とても幼い頃、友人と友人のお母さんに連れられて、「はだしのゲン」を見に行きました。
友人は恐ろしさに泣きじゃくり、私も幼心が大きな不安と恐怖に包みこまれたのを覚えています。
同時期に、「ピカドン」という絵本を見て、衝撃も受けました。
何度も読み返して、言い様の無い恐ろしさにかられ、
飛行機が空を通ると、その都度机の下に隠れていたのを思い出します。
戦争体験の無い幼い私でさえ、空想の中でもその恐怖や絶望感は大きく心を揺さぶりましたから、
体験者でおられる方々の心中は、想像を絶します。
「戦後65年」といわれ、この夏は特に戦争体験やその実情を知る機会が多いように感じます。
私の祖父は、今生きていれば100歳を越していますが、
いつも朗らかで優しく、私を一番可愛がってくれた人でした。
ついに戦争の話を聞くことはなく随分前に他界してしまいましたが、
最近になって、古い古い写真が何枚も出てきて、
その中に軍服姿の祖父が銃を持っている写真を発見しました。
茶色く古ぼけたその中で、うっすらと笑みを浮かべている青年は、
紛れも無く祖父でした。
この時、どんな思いで、どんなことを考えながらいたのだろうと、
それをもう聴く事が出来ないことに、寂しさを覚えました。
驚いたのは、私よりも若い人達の中に、
日本が戦争をしていた、という事をしらない人達がいるということです。
幾つもの悲しい事実を繰り返し思い、考えることは容易なことではありませんが、
同じ悲劇を繰り返さない為には、やはり事実を知ることがとても大事な事だと思います。
その為には、私達世代もしっかりと自ら知ろうとし、学ぶことが必要に思います。
と言っても、私自身、そのことに気付いたのが、
恥ずかしながら、ごく最近のことです。
祖父がまだ生きていた頃は、私はまだ20代半ば。アイデンティティもままならず、
自分中心で必死でした。
その時に、軍服姿の若い祖父の姿を目にしても、
それに対して、その時代のことを自ら問うたかといえば、
そんなことすら思い浮かばなかったでしょう。
現在、特にこの夏は、私でも解り易く戦後を知ることのできる特番が多く、
それは大いに学ばせてもらおうと思っています。
しかし、心にある核心は、
あの幼い頃に感じた、恐怖とも不安とも悲しみとも言える、
複雑混沌とした、あの感覚です。
言葉には言い表せぬあの感覚が、
無き祖父や祖母が体験してきた時代の、一種の片鱗ともしシンクロするならば、
私は辛くても、その感覚をしっかりと心に刻み、
それを定期的に繰り返し思うことが大切なことのように思い、
それが大好きだった祖父や祖母との出来なかった「対話」を、
時空を超えて、今しているように思えるのです。