Kyon {Silence Of Monochrome}

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2021/04/25

わさびのシコリ 5 退院

 4月22日 おみまい

わさびに声をかけると元気に鳴いた。前日にガス(おなら)がバッっとでて、粘液のついた便がでたという。おそらく抗生剤の影響か。そのせいで少し食欲がないという。大好きなとりささみのチュール(下部尿路配慮)は食べた。

おしっこは出ているので水は飲んでいる。

夜にノミの薬(レボリューション)を打ってもらう。


4月23日 おみまい

昨日よりも元気鳴く。

まだごはんを食べていないというのでチュールを一本まるまる食べた。

おしっこは二回。

かまっていると積極的に動こうとするので、日に日に回復している様子。

傷のくっつきもよいとのこと。

介護士のお姉さんがわさびがお返事してくれるようになりましたよぉと言っていた。

「けっこう、おしゃべりですよね」

そうなんです、しょっちゅうなにかしゃべっているけど、

たぶんその大半は文句か欲求なんだろうな…。



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4月24日 待ちに待った退院

家人とおむかえに行く。介護士のお姉さんに抱えられてくる。

エリザベスカラーを巻いたわさび。

傷はまだまだ痛々しいが、もう化膿するということもなく、包帯は巻いておく。

抜糸は来週。

持ってきたナイロン製のエリザベスカラーをお姉さんに見せると、まだ硬いエリザベスカラーの方がいいですよ、とのこと。

なるほど、柔軟性のあるカラーだと、傷を舐め壊してしまう可能性があるのだな。


帰路でも元気に(というか不満げに?)鳴いている。

家に帰って用意しておいたソフトケージに入れると、さらに元気よく。

思いのほか、元気で動こうとするので、水やフード皿をひっくり返してしまう。

エネルギーチュールをあげるとペロリ。

出せとさんざん鳴いて、しばらくして鳴き疲れると静かになった。


毛づくろいをしようとして、太もものやわらかい包帯をなめて飲んでしまうので、そこをテーピングでカバーした。


おしっこはすぐにして、お水も飲み、夜にはゴハンも食べていた。

…が、夜にけっこう鳴いて暴れるため、ケージ付近の家人はなかなか眠れなかった様子。


傷のため、あと1週間、ケージなんだよなぁ。。

がんばれ、わさび。

2021/04/20

わさびのシコリ 4 おみまい

 わさびの腫瘍除去の手術後、3日目。

病院に会いに行くと、昨日よりやや元気そうな姿。

もちろんエリザベスカラーをつけてくったりとはしているが。

先生から、カリカリごはんを自力で食べましたと聞き、ほっとする。

おしっこもたっぷりしましたよ、と。

お水については、皮下輸液をしているので、やめてみます(=飲むかも)、ということだった。

ケージには小さいおトイレと、お水とカリカリごはん。

少しずつ、回復している。


わさびの小さな顔や、さらに華奢になってしまった身体をさすってあげると、気持ちよさそうにしている。鳴き声も昨日より元気そうだ。

しばらくするとむくむく動こうとした。

ダメダメ、まだ動き回ってはいけないのだ。


今日は初夏のような陽気だ。太陽がいよいよ眩しくなる。

季節の移り変わりがここのとこ、やたらに早い。4月というのに台風も発生している。

そして、またまた不安なコロナの足音。東京もいよいよなのかな…。

なんだか落ち着かない世の中だ…。

マスク、消毒、人との距離。食事なんか家人とさえもここ一年以上別にしている。

もともとインドアでお酒は飲まず外食もほぼしないから、生活それ自体が大きく変わるわけではないが、

ウィルス以上に蔓延する社会不安が気持ちをどんよりさせる。


それでも大事な大事なわさびの一大事。

どしゃぶりのなか、小さな傘をさして、走っていくような気持ち。


ちなみに、わさびのお隣で入院中の猫さんがとってもかわいい。

愛嬌のあるお顔に癒される。



2021/04/19

わさびのシコリ 3 手術

17日 手術当日

前日からわたしの気分は落ち込み、家人も口数少なく…。

わさびの朝食は抜き。朝からごはんよこせのぺろぺろ攻撃(顔中なめてくる)、

ごはん皿の前でちょこんとすわり、ずっとこちらをみつめてくる姿に切なくなる。


特に抵抗もなく、リュック型のキャリーにすとんと収まる、軽くて小さなわさび。

ちなみにこのリュック型キャリーはペットキャリーに見えづらく、外を歩くと行き交う人にどこで猫が鳴いているのと不思議そうな顔をされる。形はあのウー〇ー〇ーツそっくり、なので、うちではウー〇ーキャッツと呼んでいる。


病院に着き、先生に説明を受ける。

老猫なので麻酔は浅め(注入+吸入)、短時間で切除し、すぐに起こす。

術後は抗生剤。

脚のつけ根付近からお腹にかけて切るので、動いてしまうと傷が開いてしまう。ちょっとかわいそうだが数日狭いケージに入れてじっとしていてもらう。

なにより術後、傷をくっつけることが最優先だと。

入院のストレスで食べなくなってしまうかもだが、食べないと傷がくっつかないので食べさせますとのこと。


爪を切ってもらったときに、爪が平たくなっていますねと言われた。お歳になってきたいうことですよと。

わさび13才8か月。


もう、すべてお任せして、祈りながら待つしかない。

わさびをキャリーに入れたまま預け、帰りは二人で近所の八幡様にお参りに。


わさびがいないと、やはり、家族がいないようで、寂しいことこの上ない…。


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19日

待ちに待ったお見舞いの日。

早く明日になれと、前日は9時には就寝。


ドキドキしながらわさびのもとへ。

コロナ渦、幸い電車はめちゃくちゃ空いている。


運ばれてくると大きな声で鳴いていて、ひとまずほっとする。

調度、ガーゼを取り替えるということで、わさびの傷を見せてもらった。

小さな体に、長くて痛々しい。

麻酔の目覚めは良く、腫瘍は楕円形だったのでマージンを取ってかなりの範囲を切った。

怪しいものも取とりました、深いところにまで達してはいませんでしたよという言葉にほっとする。

抜糸は2週間後。腫瘍は病理検査に。


がんばったね、わさび(泣)。。


おしっこは自力でペットシーツにしているが、お水は飲まないので皮下輸液。

ごはんも食べようとしないので一日2回、缶を2個あげている。

事前に預けたチュールも2本食べた。

これから2,3日で食べてくれるかもしれませんとのこと。


ケージに移され、介護士のお姉さんが私の持ってきたフリースを入れてくれた。

寝そべるわさびに声をかけ続けると、少しずつ声色が変わってきて、

少しぐるぐるが混ざった声になったが、きっと怒っているんだろうなという感じだった。

おとなりで入院中の恰幅のよい猫ちゃんが元気にニャーと鳴いてくれた。


帰路、ひとりとぼとぼ歩いているとなんだか泣けてきて、

しかし人前で泣くのは恥ずかしいから、空を見ながら、目をぱちくりしながら、

深呼吸で歩き続ける。


わさび、もうちょっとがんばろう!

明日も会いに行くからね。






2021/04/12

わさびのシコリ 2

まだ起きてもいない未来について、思考がぐるぐるまわり、

不安になったり、怖くなったりして、

頭の中に巨大な低気圧がぐるぐるとぐろを巻いているみたいだ。

夜は特にひどい。昼間も発作のように襲われる。


愛猫がおなじ病に罹患した方々のブログを見て、いろいろと知ったり、

励まされたり、慰められたり。。


ただ、このネット時代、心の均衡を保つため、情報を集めすぎない、触れ過ぎないというのも大事かなと思う。


手術することになった。家人と決めた。

お互い、後悔はしないということで、本当は今日にでも切った方がよいのだろうけど、

気持ちの整理をつけるために少し時間をもらった。


彼女の体調や年齢と、可能性を信じ、祈るような気持ちで毎日を過ごすしかない。



しかしまんまと、自分が体調を壊してしまう…。

よく眠れず、ここ二日間、頭痛がひどい。

しかも今もまだこの国はコロナのまっただ中だ。

1年前となんら変わらず、ワクチンもカタツムリの歩みより遅い…。

しかも、東京はこれからまた巨大な波(第4波)にのまれてしまうのではないかという不安。

誰かと飲み食いやマスク無しの会話など、感染するような絶対に行為を行わず、

じっと嵐を過ぎ去るのを待つしかないが、

ここにきて愛猫の大病…。


猫とともに生きているからこその幸せと、苦悩。

これがわかるのは、同じ猫とともに暮らす人々だとあらためて感じている。



わさびはいつもと変わらず、今日はちょっと寒いのか、

電気ストーブの前でお昼寝。

2021/04/10

わさびのシコリ 1

 心の整理をつけるためには、書くことがよいこともある。


わさびの右足の付け根付近の、柔らかくのびる皮膚の中にその小さなシコリを最初に見つけたのは、家人だった。

わさびは機嫌のよい時、猫用トイレの上にのって「肩揉みをさせろ」とせがむ。

家人や私がそばに行き肩を近づけると、両手を伸ばし、肩揉みをしながら伸びをする。

とても愛らしいしぐさだ。その時に家人が、彼女の足付け根付近の皮膚のたるみを触っていて、発覚したのだった。

2月上旬のこと。ツルリとした感じの小さなシコリで嫌な感じはしなかった。

しかし、猫のシコリは侮れないというので、その約1週間後に病院へ。

針生検をしたがその時は脂肪腫と診断。


その後、シコリは日を増すごとに大きくなっていく。

あまり触ってはいけないと思いつつ、肩揉みタイムの時や、わさびがわざと顔に乗ってくるときなどにふと触れてみると、その都度、なんだかシコリの様子が変わっていく。


最初の異変はもう一つ、小さなシコリがそばにできていたこと。

米粒より小さいものが、その後本体のシコリとつながり、合体した。

その頃には明らかに大きくなっていて、触感もごつごつとしており、私は違和感と不安感に苛まれた。

ネットで検索しいろいろと調べると、頭がぐらつくような記事をいくつも目にした。

{いやいや脂肪腫といわれたではないか。しかし、でも、でも、違和感がある}

不安に押しつぶされそうになり、一人で涙にくれたこともあった。

でもここで、わさびを守るべきニンゲンが萎えていては、守れるものも守れない。

気持ちを切り替えて、まずは再検査だと考えた。

そして4月も中旬になる頃、事前に事情を話し、わさびを連れ家人と病院へ。


結果は、やはり…というものだった。

確定はまだできないが、今回の針生検ではシコリの組織がもう少し取れ、良い感じのしない細胞がでてきたという。結論から言えば、線維肉腫の疑い。


シコリは約二ヵ月で5mmから25mmに。五倍になっていた。

幸い深部にまで達してはいないという。オペをするならなるべく早く、ここ1~2週間でということだった。


それまで、あらゆる情報をまさぐり、不安や恐怖に何度も脳天を突き刺されて、ある程度覚悟はしていたが、それを聞いた時にはさすがにショックを受け、全身の信号がフリーズして、逆に無風状態となってしまった。

これからの反動が怖い。


悪性疑いが強いため、シコリはかなりのマージン(範囲)を取って切除することになるが、タイミングとしては一刻も早くというのが実情だろう。

13才8か月という高齢。繊細でとても華奢な猫だけど、これから巨大化しその身体を蝕むものをほうっておくわけにはいかない。

私も家人も、手術に異論はない。



・・そしてこのシコリにはある禍根がある。

私たちが無知で愚かだった。それにつきる。

それは10年前に遡る。

あの日に打った、4種混合ワクチンのことだ。

ここでは記さないが、今であれば調べればいくらでも出てくるだろう。

しかしそれが原因とは言い切れず、わさびが相応な高齢にさしかかったということもあるだろう。

だが肉腫を誘発する疑いがあるというのなら、これから猫ちゃんと生きようとする方には、そこは絶対避けて通ってと声を大にして言いたいのだ。


私たちは押しつぶされそうなほど「あの日」を後悔をしている。

そして辛くても目を背けず、向き合わなければいけない。

なにより今現在、一番病と戦っているのはわさびなのだから。

彼女にとっての最善を、一生懸命、考えなければならない。






ツマグロヒョウモン 99 どんな姿で羽化しても

 ツマグロヒョウモンのオス、ツマオさんが今年の1月30日に旅立った。

110日間一緒に過ごした。

旅立つ2日くらい前からハチミツ水を与えても反応が乏しく、けいれんしているような姿も見せていた。

目はだいぶ前から赤黒くなってしまっており、見えてはいなかったと思う。ただ嗅覚は大丈夫ではないかと思い、時折ビオラの花をケースにいれてあげた。


ツマオさんは羽化の時、アクシデントがあった。

殻のなかの液体が体の一部にくっついてしまっており、自力で抜け出すことができないでいた。こういうことはままある。

偶然、家人がそれを発見し、様子がおかしいと教えてくれた。

身体は抜けかかっていて、うんしょうんしょと頑張っているが、なにかひっかかってしまっているようだ。そんな状態が少し続いてしまっていたのか、翅はのびきらずに波打ってしまっていた。

家人が器用に殻と体を分離させてくれた。(前にもこういうことがあり、模型用のピンセットで器用に剥がしてくれた)

ひっかかっていたのは口吻と触覚だったようで、片方の触覚は殻にひっついたままとれてしまい、心配だったのは口吻だった。

口吻は通常、翅を広げ乾かしているうちに二本のものが一本にまとめられ、くるりと口元に収まっていく。

ツマオさんの口吻は先端が割れてしまっていた。二股のようになってしまったのだ。

これでちゃんと食事がとれるのか不安あったが、それは彼が7日生き続けた段階で解消された。

一週間以上生きるというのは、与えた蜜を吸えたということだ。安堵した。

ただ、つかまる力が弱く、見た目もあいまって、一カ月くらい一緒にいられれば…という気持ちもあった。


しかしこのツマオさんはそんな心配もどこ吹く風、驚異的な生命力で110日生き抜いてくれた。

一日1回のハチミツ水をおいしそうに吸っていた。それがまた個性的で、口吻をハチミツ水をふくませたティッシュに器用に押し付けては、象のように高く上げ、また押し付け、それを繰り返していた。

なんともかわいらしい姿だった。


飛ぶことのできないウェーブのかかった翅もそれはそれで美しく、ツンと上を向いたパルピはずっとついたままだった。(ツマグロヒョウモンのパルピは良く取れることがある)


なにより、新型の感染症で不穏な世界の中、不安と憤りとが渦巻く中で、彼の存在は一筋の光のようだった。


{ 彼を大事にできただろうか  本当に大切にできたのだろうか }

自問自答の日々である。


私にも暗い空気がまとわりつき、特に秋から冬本番にかけて正直余裕があったとは思えない。

ただツマオさんがいなくなって、春が少しづつ顔を見せはじめ、種から育てたビオラが次々と開花しはじめていくのを見て、時々寂しさと切ない思いがこころのなかを駆ける。



小さな体で生きた110日という期間は、やはり重い。

とても大きい。