Kyon {Silence Of Monochrome}

Kyon {Silence Of Monochrome}
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2011/08/09

アトミックカフェ

映画「アトミックカフェ」を見た。
きっかけは、今年のフジロック。
311以降に発生した原発震災を機に、フジロックで反核を掲げる「アトミックカフェ」が復活した。
フジロックでは開催中の三日間、自然エネルギーで運営されるアバロンステージにて、
有識者のトークショウやアーティストのライブで盛り上がり、
また福島原発や日本の現在の実情について様々な話がなされた。
そこにいた人々はそれぞれ、何かを感じ、想い、核について真剣に考えたのではないだろうか。



「アトミックカフェ」・・1982年に公開された、核兵器に関するドキュメンタリー映画。

冷戦時代の当時、人々がどのように国やメディアによって扇動・洗脳され、
核の時代へと盲進していったかが皮肉をこめて、如実にスクラップされている。

水爆実験の爆発を、「美しい」と豪語する兵士・・
放射能は何ら問題ないといわれて、
不安を抱きながらも爆発実験に間近で参加させられる若い兵士達・・
線量計をつけていたが、一体どれほどの被曝をしたのか。
多分本人達には知らされず、科学者たちの興味深々な眼差しを、
長期に受けたのではないだろうか・・

実験により生成された放射能の危険性を軽視させるような情報の拡散。
近隣の住民には、バスタブで石鹸を踏んでころんだり、
台所で日常おこるような危険性と同程度だから、安心せよというプロパガンダ・・
万が一ハゲても、とりあえずかつらをかぶっておこう。そのうちまた生えてきますよ・等と、
ユーモアを交えて伝える。

そして子供たちへの洗脳。
可愛らしいカメさんが、「ピカっとしたら、すぐ隠れる!いいね!」とにこやかに言う。
そして、避難訓練の様な、被ばく防止訓練の模様・・
(私はこれをみてプルトニウムを飲んでも大丈夫と言っていた、プルトくんを思い出した)
 危険な事実をはらむモノは、いつだってまず子供達を抱き込もうとしないだろうか。

世界の平和を守るために、我々の生活・日常を守るために、
「核は必要です!」と言い続ける国とメディア。何かに似てないだろうか。

そう・・・今のこの国そのものに見えてしまう。

「停電が起こるとクーラーが止まり熱中症で死亡するかもしれません。」
「経済が衰退し、日本はこれ以上の繁栄は望めない。私達のこの生活水準も保てない。」
(=だから、原発必要です)
最近まで、TVで嫌という程、耳ににしてはこなかっただろうか。
そして、放射能は、「直ちに影響はありません。」と言われ、
子供は20ミリシーベルトまで安全とされ、
食品の安全性も不確かなまま、
「スピーディ」であるべき放射能拡散予測等、情報公開は一切なされてこなかった。
そして今も煙にまかれたまま、私達は、放射能の霧の中をさ迷っている・・。

連日、NHKなどで、ビキニ環礁の被曝者やロンゲラップ島の住民の証言、
広島・長崎の被爆者の告白や、
チェルノブイリ原発事故被曝者の今も続く過酷な実状が報道されている。
それら点の数々が、この映画で一つの「線」となった。

核=原子力。これは紛れもない事実と思う。

この映画をみて、国民への情報操作の有り様を見ただけでも、それを痛烈に感じる。
そして、今もに似たような事が起きている最中ではないか・とすら思う。


この映画には冒頭に、広島と長崎の原爆投下の映像も出てくる。
第二次世界大戦当時の映像であるから、
私達の立つ位置とは真逆の視点で語られており、
映像や言葉は無残で辛く、思わず目をそらしたくなる。
明日は、長崎の原爆投下の日・・・・・とても複雑な思いで、この映像を見た。

やはり核は人を幸せにはしない・・・
核のある未来に平和は来ないだろうと、猛烈に思う。

今、「チャイナシンドローム」と同様に、多くの人に見てもらいたい映画です。









2011/08/03

わさび 4回目の誕生日

写真は来たばかりの頃の、幼いわさび。
この表情によく釘づけになったものです。
今も、時折、様々な事を中断させる名人(猫)ですが・・。

今月は、わさびの4回目の誕生日。

推定ですが、8月1日にお祝いしています。
私達の家族であり、宝物です。

出会えてよかった!これからも、よろしく。
そして、どうか長生きしてね。。

夢の中の子供

今週のアエラ「放射能と妊婦の心」を読んで愕然としました。
福島ではすでに、放射能の影響ででるといわれる先天性の異常を懸念して、
せっかく授かった命を中絶している事例もでてきていると・・・

昨今の報道で、日本の人工中絶が増えていると聞きました。
その原因の一つに、妊娠中の検査がより精密になり、
先天性の異常の可能性が、
以前にもまして発見し易くになってきたからだといいます。

非常に悩ましい事態の上に、さらに放射能の不安です。
この国の未来である子供達は、
この世に誕生する以前から、命を脅かされてしまっている・・
あまりにも残酷な現実です。


最近、「子供の夢」をよく見ます。
乳幼児を抱いている夢、幼い女の子の頬を拭う夢・・
一生、子供を持たないだろう・・と思う一方で、
子供が欲しいという潜在的な願望もあるのでしょう。
そして、この放射能に汚染された国にいる限り、
本気で子供が欲しいと思ったとしても、
もう叶わないのではないか、と本能的に感じているのかもしれません。

だからこそ、私の心は充足夢をみる事で、
自分自身を癒そうとしているように感じます。
そんなふうに思うと、
昨日拭った幼い女の子の頬には、
涙がつたっていたのではないかとさえ、
思えてくるのです。

2011/07/22

思考という名の嗜好品

自分が抱く、ある物事や人物への嫌悪感や苦手意識は、
どこから来るものだろうと思う時がある。
自我の底から湧きあがってきているものなのか、
本能からきているものなのか、
客観的な判断によるものなのか、
それとも、刷り込まれた「意識」なのか。

意識をむき続けていると、
そのうち玉ねぎの様に、芯も無くなり、
何もない「虚無」へと落ちるようで怖くなる。
それは自分の自明性をも揺るがす。
存在するはずの思考そのものが、存在せずに、
有るはずの知識は、全て借りものの様に感じてしまう。
それは誰かから教えられたり、書物で得たり、
今なら、ネットやテレビ・・様々なメディアを介して得た知識であったり・・、
本当の自分から湧きあがっている、真の自分の思考とは何処にあるのだろう。
その答えは多分、永遠に見つからない気がする・・。

一つ解るのは、思考や言葉はその産まれが何処であろうと、
自分というフィルターを一度は通り、濾過されて発せられるということ。
経験がお湯の温度だとしたら、その経験値や、経験の解釈などにより、
濃度も味もそれぞれ、それこそ毎日の様にころころと変わる。
濾過されたものを再度飲みほしてみれば、意外と味わい深いことにも気づく。
思考という名の嗜好品とでもいう感じだろうか。
 そして、お茶の種類は色々とあった方が、日々もささやかに華やかになる。

難しいことは考えずに、とりあえず、
豆や茶葉を仕入れるつもりで、
今日も知識の森へと入ろうか・・。

2011/07/03

崇高な魂たちに仕えたい

メメント・モリという言葉がある。
「死を思え」・・・
「自分が死すべきものだ」と言う事を忘れずに、
限りある人生を楽しもう・という思いがそこにある。

人は常に死を思い、恐れるが、
その恐れを「死ぬまでにこれだけはしておこう!」などと
前向きな動機にも転換し、生きて行ける。
それは人間の勇気や知恵、思考の結晶だとも思う。

一方で、本能的な危機感は常に備えているとしても、
動物達は常時死を恐れたり、死を思う事はないだろう・・。

前者=死を思って生きる事が果たして高次なのか、良い事なのか
・・時々解らなくなる。

時に死をも美化しようとする人の有り様を見て、
動物達の方が、遥かに清く、崇高にみえてしまうのは、
私の幻視に過ぎないのかもしれない・・。

しかし少なくとも、我猫達を毎日見ていて、
彼女達が私達と違う次元で生きていると思う以上は、
人間よりも下等だとは微塵も思わない。

むしろ、気高く尊い、そして愛らしい猫達の為に、
私個人は、彼女達の給仕係であり、献身的な世話役でありたいと、
ずっと、永遠にそうでありたいと、
心から願う者である。