とろとろに溶けてしまいそうな猛暑の日、
いつも通る坂道の真ん中に、蝉が一匹、仰向けになって死んでいました。
羽根も身体も、まだ死んだばかりか、とても綺麗です。
連れ合いが、このままでは車にひかれて潰されてしまうと、
道の脇、涼しげな木の木陰に蝉を移動させました。
「コンクリートの上では、死んでも土に戻れず寂しいものだね」
そんな言葉を交わしました。
翌日の朝早く、幾分涼しい日でした。
また同じ坂道を上って行くと、小さな猫が一匹向こうからトコトコ歩いてきます。
何か見つけた様子で、それに向かって真っすぐに歩んできます。
猫はあまり食べていない様で、痩せていました。
猫の視線の先には、1匹の蝶。
羽根もボロボロに、それこそ虫の息で必死に草木にしがみつく、黒アゲハでした。
羽根をゆっくりと動かしていますが、もう飛べそうもありません。
しかし、猫もお腹を空かせている為か、
その蝶を懸命にいじくっています。
食べたら中毒をおこしかねない蝶でも、
その猫は食したい程、空腹だったのでしょうか。
私は、その両者が何だか切なく見えて、後ろ髪をひかれる思いで、仕事に向かいました。
その日の夕方、仕事を終えて帰路、その坂道を下る時、
うすぼんやりとした空気の中に、黒いものがヒラヒラと道になびいています。
近寄ってみると、それは朝に出会った瀕死の蝶でした。
羽根は更にボロボロで、見る影も無く、
無残な姿で死んでいました。
このままでは車にひかれたり、ふんずけられて、更に可哀そうだと思い、
その蝶を持ち上げようとすると、なかなか動かない・・。
すでにお腹の一部が少し踏まれていて道にへばり付いています。
それでもなんとか、蝶を持ち上げて、
土のある、小さな木陰に移動させました。
「コンクリートの上では、死んでも土に戻れず寂しいものだね」
先日の会話が、その時、私を突き動かしていました。
せめて土の上なら、他の生き物の栄養となるかもしれないし、
土の栄養となり、新たな植物の糧となるかもしれない。
道路の上で、無残に踏みつぶされ、粉々になり、
行くあても無く吹き飛ばされるより、
遥かに土の上での死は温かく、次の「生」を感じさせるものです。
「無縁社会」と呼ばれる現在、
孤立死を迎える人は、年間3万人以上といわれます。
私ももしかしたら、何十年か後、この蝶のようになってしまうかもしれない。
小さな蝶の死は、やがて来る自分自身の死へと繋がってゆきます。
その時、せめてこのように、土に返れるような死でありたい。
私は蝶を救いたかったわけではなく、
自分自身を救いたかったのかもしれません。