8日に母と見た斉藤真一氏の絵が忘れられず、
本日また1人で見に行ってしまいました。
7時頃まで展示を行っているようなので、
仕事帰りに、混み合った吉祥寺をいそいそと歩きながら、
ああ、絵に惚れ込むとはこういう事なんだなあ、としみじみ思いました。
絵もそうですが、私は斉藤氏のその語りかけるような穏やかな中に、
絵を描く者の中心の部分がしっかりと刻まれている文章にも魅かれています。
例えば子供の頃布団にもぐりながら、古い話を傍で聞かされているような、
そのうち、恍惚の中に夢の中へと落ちていくような、
そんな魅力に魅かれました。
個人的にノスタルジックなものには昔から魅了されやすいのですが、
斉藤氏の絵と文章に、更に憧れを抱きました。
物質的には豊かだったとは言えないその時代に、
現代希薄になってきている人間の絆や素朴な人情については、
かえって豊かだったのではないかと思い、
季節感や情緒などの奥深さを感じます。
絵に感情が吸い込まれ、そこをまるで旅しているような気分になり、
絵が泣いていれば、ともに悲しくなり、
苦悩していれば、心苦しくもなり、
笑顔でいれば、こちらもほっと安心する。
どこまでも真っすぐに伸びる道に不安と希望を抱き、
真っ赤に燃える陽を見て、一緒になって切なくなったりもする。
絵を見るとはこういう事なんだ、と知りました。
私はまだまだ、経験が浅すぎる。
そしていったい人の何を知っているのか、
それすらも曖昧になってしまいました。
生きて生き続けて、いつか古い古い話を語り、
そこに郷愁だけでない、「人間の話」が出来るように、
そして「人間の絵」が1枚でも描けるように、
これから沢山経験を積んで、多くの人と対話して行きたい、
そう思いました。