Kyon {Silence Of Monochrome}

Kyon {Silence Of Monochrome}
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2009/11/25

導火線のその先に

以前読んだ本の中に、「怒り」の感情にはその前に「悲しみ」の感情が存在している、と書いてありました。
「悲しみ」が「怒り」の導火線ということでしょうか。
そうだとしたら、この世の中は、沢山の「悲しみ」が交差している様に見えます。
道を歩いていても、駅のホームでも、特に都会の人混みの中では、
できれば見たくないその「感情」=「怒り」はむき出しにされています。
私も多忙と喧騒の中で身を埋めていた頃は、
その「感情」に理性を奪われそうになったことが何度もありました。
その「感情」が生まれる背景には、
忙しくて自分の時間が持てないことや、余裕のないこと、
一番楽しみな絵を描く時間さえもままならないことがありました。
それが「悲しみ」という類の感情だといえば、そうだったかもしれません。
自分を大切にできない自分への「悲しみ」が、やがて「怒り」の感情となり、
心の中で負の連鎖が生まれてしまったのかもしれません。

人は年をとると性格が丸くなる方がいる一方、以前より怒りやすくなる方もいるそうです。
それも、かつて何でもできた自分が、些細なこともできなくなっていく不安や悲しみといった感情が、「怒り」となって、人を苛立たせているのかもしれません。
そう思うと、「怒り」はだたうっとおしいだけではない、深い意味があるように思えてきます。
そのマイナス感情に占拠されている心の中には、もっと深刻な「悲しみ」があるとしたら、
この世の中が何となく違う景色に見えてくるようです。
また自分にそのマイナス感情が生まれてきたら、自分の根本にある「悲しみ」の部分に、
耳を傾けるとよいのかもしれません。
私もそうして、心を鎮めるようにしています。
何が寂しくて、何が悲しいのか、「怒り」を通り越して見えてくる自分、
見えてくる人間が、最終的にはそのマイナス感情を鎮火してくれるように思います。
たとえ理不尽にマイナス感情を突き付けられても、
その裏に「悲しみ」があり、それを理解しようとするなら、
人間同士はもっと、思いやりがもてるような気がします。