映画「アトミックカフェ」を見た。
きっかけは、今年のフジロック。
311以降に発生した原発震災を機に、フジロックで反核を掲げる「アトミックカフェ」が復活した。
フジロックでは開催中の三日間、自然エネルギーで運営されるアバロンステージにて、
有識者のトークショウやアーティストのライブで盛り上がり、
また福島原発や日本の現在の実情について様々な話がなされた。
そこにいた人々はそれぞれ、何かを感じ、想い、核について真剣に考えたのではないだろうか。
「アトミックカフェ」・・1982年に公開された、核兵器に関するドキュメンタリー映画。
冷戦時代の当時、人々がどのように国やメディアによって扇動・洗脳され、
核の時代へと盲進していったかが皮肉をこめて、如実にスクラップされている。
水爆実験の爆発を、「美しい」と豪語する兵士・・
放射能は何ら問題ないといわれて、
不安を抱きながらも爆発実験に間近で参加させられる若い兵士達・・
線量計をつけていたが、一体どれほどの被曝をしたのか。
多分本人達には知らされず、科学者たちの興味深々な眼差しを、
長期に受けたのではないだろうか・・
実験により生成された放射能の危険性を軽視させるような情報の拡散。
近隣の住民には、バスタブで石鹸を踏んでころんだり、
台所で日常おこるような危険性と同程度だから、安心せよというプロパガンダ・・
万が一ハゲても、とりあえずかつらをかぶっておこう。そのうちまた生えてきますよ・等と、
ユーモアを交えて伝える。
そして子供たちへの洗脳。
可愛らしいカメさんが、「ピカっとしたら、すぐ隠れる!いいね!」とにこやかに言う。
そして、避難訓練の様な、被ばく防止訓練の模様・・
(私はこれをみてプルトニウムを飲んでも大丈夫と言っていた、プルトくんを思い出した)
危険な事実をはらむモノは、いつだってまず子供達を抱き込もうとしないだろうか。
世界の平和を守るために、我々の生活・日常を守るために、
「核は必要です!」と言い続ける国とメディア。何かに似てないだろうか。
そう・・・今のこの国そのものに見えてしまう。
「停電が起こるとクーラーが止まり熱中症で死亡するかもしれません。」
「経済が衰退し、日本はこれ以上の繁栄は望めない。私達のこの生活水準も保てない。」
(=だから、原発必要です)
最近まで、TVで嫌という程、耳ににしてはこなかっただろうか。
そして、放射能は、「直ちに影響はありません。」と言われ、
子供は20ミリシーベルトまで安全とされ、
食品の安全性も不確かなまま、
「スピーディ」であるべき放射能拡散予測等、情報公開は一切なされてこなかった。
そして今も煙にまかれたまま、私達は、放射能の霧の中をさ迷っている・・。
連日、NHKなどで、ビキニ環礁の被曝者やロンゲラップ島の住民の証言、
広島・長崎の被爆者の告白や、
チェルノブイリ原発事故被曝者の今も続く過酷な実状が報道されている。
それら点の数々が、この映画で一つの「線」となった。
核=原子力。これは紛れもない事実と思う。
この映画をみて、国民への情報操作の有り様を見ただけでも、それを痛烈に感じる。
そして、今もに似たような事が起きている最中ではないか・とすら思う。
この映画には冒頭に、広島と長崎の原爆投下の映像も出てくる。
第二次世界大戦当時の映像であるから、
私達の立つ位置とは真逆の視点で語られており、
映像や言葉は無残で辛く、思わず目をそらしたくなる。
明日は、長崎の原爆投下の日・・・・・とても複雑な思いで、この映像を見た。
やはり核は人を幸せにはしない・・・
核のある未来に平和は来ないだろうと、猛烈に思う。
今、「チャイナシンドローム」と同様に、多くの人に見てもらいたい映画です。