Kyon {Silence Of Monochrome}

Kyon {Silence Of Monochrome}
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2010/03/26


出かける時など、3回に1回ぐらいの割合で、
気まぐれに玄関まで「お見送り」してくれるワサビ。

「お見送り」しているかどうかは分かりませんが、
「いってらっしゃい、早く帰ってきてね」と言っているような気がします。

気のせいなのはわかっているが、本当にそう言っているような気がする・・・
愛犬や愛猫等を飼われている方には、少なからずある事だと思います。

ごはんをあげれば、「ありがとう」や「おいしかったよ」
遊んであげれば、「たのしい」「うれしい」
決して喋りはしないけれど、そんなふうに心の声が、聞こえたといっている。
それはもしかしたら、そんなふうに言ってもらいたい、というささやかな願望の表れかもしれません。

そうおもうと、私にとっては、ワサビは「心の鏡」です。
じっと見つめる視線の中に、愛情のようなものを感じれば、
それは私の彼女に対する愛情に他なりません。
その瞳の中に、「遊んで・・」というメッセージがあれば、
私が最近、沢山遊んであげれていない事の後ろめたい気持ちを反映しているのだろうし、
「一緒にいたい」というメッセージを感じれば、
私が、もっと一緒にいてあげたい、という願望の表れなのかもしれません。
猫は本来、複雑な感情は持ち合わせていないという事を前提にして考えるならば、
ワサビから感じ取る複雑な感情は、結局は自分自身のものだと思うと、
なんとも不思議な気分になります。

人に対しても、同じ事が言えるかもしれません。
「以心伝心」という言葉がありますが、私はこれは確かにあると思います。
人の心は、そんなに単純でない事は百も承知ですが、
それでも、好意を持って接すれば、相手も朗らかに接してくれるように思います。
こちらから、積極的に働きかけてみれば、
相手も段々と心を開いてくれるかもしれません。
度を越すのは、いかなる場合でも良くないとは思いますが、
それでも、まず相手を信じて、好意を持って接してみる事に、
心の中でチャレンジしてみるのは、悪い事ではないと思います。
「思いやる」という言葉が、調度良いかもしれません。
相性の良し悪しや、価値観の違いなど、心をすれ違わせる要素も多々ありますが、
まずは自分の中で働きかけてみて、それから冷静に判断していくのも、
人間関係を円滑にしていく、一つの手ではないかと思います。


時にはワサビを疎ましく思ってしまう事があります。
作業をしている時に、「遊んで」とせがまれる時や、
訳も無く「ニャアニャア」鳴き続けている時など、
ほんの一瞬ですが、疎ましく思います。
そんな時は、決まって、自己嫌悪に陥ります。
ワサビは悪気はなく、むしろ私がほっておき過ぎてしまっているから、
欲求不満で鳴いているだけなのに・・・
これも、私の推測に他ならないのですが、
それでも、自分の心の黒い部分を観てしまう時は、がっくりと落ち込みます。

 人との関係で躓く時も、こんな心模様が関係しているのかもしれません。
予期せぬ化学反応が起きてしまうのが、人間関係の性とでもいえるのでしょうか。
 ワサビに限らず、人もある意味、
自分自身の心を映す鏡にもなりうる、という事をふまえて、
人の言葉や行動を感じ取っていく必要性を感じています。
 まずは、今自分がどんな気分なのか、
自分自身への「思いやり」を持ちながら、
人に対しても、「思いやる心」を持てたなら、
いつもと違う心の声が聞こえてくるかもしれません。

2010/03/21

繋がる

やはり、孤独では、頑張りきれない時もあると思います。
誰かが見てくれていると思えば、何となく心強いし、
辛い時も耐えられます。

前職では誰よりも早く行き、誰よりも遅く帰る日々が続きました。
休憩もろくに取らずに、ただひたすら走り続ける日々。
役職柄、目に見えぬ裏方仕事もこなさなければならず、
最初は会社の為、お客様の為を常套句に使っていましたが、
そのうち、何の為に、誰の為に、頑張り続けて良いのか分からなくなり、
心身ともに焦燥感に浸る日々が増えてきました。
ただ空回りして時間と労力を浪費している自分に、
腑甲斐無い涙を流した時もありました。

こんなにも仕事に集中し没頭する自分がいたのかと、
新たな側面に、自身で驚くと同時に、
「自分の時間」はどんどん減り、その時間の居場所や役割すら分からなくなって行きました。
私が感じていた焦燥感は、その「時間」の悲鳴のようなものだったと、
今になって思います。

それでも我慢して仕事に携わって行く中で、次第に充実感と楽しみを与えてくれたのは、
自分の献身的且つ自虐的な努力等ではなく、
それを陰ながら私を見てくれていた上司や部下、同僚、そしてお客様だったと思います。
時には人間関係に苦しんだ時期もありましたが、
人から得た痛みは、人がまた癒してくれるという事を、
身を持って体験できた貴重な時間でありました。
また、そんな人との関わり合いを密に感じてきたからこそ、
人との繋がりの大切さを理解し、
人を大切にしていきたいという思いを持てるようになったと思います。

「絵」も同じです。
20代の井の頭公園に始まり、今日に至るまで、
私の絵を誰かに観てもらえた、そして、絵を通じて人とコミュニケーションもとれた、
それが支えとなり、描く原動力になっているのも事実です。
以前は、寂しさや哀しさ等、心に巣くう言いようのない孤独感や虚無感が、
絵を描く事で緩和されていた事もあり、
それが原動力となっているのは今でも変わらないのですが、
それに人との繋がりが加わって、
絵を描く事が私の中で、更に意味の深いものに変わりました。

私の知らない遠い場所で、誰かが絵を観てくれている・・
それはとても有難い事です。
1枚の絵を通じて、少しの間、
その空間の中で対話させて頂ければ、
それはとても嬉しい事です。

2010/03/18

左利きの悩み

最近見た映画のセリフに、印象深い言葉がありました。

「鏡文字で、メッセージを残す・・」

私は左利きで、小さい頃は字や箸を右手に直すのに、両親は一苦労していました。
左利きの子を、無理やり直させると、
その子の発育にあまりよい影響が無い・と聞いた事があります。
本当かどうかは解りませんが、私に限って言えば、
その「影響」は無くも無かったと言えるでしょう。

この社会はやはり右利き社会です。
パスモをかざす時も不便ですし、ちょっとしたネジを回す時も、
時には時計の針の回転方向でさえ、私は一歩立ち止まって考えてしまう時があります。
人が描いた円を見れば、右で描いたか左で描いたかは一目瞭然です。
私は絵を左で、字を右で描くのですが、
左で円を描くと、時計の針の回転方向とは必ず逆の方向に円を描くことになります。
私は時々、それを本当の時計の回転方向だと勘違いする時があります。
以前、時計回りに物語が進む絵(時は流れる・・・)を描きましたが、
何を勘違いしたか、見事に時計とは逆の回転で、物語を進めていました。
しかも、描き終えてしばらくたってから気付いたのです。

これは全く個人的な事ですが、左と右の区別もたまに間違う事があり、
右へ曲がるはずが左へ曲がったりすることはしょっちゅうです。
それが左利き、または、それを無理やり直した事と、
直接の関係性は無いと思いますが、
時々やってしまう奇妙な思考と行動を考えると、
私の頭の中は、
常に鏡と向き合っているような状態なのではないかとさえ、思う事もあります。

何をするにも一歩立ち止まって考えてみないと行動できず、
幼い頃から、このノロノロとしたとろい性格に劣等感を持っていました。
それは当時右手を使う事が正しいとされていて、
鉛筆を持つのも、ハサミもお箸も包丁も、
まずきき腕の左手を無視して練習しなければならなかった二重の苦労の、
ある種後遺症のようなものに思えた時もありました。
これはもう少し大人になってから聞いた事ですが、
私を担当してくれていた保母さんが、
「kyonちゃんは人よりちょっとのんびりしているけれど、
そのかわり人の10倍頑張ろうとする子」と言ってくれた・と母から聞いて、
とても救われた思いになったのを覚えています。
その言葉は今でも私を勇気づけてくれています。


さて、左利きの人は鏡文字のかける人が多いと聞きます。
水守アドさんという、とても素敵なイラストレーターの方がいますが、
「クッククック~」といって、
透明なガラスに両手を使ってイラストを描くパフォーマンスを覚えている方も多いと思います。
あれが要するに「鏡文字」を絵に変えて、両手で再現したものです。

ちょっと試してみたら、私も難なく描けました。
簡単なものなら文字も、絵も、左右対称に描けます。
それはちょっとした驚きであり、
たいして役には立たないが、左利きでよかったかも、と思った瞬間でした。
万が一、右手を怪我しても、左で字が書けますし、
悪い事ばかりではない、と今は思っています。

「鏡文字で、メッセージを残す・・」
日記をそのうち、鏡文字で書いてみようかな・・と思ったセリフでした。
小さなメッセージでも、ちょっと神秘的で、未来の自分への謎かけになり、
面白いかもしれません。
出来る事なら、作品として、右手と左手、両手を使って鏡絵に挑戦しても、
また新たな世界が広がるかもしれません。

幼い当時は、皆との違いに悩んだ左利きも、
今は絵を描くためのベストパートナーとして、
私をずっと支えてくれています。

2010/03/15

私が幼少の頃、毎日を過ごしていた祖父母の家は10年以上も前に取り壊されました。
その現場は、私にとっては「死」であり、とても直視できるものではありませんでした。
取り壊す前に撮っておいたその家の写真を見て、
何度懐かしみ、寂しい涙を流したか知れません。
だから私は、郷里がしっかりある人が時々とても羨ましく感じます。

祖父母の家に遊びに行く時は、
決まって川沿いの砂利の坂道を、自転車を大きくバウンドさせながら、
心も大きく弾ませて走って向ったものでした。
祖父母の家は、私にとっては宝の山でした。
叔母が大学を卒業して就職した後にその家を去り、
そのまま残された叔母の部屋は、私にとって城のようなものでした。
本好きの叔母が読んでいた沢山の本の山・・
横溝正史や江戸川乱歩、筒井康孝などを好むのは、
そこにあった本の影響です。
そしてお洒落だった叔母の古着も魅力的でした。
毛皮など、もっとお姉さんになったら来てみようと、小学生の自分はとてもワクワクしたものです。

砂壁に赤い電球が1つ灯るだけのその小さな薄暗い部屋は、
夕暮れになると少しひんやりとして、
気温のせいなのか、それとも違う寒気なのか分からない時がありました。
覚えているのは、日がすっかり暮れた頃に、
その寒気に身体がゾクゾクとして途端に恐ろしくなり、
わっと部屋を出た事です。
今思うと、多分、気温の寒気では無かったのでしょう。
それは暑い夏の日でも有りましたから。

それでも、私はその小さな薄暗い部屋が好きでした。
友達と遊ばなくても、両親が働いていて傍にいなくても、
心はすっかり、祖父母とその部屋に満たされていました。


時々、その祖父母宅へ行く途中の砂利道を通る事があります。
家は取り壊され跡形もないのですが、
その道だけは変わらずに存在しています。
目をつむって歩いてみると、その道の曲がった先に、
祖父母宅が出てくるような気がして、
それが叶ったらどんなにか嬉しいだろうと思うのですが、
その道を曲がった瞬時に、心はいつも寂しさで溢れます。

砂利を踏む足音だけが、
今では唯一、当時の感覚を呼び覚ましてくれるものです。
その先には何も無く、ただ虚無だけがあんぐりとその口を開いているだけなのですが、、
それでも私はその道を、どうしても歩きたくなる時があります。

心の目では、何もない空間の中に、
ツルバラが見事に咲く、懐かしい祖父母宅がいつでも見えてくるのです。

2010/03/13

思考の渦

時々、思考の渦にのまれそうになる事があります。

情報は、ネットやテレビやラジオや本や雑誌・・・ありとあらゆる様々な媒体から止めどなく発信され、
吸収しすぎた情報が、頭の中で消化不良を起こすのです。

私の頭の中の判断力、仕訳力は、人よりも鈍いと感じる事が多々ありますが、
そんな時は、それらがさらに鈍くなっていると感じ、
雑然とした頭の中に取り残された私が、
やがて思考の渦のようなものに、連れ去られようとするようです。

合わせ鏡をのぞいた時に、いつまでも続く自分の姿・・
それをずっと眺めているようにも感じます。

もし、私が仕事をしていなかったり、友人とも接点がないような生活をしていたら、
やがて、その渦の中に巻き込まれて、溺れ死ぬ事でしょう。
絵や音楽は私にとって無くてはならない大切なものでありますが、
時にその思考の氾濫を助長する役目も持っています。
なので、私とそれらの間には、いつも適度な距離があり、
依存しすぎない事が、私の中でのルールになっています。

整理できない、雑然とした思考の世界・・
その中で本当に重要なものは、ほんの一握りしか無い事を知っているだけに、
その断片を見つけ出そうと焦るのですが、
それがかえって、事を悪くしてしまいます。
自分自身では手に負えなくなったその思考の部屋を、
一緒に片付けてくれるのは、
やはり他者であり、社会であるような気がしています。

また、合わせ鏡の中から抜け出せないで途方にくれている自分を、
その鏡の1枚をひょいっと取り除いて我に返らせてくれるような、
家族や友人の言葉、与えられた毎日の仕事に、
ただ頭が下がる思いです。

時には人間関係に苦しみ、仕事を恨む日もありました。
何の為に働くのか、自分を犠牲にしてまで、人と関係していかなければならないのか、
考えるほど迷宮に迷い込んでしまう事もありました。
しかし、今は、人との関係や、仕事によって社会に必要とされ、
少しでも人の役に立っているという感覚に救われている自分がいます。

何事も依存しすぎず、没頭しすぎず、
しかし無関心で通り過ぎない、思いやりを持った適度な距離間を保つ事で、
よりよい関係がきづけるのだと、
そして、そんな関係の中で人は充実した時間を送れるのだと、
やっと解ってきたような気がします。

2010/03/09

雪の日

東京で見る雪は、幼い頃と比べると、随分と日数も量も減ったなあと感じます。
小学校の頃は、もう12月には校庭一面に雪が降り積もって、
翌朝に皆で雪合戦をした記憶があるのに・・

ワサビは雨が好きなようです。
雨音が心地よいのでしょうか、雨の降る日は興味深そうに窓から外を眺めています。
本日のこの雪も、珍しそうに眺めています。
生まれてまだ数回しか見た事のない雪です。
猫は動く物がコマ送りに見えているといいますが、
ひらひらと舞い落ちる雪も、きっとそのように面白く映っているのでしょう。

猫は、そしてそれ以外の動物もそうでしょう、
決して人間より下等なものとはいえない気がします。
ワサビと暮らすようになって、ますますそう思うようになりました。
確かに感情や知能、思考能力は劣るのでしょうが、
それでも、嗅覚や視力は人間よりも優れているし、
身体的な能力も驚くものがあります。

感情もとてもシンプルな構造だと聞いていますが、
それでも、好きとか嫌いとか、垣間見る優しさなど、
複雑な感情もちゃんと備えているように思います。
そこにふと触れる時、心を洗われる思いです。

人間のように裏表や邪心を持つ事も無く、無垢で無邪気な所も、
純粋なものに疎遠がちになる生活の中では、
澄んだオアシスのような輝きがあります。

ワサビに接する事で、自然と笑顔も生まれてきます。
私たちはこの子にどれだけ、助けられているか知れません。
そんなかけがえのない存在なだけに、
いつか来る別れを思うと、とても苦しくなります。
それでも一緒に過ごせる10年から20年の時は、
ワサビの存在によって、
まったく違う魅力に満ちた日々になることは間違いないだろうと思います。


今夜の雪が描く、美しい雪化粧も、明日には太陽に連れられて、
幻のように、消え去ってしまうのでしょうか。
東京の雪は、本当に儚い夢のように変わってしまいました。
それでもやはり白く美しい雪景色は、
モノクロームの世界観とシンクロし、心を魅了します。

2010/03/07

webサイト更新しました

webサイト、ギャラリー内・Flowersのページに【束縛】という絵をUPしました。

とても気に入っている一枚です。

是非ご覧下さい。

※当Blog内のAbout My Illustrationのページは、
これまで描いてきた私の絵についての覚書です。
宜しかったら、そちらもどうぞご覧下さい。

音楽が一緒に

電車に乗る時は、すごく空いている時か、とても疲れている時以外は、
あまり椅子には座りません。
窓側に寄り添って、音楽を聞きながら外を眺める事にしています。
特に知らない町の風景は、新鮮な発見があるので楽しいです。

音楽を聞くと、
その3分程の間には、映画1本分の感動があるよね・
と言った友人の言葉が今も印象的に残っています。

時々、外の風景や空の様子等と、音楽が非常に合う時があるのですが、
そんな時はとても気持ちが良いのと同時に、
ちょっとした疑問が生じます。

はたして音楽が風景に意味を与えているのか、
それとも風景が音楽に意味を与えているのか、
それを考え始めると切りが無く、
はっきりとした事はいつも分からないのに、
思考の癖となっているようです。

いつも手軽に音楽が持ち運びでき、
音楽と共にいられる事がより一層増えた今、
時と場所を考える必要は充分にありますが、
それでも、音楽が寄り添ってくれていれば、
自然と寂しさが緩和し、広がる風景も次々と違う表情を映しだし、
多彩な感動を得られます。

小さなバックに、アイポットと本を忍ばせればそれで十分な事もあり、
そんな時間をもっと大切にしていきたいと思うこの頃です。

2010/03/05

癒えぬ思い

幼い頃は、祖父母の家で大半を過ごし、
思い出も、祖父母との思い出の方が多く、今でも印象深く脳裏に焼き付いています。

祖母は言ってみれば、私の第二の「お母さん」のような存在でした。
ですから、20歳になっても、25を過ぎても、
ずっと存在しているのが当たり前のように思っていました。

祖母が80歳を過ぎた頃、入退院を繰り返すようになりました。
入院しては退院し、また病院へと戻って行く。
そしてまた病院から戻って来る時は、以前よりも体調は悪く、
精神的な脆さも辛くなる程でした。
当時、私は実家を出る計画を密かに企てていて、
それを話すと、何故か祖母は大粒の涙を流して、祝福してくれたのでした。
それは当時の、心細く後ろめたい気持ちの私にとって、
最大の救いでもありました。

間もなく、祖母は長い入院に入り、
日増しに病状は悪化していきました。
それでも私はまだ、祖母は死なない、という妙な幻想を抱いていましたから、
祖母を元気づけようと、
日舞を踊るのが好きだった祖母の為に、
その踊る姿を模写して、ベットの近くに飾っておきました。

しかし、それを見た祖母は、涙を流しながら、それをしまってくれ、と言います。
見ているのが辛いんだ、と言いました。
私は愕然としました。

自分の想像力の無さに、一気に砕け落ち、
自己嫌悪の津波に襲われたようでした。

その時祖母はもう、ここから戻れないという事を、うっすらと悟っていたのだと思います。
もう踊りは踊れない・・・そんな思いを私は少しもくみ取ることもできず、
祖母が何時でも「上手だね」と褒めてくれた、
その「絵」によって、祖母を傷つけてしまった。
絵を描く事が、この一瞬、意味なく恐ろしく思えたのです。

それから祖母は坂道を転がるように、あっという間に、
逝ってしまいました。
夏も終わりの日、私にとぎれる息で、「アイスを食べな」と言ってくれたのが、
言葉を聞いた最後でした。


絵を描く事は私の喜びです。そして絵によって救われています。
しかし、このとき程、絵を描く事、それ自体に不信感と、
罪悪感と、 後悔の念を感じたことはありません。
その思いは、時々私を支配し、
絵を描く事について、悶々と考える時間が過ぎて行きます。

2010/03/03

冬の華~Flowers~

都会のビル群はいつ見ても、冷たくて淋しい感じがします。
夏の暑い日でも、冬のような寒さを感じてしまう・・
それは身体で感じる温度ではなく、
心で感じる温度です。

「冬の華」~この絵は、白黒の世界に引き込まれ、ドットやラインを駆使して、
じっくりと1枚の絵を描く喜びを知り始めた私の最初の頃の作品ですが、
そんな思いを描いた作品にも思います。

空は不穏な様相を映し、それは私自身の心模様であったかもしれません。
私には冷やかで閑散として映っていた都会の景色に、
颯爽と歩く、色とりどりの綺麗な女の人達は、
一見して咲き誇る花の様にも見えていました。
しかしよくよく見ると、その人達も何だかただの美しい人形の様しか見えず、
そこは自分にとって異国の様にも感じていました。
今でも、ふっと立ち止まるとそんな幻想に襲われます。

1人でいるよりも、大勢の中にいる方がより強い孤独を感じる事があります。
満員電車に揺られながら、思います。
となりにいるこの人も、あの人も、頭の中では色々な事を考えて、
心には色々な思いを抱えて、それぞれに大事な生活や人生があるのに、
この閉ざされた空間の中では、皆透明なカプセルの中に居て、
他を一切遮断している。
それは、普通に当り前の事なのだけど、何だか考えれば考える程とても不思議に思えて、
群衆の中での痛烈な孤独感が、より一層高まってくるように感じて、怖くなります。

私も含めて皆、温かな鮮やかな血が流れているのに、
体温が一切感じられない冷やかな空間、そんな所にひとりぼっちでいる様に感じます。

そうかと思えば、感情をむき出しにして、ホームで人と人が身体をぶつけ合い、詰りあっている・・
家族でも友人間でも、あのような喧嘩をする事は少ないんじゃないかと思います。
喧騒の激しい都会では、そんなもめ事が少しでも起きない様に、
また自分が傷つかない様に、
やはり1人1人がカプセルに入って、
外の世界を遮断してじっと耐えている方が得策なのかもしれません。

 都会では、「華」はいつでもあらゆる所に咲き誇っています。
しかし、本当の「花」が生きて行く事はとても難しい世界なのだと思います。

2010/03/01

桜三月

ラジオやニュースで、
日本の自殺者は毎年増え、去年も3万人以上の人が亡くなったと聞き、
とてもショックに思いました。
そして、3月は自殺者が最も増える季節とも伝えていました。
主な要因に、会社が決算期に当たることや、
生活の変化が多い時期だからという事があるそうです。

3月は私が産まれた月でありますが、
私はこの月から5月にかけての特有の、
生温かいような空気感がちょっと苦手です。

上の要因にもあるように、私も新入学や新学期、卒業等に伴う変化に
上手く乗れないタイプでした。
友達を作るのも苦手、集団行動も苦手、
しかし、孤独すぎるのも苦手・・
どうしてよいかわからない混沌とした意識の中で、
この時期は必死に耐えていた事が多かったように思います。

私の大好きな井上陽水氏の初期の作品である「氷の世界」というアルバムが好きで、
その中でも「桜三月散歩道」という曲が一番好きなのですが、
歌詞の最後の部分にこうあります。
「町へ行けば人が死ぬ  今は君だけ想って生きよう
だって人が狂い始めるのは  だって狂った桜が散るのは三月」

70年代、高度成長期の真っただ中にいて、
その繊細な神経を、こちらが心配になってしまうぐらいにむき出しに歌い続けていた、
陽水氏の洞察力の凄さに、ただため息が出てしまいます。
そして、時代は変わっても、
人の心のありようはなんら変わらず、
むしろもっと過酷な領域に、誰しもが踏み出さざるを得ない状況にあると思います。


せめて、身近にいる人の心には、
できるだけ気を配っていきたい。
そんな願いにも似たような思いが、胸を痞えます。