行く途中の砂利道を通る事があります。
家は取り壊され跡形もないのですが、
その道だけは変わらずに存在しています。
目をつむって歩いてみると、その道の曲がった先に、
祖父母宅が出てくるような気がして、
それが叶ったらどんなにか嬉しいだろうと思うのですが、
その道を曲がった瞬時に、心はいつも寂しさで溢れます。

砂利を踏む足音だけが、
今では唯一、当時の感覚を呼び覚ましてくれるものです。
その先には何も無く、ただ虚無だけがあんぐりとその口を開いているだけなのですが、、
それでも私はその道を、どうしても歩きたくなる時があります。

心の目では、何もない空間の中に、
ツルバラが見事に咲く、懐かしい祖父母宅がいつでも見えてくるのです。

2010/03/13

思考の渦

時々、思考の渦にのまれそうになる事があります。

情報は、ネットやテレビやラジオや本や雑誌・・・ありとあらゆる様々な媒体から止めどなく発信され、
吸収しすぎた情報が、頭の中で消化不良を起こすのです。

私の頭の中の判断力、仕訳力は、人よりも鈍いと感じる事が多々ありますが、
そんな時は、それらがさらに鈍くなっていると感じ、
雑然とした頭の中に取り残された私が、
やがて思考の渦のようなものに、連れ去られようとするようです。

合わせ鏡をのぞいた時に、いつまでも続く自分の姿・・
それをずっと眺めているようにも感じます。

もし、私が仕事をしていなかったり、友人とも接点がないような生活をしていたら、
やがて、その渦の中に巻き込まれて、溺れ死ぬ事でしょう。
絵や音楽は私にとって無くてはならない大切なものでありますが、
時にその思考の氾濫を助長する役目も持っています。
なので、私とそれらの間には、いつも適度な距離があり、
依存しすぎない事が、私の中でのルールになっています。

整理できない、雑然とした思考の世界・・
その中で本当に重要なものは、ほんの一握りしか無い事を知っているだけに、
その断片を見つけ出そうと焦るのですが、
それがかえって、事を悪くしてしまいます。
自分自身では手に負えなくなったその思考の部屋を、
一緒に片付けてくれるのは、
やはり他者であり、社会であるような気がしています。

また、合わせ鏡の中から抜け出せないで途方にくれている自分を、
その鏡の1枚をひょいっと取り除いて我に返らせてくれるような、
家族や友人の言葉、与えられた毎日の仕事に、
ただ頭が下がる思いです。

時には人間関係に苦しみ、仕事を恨む日もありました。
何の為に働くのか、自分を犠牲にしてまで、人と関係していかなければならないのか、
考えるほど迷宮に迷い込んでしまう事もありました。
しかし、今は、人との関係や、仕事によって社会に必要とされ、
少しでも人の役に立っているという感覚に救われている自分がいます。

何事も依存しすぎず、没頭しすぎず、
しかし無関心で通り過ぎない、思いやりを持った適度な距離間を保つ事で、
よりよい関係がきづけるのだと、
そして、そんな関係の中で人は充実した時間を送れるのだと、
やっと解ってきたような気がします。

2010/03/09

雪の日

東京で見る雪は、幼い頃と比べると、随分と日数も量も減ったなあと感じます。
小学校の頃は、もう12月には校庭一面に雪が降り積もって、
翌朝に皆で雪合戦をした記憶があるのに・・

ワサビは雨が好きなようです。
雨音が心地よいのでしょうか、雨の降る日は興味深そうに窓から外を眺めています。
本日のこの雪も、珍しそうに眺めています。
生まれてまだ数回しか見た事のない雪です。
猫は動く物がコマ送りに見えているといいますが、
ひらひらと舞い落ちる雪も、きっとそのように面白く映っているのでしょう。

猫は、そしてそれ以外の動物もそうでしょう、
決して人間より下等なものとはいえない気がします。
ワサビと暮らすようになって、ますますそう思うようになりました。
確かに感情や知能、思考能力は劣るのでしょうが、
それでも、嗅覚や視力は人間よりも優れているし、
身体的な能力も驚くものがあります。

感情もとてもシンプルな構造だと聞いていますが、
それでも、好きとか嫌いとか、垣間見る優しさなど、
複雑な感情もちゃんと備えているように思います。
そこにふと触れる時、心を洗われる思いです。

人間のように裏表や邪心を持つ事も無く、無垢で無邪気な所も、
純粋なものに疎遠がちになる生活の中では、
澄んだオアシスのような輝きがあります。

ワサビに接する事で、自然と笑顔も生まれてきます。
私たちはこの子にどれだけ、助けられているか知れません。
そんなかけがえのない存在なだけに、
いつか来る別れを思うと、とても苦しくなります。
それでも一緒に過ごせる10年から20年の時は、
ワサビの存在によって、
まったく違う魅力に満ちた日々になることは間違いないだろうと思います。


今夜の雪が描く、美しい雪化粧も、明日には太陽に連れられて、
幻のように、消え去ってしまうのでしょうか。
東京の雪は、本当に儚い夢のように変わってしまいました。
それでもやはり白く美しい雪景色は、
モノクロームの世界観とシンクロし、心を魅了します。

2010/03/07

webサイト更新しました

webサイト、ギャラリー内・Flowersのページに【束縛】という絵をUPしました。

とても気に入っている一枚です。

是非ご覧下さい。

※当Blog内のAbout My Illustrationのページは、
これまで描いてきた私の絵についての覚書です。
宜しかったら、そちらもどうぞご覧下さい。

音楽が一緒に

電車に乗る時は、すごく空いている時か、とても疲れている時以外は、
あまり椅子には座りません。
窓側に寄り添って、音楽を聞きながら外を眺める事にしています。
特に知らない町の風景は、新鮮な発見があるので楽しいです。

音楽を聞くと、
その3分程の間には、映画1本分の感動があるよね・
と言った友人の言葉が今も印象的に残っています。

時々、外の風景や空の様子等と、音楽が非常に合う時があるのですが、
そんな時はとても気持ちが良いのと同時に、
ちょっとした疑問が生じます。

はたして音楽が風景に意味を与えているのか、
それとも風景が音楽に意味を与えているのか、
それを考え始めると切りが無く、
はっきりとした事はいつも分からないのに、
思考の癖となっているようです。

いつも手軽に音楽が持ち運びでき、
音楽と共にいられる事がより一層増えた今、
時と場所を考える必要は充分にありますが、
それでも、音楽が寄り添ってくれていれば、
自然と寂しさが緩和し、広がる風景も次々と違う表情を映しだし、
多彩な感動を得られます。

小さなバックに、アイポットと本を忍ばせればそれで十分な事もあり、
そんな時間をもっと大切にしていきたいと思うこの頃です。

2010/03/05

癒えぬ思い

幼い頃は、祖父母の家で大半を過ごし、
思い出も、祖父母との思い出の方が多く、今でも印象深く脳裏に焼き付いています。

祖母は言ってみれば、私の第二の「お母さん」のような存在でした。
ですから、20歳になっても、25を過ぎても、
ずっと存在しているのが当たり前のように思っていました。

祖母が80歳を過ぎた頃、入退院を繰り返すようになりました。
入院しては退院し、また病院へと戻って行く。
そしてまた病院から戻って来る時は、以前よりも体調は悪く、
精神的な脆さも辛くなる程でした。
当時、私は実家を出る計画を密かに企てていて、
それを話すと、何故か祖母は大粒の涙を流して、祝福してくれたのでした。
それは当時の、心細く後ろめたい気持ちの私にとって、
最大の救いでもありました。

間もなく、祖母は長い入院に入り、
日増しに病状は悪化していきました。
それでも私はまだ、祖母は死なない、という妙な幻想を抱いていましたから、
祖母を元気づけようと、
日舞を踊るのが好きだった祖母の為に、
その踊る姿を模写して、ベットの近くに飾っておきました。

しかし、それを見た祖母は、涙を流しながら、それをしまってくれ、と言います。
見ているのが辛いんだ、と言いました。
私は愕然としました。

自分の想像力の無さに、一気に砕け落ち、
自己嫌悪の津波に襲われたようでした。

その時祖母はもう、ここから戻れないという事を、うっすらと悟っていたのだと思います。
もう踊りは踊れない・・・そんな思いを私は少しもくみ取ることもできず、
祖母が何時でも「上手だね」と褒めてくれた、
その「絵」によって、祖母を傷つけてしまった。
絵を描く事が、この一瞬、意味なく恐ろしく思えたのです。

それから祖母は坂道を転がるように、あっという間に、
逝ってしまいました。
夏も終わりの日、私にとぎれる息で、「アイスを食べな」と言ってくれたのが、
言葉を聞いた最後でした。


絵を描く事は私の喜びです。そして絵によって救われています。
しかし、このとき程、絵を描く事、それ自体に不信感と、
罪悪感と、 後悔の念を感じたことはありません。
その思いは、時々私を支配し、
絵を描く事について、悶々と考える時間が過ぎて行きます。

2010/03/03

冬の華~Flowers~

都会のビル群はいつ見ても、冷たくて淋しい感じがします。
夏の暑い日でも、冬のような寒さを感じてしまう・・
それは身体で感じる温度ではなく、
心で感じる温度です。

「冬の華」~この絵は、白黒の世界に引き込まれ、ドットやラインを駆使して、
じっくりと1枚の絵を描く喜びを知り始めた私の最初の頃の作品ですが、
そんな思いを描いた作品にも思います。

空は不穏な様相を映し、それは私自身の心模様であったかもしれません。
私には冷やかで閑散として映っていた都会の景色に、
颯爽と歩く、色とりどりの綺麗な女の人達は、
一見して咲き誇る花の様にも見えていました。
しかしよくよく見ると、その人達も何だかただの美しい人形の様しか見えず、
そこは自分にとって異国の様にも感じていました。
今でも、ふっと立ち止まるとそんな幻想に襲われます。

1人でいるよりも、大勢の中にいる方がより強い孤独を感じる事があります。
満員電車に揺られながら、思います。
となりにいるこの人も、あの人も、頭の中では色々な事を考えて、
心には色々な思いを抱えて、それぞれに大事な生活や人生があるのに、
この閉ざされた空間の中では、皆透明なカプセルの中に居て、
他を一切遮断している。
それは、普通に当り前の事なのだけど、何だか考えれば考える程とても不思議に思えて、
群衆の中での痛烈な孤独感が、より一層高まってくるように感じて、怖くなります。

私も含めて皆、温かな鮮やかな血が流れているのに、
体温が一切感じられない冷やかな空間、そんな所にひとりぼっちでいる様に感じます。

そうかと思えば、感情をむき出しにして、ホームで人と人が身体をぶつけ合い、詰りあっている・・
家族でも友人間でも、あのような喧嘩をする事は少ないんじゃないかと思います。
喧騒の激しい都会では、そんなもめ事が少しでも起きない様に、
また自分が傷つかない様に、
やはり1人1人がカプセルに入って、
外の世界を遮断してじっと耐えている方が得策なのかもしれません。

 都会では、「華」はいつでもあらゆる所に咲き誇っています。
しかし、本当の「花」が生きて行く事はとても難しい世界なのだと思います。

2010/03/01

桜三月

ラジオやニュースで、
日本の自殺者は毎年増え、去年も3万人以上の人が亡くなったと聞き、
とてもショックに思いました。
そして、3月は自殺者が最も増える季節とも伝えていました。
主な要因に、会社が決算期に当たることや、
生活の変化が多い時期だからという事があるそうです。

3月は私が産まれた月でありますが、
私はこの月から5月にかけての特有の、
生温かいような空気感がちょっと苦手です。

上の要因にもあるように、私も新入学や新学期、卒業等に伴う変化に
上手く乗れないタイプでした。
友達を作るのも苦手、集団行動も苦手、
しかし、孤独すぎるのも苦手・・
どうしてよいかわからない混沌とした意識の中で、
この時期は必死に耐えていた事が多かったように思います。

私の大好きな井上陽水氏の初期の作品である「氷の世界」というアルバムが好きで、
その中でも「桜三月散歩道」という曲が一番好きなのですが、
歌詞の最後の部分にこうあります。
「町へ行けば人が死ぬ  今は君だけ想って生きよう
だって人が狂い始めるのは  だって狂った桜が散るのは三月」

70年代、高度成長期の真っただ中にいて、
その繊細な神経を、こちらが心配になってしまうぐらいにむき出しに歌い続けていた、
陽水氏の洞察力の凄さに、ただため息が出てしまいます。
そして、時代は変わっても、
人の心のありようはなんら変わらず、
むしろもっと過酷な領域に、誰しもが踏み出さざるを得ない状況にあると思います。


せめて、身近にいる人の心には、
できるだけ気を配っていきたい。
そんな願いにも似たような思いが、胸を痞えます。

2010/02/26

見守るもの

一年ほど前から、植物を種から育てるようになりました。
最初は、愛猫ワサビの為の、キャットグラス作りだったのですが、
花が咲く植物を育てたいと思い、
初めは百日草を育てて、何とか美しい花を見る事が出来ました。
それから、オジギソウ、ラベンダーと続けて種をまき、
オジギソウは今は葉を落として冬眠中です。
ラベンダーは沢山種をまいたのに、
発芽したのはわずか2つでしたが、それは可愛く寄り添って、
春の訪れをじっと待っています。

そして、ストロベリーキャンドルという植物の種をまきました。
蝋燭のような形の華奢で可愛らしい花が咲くはずなのですが、
まいた時期が悪かったのか、発芽して元気よく育っているなと安心したのもつかの間、
急に枯れ出してしまったのです。
それを見た時は何だかとても寂しい気分になり、自分が悪いように感じてしまいました。

それでもあきらめずに、毎日お水をあげていたら、
しばらくして、枯れた芽の内側に鮮やかな緑色が見え始めてきました。
新しい芽が出てきたのです。
枯れた芽に守られながら、それはすくすくと育っていきます。
それはまるで、親子のようにも見えました。
 冬の寒さから、新しい芽を包み隠すようにしっかりと根ずくその枯れた芽は、
子供を守ろうとする親の姿にどうしても重なってしまい、
とても切ない気持になりました。

自分はこれまでに親に対して何か恩返しをしてきただろうか。
それどころか、未だに甘えて減らず口を叩いているではないか。

そう思うと自己嫌悪に落ちつつ、
しかしだからといって今から良い孝行娘になろう、という感じにもなりません。
そうなる為の人格も無ければ、経済力も無いのが現実なのです。
その気持ちをしっかりと受け止めつつ、
じっくりと、これから孝行していければ、それが最善と思います。

まず「親」というものを知り、その偉大さを感じる、そして自分の未熟さを直視する。
それは見えてるようで見えていない、
あるいは見えているのだけれども無視してしまっている事のように思います。

感じた切なさは変わりたいという思いの表れです。
人間にとって避けられない老いと死に対して切実に向き合う為にも、
これまで誰が育ててくれたのかと考え、
親に限らず人生の節々で出会えた恩人達にも思いを寄せて、
人が人と関わりあって行く事の大切さや素晴らしさを改めて考える事は、
とても良い事なんだ、と小さな命達に教わったような気がします。


2010/02/25

伏線

人生はいくつもの短編集が、折り重なって出来ているように思う事があります。

「バタフライ エフェクト」=1羽の蝶の羽ばたきがやがて嵐となる、そんな言葉がありますが、
ある些細な変化は、これから起こるであろう次の物語の伏線かもしれません。

その事に気付き、謎かけを解きながら歩いて行くのが、
人生の醍醐味なのかもしれません。

ただ、物語が全てアットホームだったり、ハッピーエンドであるとは限らないのです。
その中身や結末は、冬のように深々と冷え切っているのかもしれない。
そう思ってしまうと、足がすくんでしまう時もあります。

しかし、人間も自然の一部であるならば、
木々がそっくり葉を落とし、寂しげな風景になる冬の中にも、
そこに新しい命の息吹は必ずあるだろうし、
やがて、春の爽やかな風が心地よく世界を包みだすように、、
辛い中でも、いつか小さな鮮やかな「希望」が芽吹くだろうと思います。
そして、そう信じて生きて行く事が大切であろうし、
そうあって欲しいと、切に願います。

2010/02/20

雨が好きになった日


忘れもしない、雨の思い出です。
2006年FUJI ROCK。初参加でした。
意気揚々と前日から新潟に入って、
まだ何も知らない私はあろうことか薄着で装備も少なく・・・

2006年は、フジ史上最も雨の多い年で、
朝から晩まで、3日間、空はずっと泣きどおしでした。
何日目かは忘れてしまいましたが、
たしか夜も本番になってきた頃、
約1万人収容するホワイトステージで1人でライブを見ようと、
(フジロックでは巨大な野外ステージが5つ程用意されています)
雨が容赦なく降りしきる中、椅子に座って小さくなって耐えていると、、
とうとう稲妻が恐ろしい轟音と共に激しく光り、
ああ、私はここで感電死するのではないだろうか、と
本気で怖かったのを覚えています。

簡易的な雨具は全く役立たず、凍えながら
雨の中でカレーを食べていると(屋根が無いので)
カレーが段々味噌汁のように薄まって行く・・
こんなにも雨に打たれることが一生のうちにあるだろうか、
という程に、雨に打たれ続けていました。

それでも、どうしても見たかったバンド、NewOrderのライブが始まると、
それまでぐったりしていた周りの人たちも喚起し始め、
私もステージの近くでどろまみれで雨に打たれ、雨に歌いながら、
恍惚の中に、降りしきる雨までも、
感動の立役者になっているように感じていました。
この時から「雨」は気持ちの良いものとすりこまれてしまったように、
思います。

都会ではまずありえないであろう状況の連続に、
まだ初心者であった私はとても驚き、
最初はなんて過酷な野外フェスなんだろうと思いましたが、
2006年土砂降りの3日間を経験して、
何となく精神的なタフネスを得たように思います。
それは、そこに人間が今までないがしろにしてきた雄大な大自然と、
その絶大な力と、無くてはならない大好きな音楽が、
絶え間なくその空間と時間に、
惜しげなく 、そそがれ続けているからだろうと思います。

それからは装備も毎年着実にグレードアップしていき、
雨でも快適に、感動を味わえるようになりました。
学んだことは数多く、まずは自分の身は自分で守る大切さを、
身をもって知ったのでした。

 
しかし、やっぱり晴天のステージは心が躍ります。
今年もあと、5か月あまり・・
早いものです。

2010/02/14

郷愁

先日吉祥寺で見た斉藤真一氏の「瞽女と哀愁の旅路」展に非常に感動した私は、
早速「瞽女~盲目の旅芸人」を購入して読むことにしました。

10年を費やして越後の瞽女宿を旅し、書き綴られたその本は、
読んでいると、自分もその雪深い道を一緒に歩んでいるような錯覚におち、
囲炉裏を囲んで和やかに談話している中に、私もちょっとお邪魔させてもらっているような気分になります。
書かれたのは40年も前で、瞽女さんの歴史は300年にも及びますから、
時代背景など私の想像力では足りない部分が殆どです。
囲炉裏や、まきで沸かす風呂など入ったことがありませんし、
旅に興味が無いのもたたって、東京から殆ど出たことがありません。
祖母は仙台の出身でしたが、田舎の話は数えるほどしか聞いたことが無く、
今になって、もっと聞いておけばよかったと、後悔しています。
しかし斉藤氏の、穏やかで愛情と哀愁に満ちた文章のおかげで、
こんな私でも、すぐそばでお話を聞き、風景を見ているような臨場感が味わえるのでしょう。

越後といいますと、
特にこの時期から、「フジロック」という野外フェスが気にかかり、
それには毎年行っているのですが、
またこのようなきっかけで、越後に思いをはせるようになるとは想像していませんでした。
「フジロック」は、大変大きなロックフェスティバルで、
若者を中心にとっても盛り上がる、私たちにとっても重要なイベントなのですが、
それとは真逆の感性の中にある、
静寂と哀愁の旅路に、私は不思議ととても魅かれるのです。
できれば、同じ道筋とは行かないまでも、
斉藤氏が見てきたその瞽女の旅してきた路を見てみたい。
そんなことを考えていた時、ふっと栃木の田舎を思い出しました。

主人の田舎は栃木の山奥にあるのですが、
農業を営んでおり、その棚田は本当に見事なものです。
私は車で通る山道にいつも酔ってしまいとても苦手で、
その事ばかりを重く考えてしまうことが多かったのですが、
日本の原風景ともいえるあの素晴らしい景色を、
何故もっと目に焼き付け、感じようとしなかったのかと、反省しました。
そして帰る度に用意してくださる、食べきれないほどの沢山の御馳走。
これも有難く頂かなくてはなりません。
15キロ程もある荷物を背負い、長い雪の道を必死で歩いて、
訪れた家々で唄を歌い、村人を楽しませ、
そのお礼に差し出される沢山の御馳走に深々と頭を下げる瞽女さんの姿が、
私の胸を締め付けるようです。

吉祥寺での「出会い」が私の心に波紋を広げています。
東京で育ち田舎の無い私にとって、
郷愁とは一種憧れの感情であり、
それが身近になることによって、満たされる幸せがあります。
そして今年も行くであろう「フジロック」の新潟と、連れ合いの田舎の栃木への短い帰郷が、
私の心の眼ではいつもと違った風景に見えるだろうと思います。

2010/02/12

Webサイト更新しました

ホームページ、ギャラリー内・Nostalgiaのページに【契】という絵をUPしました。
これは、私の叔母の結婚式の写真の美しさに感銘を受けて描いたものです。

日本の美の象徴でもある「着物」にとても憧れます。
この美しさを描くには、
まだまだ勉強と時間が必要です。

2010/02/11

立ってみないと分からない

新しい仕事は、全く畑違いで、
教えてもらいながら、ゆっくりとやっていくので精一杯です。

前職ではずっと教える立場が続き、
初めてその仕事に就く人や、慣れなくて困っている人の気持ちを、
最終的には半分以上分忘れていたかもしれません。
そんな心で教えても、相手にはよく伝わらなかっただろうし、
困っている部下をもっと不安にさせてしまったのではないか、
と今になって反省しています。

今、全くの畑違いで初めての仕事にたじたじの自分を客観的に見て、
そんな過去の自分を恥ずかしく思っています。
後悔しても後の祭りですが、
その立場に立って見ないと見えてこない景色というものは、
人生において本当に沢山あると思います。
だから、簡単に物事は言えない、判断してはいけない。
それ程に、人1人の人生とは奥深いと思います。

「一生勉強」、「自分以外は皆師なり」という言葉が好きです。
そして、私の母はよくこう言います。
「人に会うと、必ず1つは良い話を聞く」

東西南北様々な土地を巡るのも素敵ですが、
会話やあるいは書物などで、色々な人の人生や心の中を旅させて頂くのも、
なかなか楽しいものです。

2010/02/10

再び赫

8日に母と見た斉藤真一氏の絵が忘れられず、
本日また1人で見に行ってしまいました。
7時頃まで展示を行っているようなので、
仕事帰りに、混み合った吉祥寺をいそいそと歩きながら、
ああ、絵に惚れ込むとはこういう事なんだなあ、としみじみ思いました。

絵もそうですが、私は斉藤氏のその語りかけるような穏やかな中に、
絵を描く者の中心の部分がしっかりと刻まれている文章にも魅かれています。

例えば子供の頃布団にもぐりながら、古い話を傍で聞かされているような、
そのうち、恍惚の中に夢の中へと落ちていくような、
そんな魅力に魅かれました。

個人的にノスタルジックなものには昔から魅了されやすいのですが、
斉藤氏の絵と文章に、更に憧れを抱きました。
物質的には豊かだったとは言えないその時代に、
現代希薄になってきている人間の絆や素朴な人情については、
かえって豊かだったのではないかと思い、
季節感や情緒などの奥深さを感じます。

絵に感情が吸い込まれ、そこをまるで旅しているような気分になり、
絵が泣いていれば、ともに悲しくなり、
苦悩していれば、心苦しくもなり、
笑顔でいれば、こちらもほっと安心する。

どこまでも真っすぐに伸びる道に不安と希望を抱き、
真っ赤に燃える陽を見て、一緒になって切なくなったりもする。

絵を見るとはこういう事なんだ、と知りました。


私はまだまだ、経験が浅すぎる。
そしていったい人の何を知っているのか、
それすらも曖昧になってしまいました。

生きて生き続けて、いつか古い古い話を語り、
そこに郷愁だけでない、「人間の話」が出来るように、
そして「人間の絵」が1枚でも描けるように、
これから沢山経験を積んで、多くの人と対話して行きたい、
そう思いました。

2010/02/07

「瞽女と哀愁の旅路」

私の好きな映画の一つに「吉原炎上」という1987年に公開された映画がありますが、
その冒頭で流れる絵がとても印象的で、心に残っています。
それは、吉原遊郭の煌びやかで豪華なイメージとは違い、
お金の為に身売りされた少女たちの苦悩や、
不安と悲しみに満ちた心模様がしみじみと伝わってくる絵画でした。

本日、母と久しぶりに吉祥寺へ出かけたのですが、
お昼を食べようと行きつけの店へ行く途中、
とても素敵な絵が目に留まりました。
「斉藤 真一展:瞽女(ごぜ)と哀愁の旅路」とあります。
入場料もとても良心的な100円でしたので、お昼を取るのにはちょっと早いし・と、
母と入ることにしました。

絵を見ている間、ずっと何か心に引っかかるものがあり、
それがハッキリしないまま、見続けていました。
その中で、特に印象的だったのは、
タイトルにもある「瞽女」さん達を描いた絵です。
瞽女とは、私は初めて知ったのですが、
盲目の女旅芸人の事だと書いてありました。
背景は北国のようですが、主に使われている鮮明な赤い色(実際には赫と表記されていました)がとても印象的で、女性たちの壮絶な生き様が突き刺すように伝わってくる感じでした。
どちらかといえば明るい印象の絵ではありません。
しかし怖さや不気味さというよりも、そこに古く懐かしい空気や人情のようなものを感じたのが不思議でした。

私の祖母も北国の出身でした。
素朴で明るくて暖かな人情を持った人でしたが、
時々聞いた故郷の思い出話が、今目の前にあるその絵と重なるように感じていました。
祖母も幼い頃、母に手をひかれてこの赫い太陽を見ていたのだろうか・と思い、
絵を身近に感じていました。
同時に、私が絵を描く為に足りない部分を気付かされたように思います。

目の前にある、例えば「瞽女」さんの絵には、
その女性たちの人生の断片が凝縮されて、にじみ出ているように感じ、
それを現実に見ているような錯覚に落ちるのです。
その北国の降りしきる雪や凍えるような寒さ、
積雪の上を歩く草鞋の音まで聞こえてくるような、そんな臨場感。

「人生」を一生懸命歩み、その重みと大切さを知り、積極的に対話してきた人であるからこそ、
描ける風景がそこにあると感じました。
そして、今は希薄になりつつある「人情」というものを信じ、
その良さを知っているからこそ、「心」を絵筆にして描けるだろうと思います。
今は無き祖母の人懐っこい笑顔が、頭の片隅から離れませんでした。

そして、絵を見ている間ずっとはなれなかった「ひっかかり」。
それは、パンフレットを見て気付いたのですが、
「吉原炎上」の冒頭に流れていた絵の作者が、斉藤真一氏だったのでした。

町に出れば何かがある。
今日の偶然の出会いに感謝しています。
また一つ、大切な事に気付かされました。
「人生」を描くにはまだまだ経験も乏しく、時間がかかりますが、
それを目標に描き続けていけば、いつかきっと小さな断片のような作品が描けると、
勇気付けられた気がします。
まず自分が「生きる」事に対してもっと関心を持ち、
様々な人の「生き様」に教えてもらおうと思います。

2010/02/03

ペルソナ

私がかつての激務から逃れられたと思ったら、
同じタイミングにして今度は連れ合いが仕事に追われる身となり、
人生の歯車は、そう易々と上手くは回らないものだなあと思うこの頃です。
温厚な連れ合いの表情が、時が経つにつれて険しくなっていく気がします。
それを見ていると、かつての私も、鬼のような顔を、
または酷く疲れ切った表情を、何度家族に向けてきたかしれません。

時々満員電車に身を固めて揺られながら、
これを毎日毎日繰り返していたら、
どんなに温厚な性格でも、平穏な性格でも、
心の中でどんよりとしたものが段々と溜まっていき、
それをどこかで吐き出さずにはいられないだろう、と思います。

人には「ペルソナ」(仮面)が必要で、
特に社会生活においては、ペルソナと肩書とを保持しているうちに、
その人の性格もそれに追随して形成されていくように思います。

私も管理職に就いていた頃は、
部下に注意や嫌なことを言わなければいけない場面が多く、
最初はそれがとても嫌で、食事も喉を通らない日々が続きました。
しかし時が経過していくにつれ、仕事にも慣れていき、
この嫌な言葉は「肩書」が言わせていて、私個人の言葉ではないのだ、と
自分で自分に弁解していました。
そのうちに、「仮面」もつけ慣れてきて、
「仮面」と「肩書」を使うことに何の違和感も感じない自分がいました。
むしろその方が仕事を円滑に執行していくには丁度良かったのです。
これは、社会人としてはむしろ普通の事なのかもしれません。

しかし、その職を離れて2年余り、家族が気付くほどに
顔つきや精神状態が変わっていきました。
自分の中で、再び絵を描けるようになったこと、これがとても大きな変化でした。
そしてあの「仮面」に、本当の自分まで飲みこまれそうになっていた事を、
改めて知ったのでした。

結論を言えば、
ペルソナのままで生きていくのが、私には合わなかったという事です。
ペルソナの使い方が下手だったのかもしれません。
それがもしかしたら、第二の自分であり、
第二の人生の幕開けということも大いにあり、
それがその人の幸せに繋がることだってあると思うので、
「仮面」と「肩書」がすべて悪いわけではないと思うのですが、
私は、これらから離脱できて、
幸せだった側だといえるでしょう。

連れ合いは、私と同じ道を行くのだろうか、
本音と建前の社会を上手く渡っていけるだろうか、
不安に思いつつ、連れ合いの持つ良い意味での「鈍感力」が、
良い道案内になってくれるような気がします。

2010/01/29

猫バカです















猫アレルギーなどで、どうしても猫に触れない知人や親戚がいます。
猫嫌いの友人も昔おりました。
ワンちゃんの方が好きな方も大勢います。

私は、いわゆる猫派です。
ご飯を食べている姿も、佇んでいる姿も、
丸くなって眠っている姿も、時には噛まれたりひっかかれても、
全てが愛しく可愛いのです。

私の連れ合いは几帳面な性格なので、
猫を飼うには、ちょっと難しいかと思っていました。
しかし、小さい頃に猫と接していたようで、
難なく猫生活に慣れ、私同様立派な猫バカに成長しました。

その連れ合いが、ワサビの事を「この子は猫じゃない」と言い出しました。
どういうわけかと聞くと、
「これは、可愛い という生き物だ」

なるほど、確かに何をしても可愛いその姿、
可愛く感じてしまう気持ちをよく表しています。
「可愛いという生き物」

また「猫を飼う」とは言わない、と言います。
「ワサビと一緒に生活を共にする」と表現しています。

私の場合は、
それ以上に、「この家に、居て頂いている」という感じです。
気がつけば、頭の中はワサビの事ばかり。
それを考えている事が、心の幸せに繋がっている今日この頃です。

2010/01/27

プラセボ

満員電車がとても苦手です。
こういう方は多いと思いますが、仕事上避けられない立場の方が大半だと思うので、
本当にご苦労されていると思います。
最近、朝の満員電車に乗る機会が増えたのですが、
もう、途中で降りようかと何度も思い、
満員電車を避けるために、家を出る時間が早まる一方です。

閉ざされた空間で、密着しあうというのが何とも苦痛でなりません。
個人的に閉鎖された場所も苦手で、いわゆる「閉所恐怖症」に似た症状なのかもしれません。
エレベーターも苦痛で、閉鎖空間で楽しむアミューズメントアトラクションも避けます。
酷く疲れている時など、映画館などもストレスになる時があるので、
困ったものです。

そんな時、絶対に手放せないのは、私にとっては「水」です。
この透明で、無垢なものが体内に入るイメージが、
私をすぅっと楽にさせます。
水を得た魚のようなイメージでしょうか。
ふっと一瞬、深呼吸したような感じになります。
満員電車に乗らなければならない時も、
手にはこの「水」が握られています。

飲めば安心という、一種のプラセボ効果なのでしょうか。
それでも、たった一杯の水で、
閉塞感から解放されるなら、
私にとってはそれは「薬」のような存在ですから、
人間の脳や心というのは、やはり不思議です。

2010/01/22

職人気質

最近、縁あって様々な職種の方とお話できる機会を得られました。
人は皆、生きていく為に一生懸命仕事をして、
1日の半分以上、1週間のほとんどを費やすのですが、
その中でも、専門職でずっとお仕事されている方々のお話は、
面と向かってめったに聞けるものではないので、
狭い中で生きている私にとって、
それはとても楽しく驚きや感動が沢山詰まっています。

先日は寿司職人の方のお話を聞くことが出来ました。
職人というと、どの世界でも「職人気質」というものがあり、
私個人の中で、気難しいという感じや、
頑固という感じがイメージとしてどうしても拭えないのですが、
今回お会いした方にも、最初はそのような「職人気質」を勝手に感じていて、
おっかなびっくりお話を伺っていました。
しかし、ご主人に握ってもらった美味しいお寿司に強張っていた顔も解れ、
普段、緊張すると食べれなくなってしまう私でも、
殆どを食してしまう程でした。
お話を聞いているうちに、当のご主人も、
職人としての1本筋の通ったプライドと気質を持ちつつも、
笑顔の素敵な、優しくて気さくな方だというのが分かりました。
「職人」という言葉にずっと先入観を抱いていた私にとっては、
ちょっとした驚きでもありました。

お寿司は大好きなのですが、
マグロとカツオ以外は殆どネタの種類を知らない私に嫌な顔もせず、
生簀に泳いでいた魚を見て、
ある魚を指差して「この魚はなんですか?」
と尋ねた時に「アジだよ、それぐらい覚えなさい」
と優しく言ってくれて、
最後には魚の本など2冊も貸して頂き、自分のあまりの無知ぶりに、
自分で呆れつつ、そのお気遣いにすっかり恐縮していました。

どの世界でも、これときめて、ずっと続けている人には、
特別な輝きや魅力があると思います。
そして、その苦労と努力と費やした多くの時間の上に成り立っているその知識を、
知識の無い者に惜しげなく優しく教えてくれる姿に、
本当の自信とプライドと、あるべき「仕事」の本来の姿を見るような気がします。
時にはそんな姿に、憧れさえ抱いてしまいます。
しかし、実際に職人の方や、専門職で頑張っておられる方の話を聞くと、
私のイメージは単に幻想で、「となりの芝生は緑」という諺のように、
実情はもっと違う事も分かります。
現実に翻弄され、想像以上の苦労や努力、忍耐を重ねている、
一筋縄では行かない難しい道だというのを感じます。

私の凡人感覚で言えば、好きな事を生業として生きていければ、
それはそれで素晴らしく、
しかもその仕事が人を助け、あるいは人を感動させ、笑顔にするものであるならば、
同じ苦労を重ねる上で、やはり「となりの芝生」に憧れてしまいます。
たとえそれが「生業」にならなくとも、
自分が自ら選んで進んで苦労して努力でき、
それを楽しめるものがあるという事は、それだけで素敵な事だと思います。

「絵を描くこと」、それは私にとって「仕事」ではありませんが、
ライフワークとして、死ぬまで続けて行きたいものです。
絵を通して人の役に立とう、とは今の自分ではおこがましくてとても言えませんが、
昨年作品集を作ったことで、あとがきに、
絵を描く喜びを最初に教えてくれた亡き祖父母への感謝を記し、
それを読んでくれた親戚がとても喜んでくれた事は嬉しい事でした。

現在、運良く様々なプロフェッショナルの方のお話を聞けたという事が、
自分の中で新たな財産となり、
これからも、大きな懐の「職人気質」に憧れ続けて行きたいと思います。
そして、いつか私も「絵を描いている事」を自分の中で誇れるようになりたい、
という思いが、果てしない旅路で私を勇気づけ、支えてくれるように思います。

2010/01/18

針と糸と感性と














とても美しい刺繍の作品です。
これは、連れ合いの祖母の若い頃の作品だそうです。
このような繊細でダイナミックな美しい刺繍作品が、
実家に多数飾ってあります。
それを始めてみた時は、本当に驚きました。
祖母は現在80歳を過ぎていて、とても元気で明るい女性です。
今は作成していないようですが、
聞けば、これらの刺繍作品はデッサンから配色まで全て行い、
一日中針を刺して、3、4日で出来てしまうというのです。
これにも驚きました。
見れば、本当に細かい糸で緻密に配色され、
豊かな色彩を奏でています。
作品の中には、故郷である栃木の原風景の作品もありました。
正直を言いますと、この素朴で朗らかで、人懐っこい笑顔のお婆さんから、
このような相当な労力と根気とセンスを要する作品が生まれたとは・・という驚きがありました。
自分、まだまだ相当甘いな・・と反省したのも事実です。

以前帰郷した時には、
その祖母が、庭で拾ったという玉虫の死骸を見せてくれました。
3㎝もある大きなものから、1㎝くらいの丸っこいものまで、
いろいろな形の玉虫が、大事そうにお皿に入れてありました。
そして、これを持って帰れと言います。
「綺麗だから、持って帰れ」と。
たしかに、マイナスのイメージで使用される「玉虫色」とは全く異なる、
深い紫と鮮やかなグリーンに金色を品良く添えたような、
それはそれは美しい光を放っていて、
作りもののブローチのようにも見えました。
虫はどちらかというとあまり得意ではないのですが、
「持って帰れ」と言われて、素直に「いいんですか、ありがとうございます!」
と言ってしまうほどの美しさがありました。
東京ではまず見れない姿ではないでしょうか?
そして、玉虫の死骸を美しいから大事に取っておく、
そんな祖母の屈託のない感性を、
私は全く真似できないと思い、
私が絵描きとして足りない部分だと思いました。

この美しい刺繍作品を見る度に、胸に迫るものがあります。
こういう作品こそ、もっと多くの人に見てもらいたい、
そして、いつかそういう機会をこの作品達に与えられたらと願います。
身近に良き師がいるということは、
本当に恵まれたことだと思います。

2010/01/17

15年

15年前、阪神大震災の起きた時、
当時テレビで報道された、あまりにも過酷で悲惨な状況を、
今よりもずっと無知で視野の狭かった私は、
対岸の火事の様な出来事に感じていたことを、
今になって、とても恥ずかしく思います。
現在15年経ち、改めて各メディアで 報道されているその過酷な現場、
被災された人々の姿、そして現在見事に復興した町並みを見ると、
失ってしまったものははるかに想像を絶する思いますが、
それ以上に町や人々が固く温かい絆に結ばれ、
大きなパワーを抱いているように感じます。

親しい友人が傍で悲しみに暮れていて、
その感情に共感し、慰めの言葉をかけてあげることはできても、
その心にある本当の悲しみを理解してあげられない辛さがあるように、
ましてやこの様な、抱えきれないぐらいの巨大な悲しみを、
いくら理解しようとしても感じようとしても、
自分には限界があることを痛感します。
ただこの年になって、昔の様に対岸の火事とは思えない、思ってはいけない、
そんな緊迫感が心に宿るようになりました。
いささか遅すぎる感じもします。
しかし、やっとそう思うようになったのなら、
次は行動に移してみようと思います。
例えば、もう一度震災の時の集合場所を家族で確認しておいたり、
家にある災害グッツの中身を点検して、足りないものは補充しておいたり、
悲しくも多くの人々の犠牲において得た大事な「教訓」を、決して忘れてはならないと思いました。

昨年出版した私の本も、
神戸の出版会社の方々が時間をかけて作って下さいました。
メールだけのやりとりだったのですが、
とても温かく、親切に応対して頂きました。
15年前は多大なご苦労をされているのだろうと思うと、
作って頂いた本を大事にしなければ、と思います。

もともと旅行をする機会が少ないのですが、
神戸や広島は、是非一度は訪れてみたいと思います。

2010/01/13

光と影

私が井の頭公園で絵を売っていたのは、10年も前のこと。
当時は焼鳥「いせや」さんの近くの階段付近から、
ハの字になって、色々なアーティストの方々が出展していました。
今は都の方で管理され、私が出展していた時よりも、
とても洗練された印象です。

先日はお天気も良く、久々に訪れた公園は、
家族連れやカップルなどで賑わっていました。

私もお店を見ながら、懐かしさに思いをはせながら、
ぶらりと歩きました。
そして、人を笑顔にする芸術作品はやはりいいものだなぁ、と思いました。
人間には、こういう笑顔が必要なんだと思いました。


私の作品は、どちらかというと笑顔とは真逆の位置にあるように思います。
私自身、描いている時は楽しいのですが、
発想の原点やその着地点は、寂しさや悲しさ、心の闇の部分に行き付くと思います。
インスピレーションも大体そこから来るものです。
悲しい時や辛い時ほど、心の底から湧きあがってくるのです。
そして、この世に生きている以上、これからも一生懸命生き続けていく上で、
描く為の「素材」は、胸の中で枯渇することは無いと思います。

 悲しい時には、悲しい映画や音楽を聴き、
心のデトックスを思いっきりすることが、次の元気につながるように、
絵画にもその時の気持ちに対して、それぞれの役割があると思います。

 夜の画家と呼ばれるルドンや、分裂の画家ムンク、
世紀末の画家ビアズリー、ハリー・クラーク等の描く世界がとても好きです。
マグリットの静かなる狂気の世界は、私の永遠の憧れでもあります。
彼らの絵に出会ったのも20代前半の頃ですが、
それらは皆、 自分を代弁し、
心の中の得体のしれないものを可視化してくれているようでした。
そして、それが自分への理解につながり、
夜から明ける朝の光を見れたような気がします。

絵画は大体において、描く側のカタルシスとなって機能しますが、
それは一線を越えると、他人には理解しがたいものになり、
闇の中へと沈んでいく一方で、
その断片を読み取り、感じた人にとっては、
その人自身のカタルシスにもなりうると思います。
それが、私にとってはムンクであり、ビアズリーであったのだと思います。

私自身、描くことで助けられてきました。
絵が精神浄化の産物といってしまえばそれまでですが、
その1枚がわずかでも、誰かの心象風景とつながってくれれば、
それはとても嬉しいことです。

モノクロームの世界に引き込まれた私にとって、
「夜の画家」への道のりは、とても険しいものがあります。
巨匠と呼ばれる画家達には、その旅路から帰ってこなかった人々が多くいます。
私にそのような勇気はありません。
猫と戯れる時間、家族と過ごす時間、友人と会話を楽しむ時間、スタジオに入る時間、
様々な「太陽の時間」がとても大切です。
しかし、光のさす所に、影は必ずできる。
描き続けていくことは、私にとって、
太陽と月、光と影、朝と夜のように、それらの時間と一対なのだと思います。
そしてそれが自然体なのだとも思います。


最も、マグリットやシャガールのように、陰と陽、二つの要素を巧みに融合させ、
静かに暗示させている絵画もあります。
そのような絵を、私も影の側で思考錯誤しながら、
いつか描くことができれば、と思います。

2010/01/08

再生




















昨年の10月の個展の時に友人から頂いた見事な胡蝶蘭は、
それから花を次々と落とし、ついにはすっかり花を落としきり、
美しい姿から寂しい姿に一変しました。
蘭は育て方が大変難しいと聞いていたので、
正直諦めていました。

しかし、しばらく経った頃、小さな小さなつぼみをつけ始め、
それは徐々に大きく膨らみ、
以前のような美しい花になりました。
本当に変わりないその美しさに、はっとしました。

大変おこがましいのですが、今の自分とかぶって見えてしまいます。
この有様に対して、これまでの歩みがふと重なります。

一度は花を散らし寂しい姿になっても、
また同じ美しい花を咲かせる事が出来る・・・
憧れと同時に、ひとひらの希望の花弁を受け取ったような気がします。

小さな命はいつも謙虚に、
生きている事の希望と真意を教えてくれます。

2010/01/06

映画の話

年始に借りて見たDVDで、とても心に残った作品があります。
C・イーストウッド監督の「グラントリノ」です。
前々からその評価の高さから見よう見ようと思っていたのですが、
この機会にじっくりと見ることができました。
そして、「百聞は一見に如かず」、噂以上の作品でありました。

海外の映画を見るといつも感じるのですが、
宗教や人種の問題、戦争の後遺症の問題等は、
本当に理解しようとすると、とても難しいということです。
私の勉強不足や、想像力の乏しさも原因しているのでしょうが、
それ以前に、この国のこの町に住んでいて、まず実感として感じ得ないことなので、
私には理解するのがとても難しいのです。

この映画にも、アメリカの実像として、それらのシーンは沢山出てきますが、
それ以外に、日本でも直面にしている老いと家族の問題や、老人の単身化、
地域社会の問題なども含み、
「人間として生きていく上での不可避な問題」を取り上げていたので、
国や生活様式は違っていても、
背負う問題は同じものがあるんだと、共感できる部分が沢山ありました。
切り口を変えれば、いくつもの違った問題やストーリーが見えてくるのです。

「そうか」と思ったシーンは、
モン族の食事会に、主人公のウォルトが招待された時のことです。
美味しい食べ物に段々と心を許していく主人公に、
「美味しい食べ物の前では人は笑顔になる」という通説を、
確信したように思いました。
映画におけるフード理論提唱者の方が以前ラジオでお話しされてましたが、
良い映画には良い食事のシーンがあり、食べ物を大切に扱っているとのこと、
なるほど、と思いました。
私は家事の中で、食事を作るのが大の苦手なのですが、
これからの人生において、食べ物への思いをちょっと考えなおさねば、とも思います。
同時期に「スーパーサイズミー」というドキュメンタリー映画も見ているので、
なおさら・です。

そしてウォルトが愛車を洗車して満足そうに眺めているシーン。
愛車のグラントリノは、主人公のアイデンティティであり、心の拠り所であり、
良き日々の象徴であり、宝物であり、誇りである。
こういうものを一生のうちに持てるか持てないかで、
心の在り方は随分と変わるのかもしれないと思います。
さて、私には何がある?と問うた時に、
「家族」以外に思いつくとしたら、やはり「描くこと」でしょうか。
それは、高価であったり誰に相続するものでも無いけれど、
やっと描けた絵1枚を眺めて思うことと、
主人公が磨き上げた愛車を眺めている時に思うことと、重なる点が有る気がします。

細かい絵を描いていますから、
そのうち身体的に描けなくなる日も来るでしょう。
でも、その「大切な日々」を眺めながら、
懐かしい気分に浸るだけの日々が来ても、
それはそれで、幸せなのかもしれません。


この映画では、感動した・とか、良い映画だった・というよりも、
深く考えさせられる点がいくつもあったということが、私にとって魅力でした。

両親の老いが更に現実味を帯びてきた時に、私はどう対処するのだろう
連れ合いはいるけれど子供は無く、このまま生きていくとどうなるのだろう
単身になった時、地域コミュニティとはどう接している?
孤独で命を断とうとする老人がいる、長生きしてごめんねという老人がいる・・
そんな社会はけして健全とは言えない

暴力は、更なる暴力と憎しみしか生まない
温かく美味しい食は、人と人との繋がりを豊かにする
良き師が若い頃私にも大勢いた、そしてその人たちが私を育ててくれた・・

そして、私にとっての「グラントリノ」は?


こんな思いが見た後に走馬燈のように 頭に広がり離れません。
当たり前の様な問題、事柄だらけですが、
気付くことと、気付かないまま、あるいは気付いても無視し素通りしてしまうかでは、
これからも生きていく上で、それは大きな分岐点に思えてなりません。

2010/01/04

走り続ける

大晦日から今年の三が日は、家で映画三昧でしたが、
さすがに頭が疲労してしまいました。
見た映画にシリアスなものが多かった為、いろいろと考えさせられた反面の、
自業自得の結果です。

そこで大晦日から少々充血ぎみの頭をクールダウンさせようと、
知り合いの大学が出ていることもあり、初めて「箱根駅伝」 を2日に渡り、
拝見しました。

最初は家事をしながらなど、そんなに集中していなかったのですが、
段々と引き込まれ、2日目の最終ゴール直前では、
すっかりその情熱と青春の世界に引き込まれていました。

とても単純な感想ですが、頑張るって素晴らしい! と思いました。
走っている時の表情はとても苦しそうなのに、
ゴールしてインタビューを受ける選手は皆、楽しかったと言っています。
肉体的にも精神的にも、お茶をすすりながらのんびり見ているこちら側からは、
到底想像ができないほど、過酷で苦しいはずなのに。

絵を描くというのは、マラソンに似ているなあ、と思うことがあります。
「駅伝」を見ていても、そう感じました。
走り続けている間の孤独との戦い、彼らが背負うプレッシャーとは比較になりませんが、
それでも、昨日の自分を少しでも超えたいという思い、
ゴール=描き終えた後の爽快感・・
私の描く白黒の細密描写は、油彩のようなダイナミックさも無く、
水彩のような淡い色彩の妙を楽しむことも無く、
とても淡々として、地道な作業が多いです。
点描などを施している時は、それこそ耐える精神力も必要となってきます。
日々黙々と、着実に描いているうちに、
気がつけばゴールが見えてきます。
そして思うのは、描き終えたその瞬間も素晴らしいのですが、
それよりも、淡々黙々と描き続けているその時間に居ることが楽しかったということです。

ゴールは次へのスタート地点でもあるので、
気持ちが多少緊張することもあります。
手書きのペン画は、ある意味、修正がききませんから、
点一つ描くことにおいても、とても慎重になります。
ただ、自分を信じて描き続けていれば、
そのうち描く絵そのものが意志を持ち、ゴールへと導いてくれるのです。

マラソンの選手達が、仲間を信じ、自分自身を強く信じて、
20キロ以上もの道のりを走破したように、
私も自分を信じて、これからもずっと描いて行こう、
そんな勇気をもらったように思います。

2010/01/01

四季

大晦日前に借りていたDVDが残り1本となってしまいました。
思ったより余力があって1日に数本見てしまいます。
大晦日に見た映画は実話に基づいたシリアスな作品で、見た後に涙が出ました。
悲しいとか可哀想という感情ではなく、自分の無力さ、
現実を知っても、知ること以外に何も出来ない不甲斐無さに心が震えました。
この同じ星の下で、新しい年が明けても、
様々な「現実」に直面している人々がいます。
こんな考え方は不謹慎かもしれませんが、
暖かい部屋で大好きな絵を描ける私は贅沢すぎる、とも思ってしまいます。

前職の時は、年末年始のこの時期が一番忙しく、
お正月休みも無いに等しかったので、
こうして普通に休んでいるのが、何だかとても悪いような気がしてしまいます。
町に行くと、様々なお店で必死に働いている方々を見ると、
昔の自分と重なって苦しくなり、そのご苦労を思います。

人生は紆余曲折で「四季」があるように思います。
仕事に没頭していた自分は、体裁上、あるいは経済的には今より豊かだったが、
自分自身の心の中はというと、いつも自分の真ん中がもぬけの殻で、季節に例えれば冬だった、と思います。
それが今は逆さなだけなのかもしれません。
記憶は残念ながら、喜怒哀楽の極端な場面をスクラップしているだけですが、
穏やかな春や秋のような日々は、
静かな旋律となって、心の片隅で優しいメロディを奏でているような気もします。
それが私の救いでもあります。
極端な日々など本当はいらない、今は普通であることが大切で、
絵を描く時間と心の余裕さえもてれば、それが幸せです。
しかし、それさえも贅沢すぎるのでは?と自問自答せざるを得ない現実が、
この世には沢山あるのも事実です。

自然界に春夏秋冬があるように、
人の世にも四季があり、人の人生にも四季があるように思います。
冬を越せば、命の芽吹く温かな春がやってくると、自然の流れに沿えばそうなるし、
春は必ず来ると、信じたいのです。
そして、昔の日本人が四季折々の美を愛でたように、
冬の寒さの中にいても、一面の銀世界に心を揺さぶられるような 、
夏のうだるような暑さの中にいても、キラキラと輝く海を見たときに心が躍るような、
そんな感性を持ち続けていけたらと、願います。

2010年

昨年は2回目の個展を開催できて、様々な人々に絵を見て頂き、出会う事が出来ました。
また、良き理解者の協力のもと、ホームページを立ち上げ、
本を出すことも出来ました。
見て頂いた方、協力して頂いた方にここでお礼申し上げます。
本当に、有難うございました。

今年もいろいろと挑戦していきたいと思いますので、
どうぞ、宜しくお願い致します。

Kyon