Kyon {Silence Of Monochrome}

Kyon {Silence Of Monochrome}
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2012/03/15

映画「プリチャチ」

余計な音楽も演出も無く、ただひたすら静寂したモノクロの世界が続いていく。
そこはかつて、原発作業員の住む町だった。
私達と同じ、普通の生活があって、普通の人々の営みがあった場所。
人々が出会い、子を産み、泣き笑い悩み、愛し合ってきた場所。
1986年のチェルノブイリ原発事故により「ゾーン」となった。
「ゾーン」とは「危険区域」の事。放射能に汚染されたいわゆる、死の町だ。

原発の警備にあたる警官が言う。「自分達は15日休み、15日働く。」
それがどういう事を意味するのか、今となっては容易に想像できる。
長時間の労働は健康を損なう。それだけ、放射能に汚染されているという事だ。
彼は言う。
「多分この場所には二度と人は住めないだろう。
100年後でも住めないと確信している。」


チェルノブイリ原発事故当時、除せん作業等に多くの若者が投入された。
何も知らずに、無防備な状態だったという。
黒鉛を素手でつかんだり、はだしで歩いていた。
「12年経った今は、おそらく生きていないでしょうね。」
研究所の女性が言う。
「わざと知らせなかったのよ。」彼女は躊躇なく言った。
「これがチェルノブイリの悲劇よ。」


素朴な夫婦のインタビューや、
今でも避難できずに居住禁止区域で生活する人々の、素朴でおごそかな姿が映し出される。
圧倒的に年配者が多い。しかし、少女の姿が見えた時はドキリとした。
それと交互して、不気味で不細工な事故の残骸達や、朽ち果てた家々、
閑散とし、いまや廃墟と化した元居住地域が映し出される。
その、人間の生命とはとうてい相容れない違和感と、
「冷やかな鉄の塊」と「人々の普通の生活」というコントラストの強さに、
私は目眩を覚えるかのようだった。
それは原発=核が地球上のあらゆる生命に否定される、確固たる理由のようにも思えた。
衝撃的だったのは、その老夫婦の娘が原発事故後妊娠した時に、
医師が役所に通告し、その後堕胎させられたという内容だった。
まだ産まれもせぬ命を否定する、命をこういう形で踏みにじる原発とは一体、何なのか・・・

チェルノブイリ原発三号機内部の映像も衝撃的だった。
四号機には収容できなかった作業員の遺体がいまだに眠っているという。
その悲劇を忘れない為に、3号機の内部には小さな慰霊碑がある。

安全責任者の男性は、「重圧を感じ」ながらも高らかに言う。
「事故は起こさせません。私が保障します。」
しかし、その瞳はなぜか力なく、小刻みに泳いでいるように見えた。
彼は仕事は楽しいが、給料の低さに家族を養えない・と嘆く。
そして配給される食券を自慢げに語る。
「ここは食事は無料です。ここにいれば餓死しない。食券を撮りますか?どうですか?」
何度も繰り返し言う姿に、ほんの少し寂しさを覚えた。
と同時に漠然とした不安も抱いた。
これが、あの史上最悪と言われた4号機爆発事故の後の、
原子炉の安全管理に携わる人間の姿か・・・
頑張っている。志もありそうだ。ただあまりにも、心細くはないだろうか・・・


冷却水池から獲れたという魚が映し出される。
放射能の生物の影響を監視しているという、研究所の男性。
「ここで獲れた魚は1500ベクレル。肉食類になるともっと高い。
最高で20000ベクレルにもなる。」
それでも汚染レベルは低いという。
「食べれません。絶対に食べてはいけません。」
居住禁止区域に住む老夫婦は言う。
「野鳥は原発で越冬する。冷却水は温かいから、氷がはらないんだよ。」
その冷却水はいったいどこへ流れ込むのか・・・


ほのぼのとした風景もあった。
時折、猫が追いかけっこをして横切ったり、
老女の魚の下ごしらえの最中に、ご飯をねだっていたりする。
その様子を、猫好きの私は「その魚は、ストロンチウム等大丈夫かな・・」
と心配しながら眺めていた。
放射能さえなければ、普通のほのぼのとした微笑ましい風景だな・・・そんな気持ちにもなった。
そして、3月11日のあの原発事故以後、食品への不安がいまだに払拭できない「今」が重なった。

「安全だよ、気にしない。」「慣れたよ。」
そういう言葉が映画の中で交わされる。
他方、「安全な場所など無い。」
「150年経っても人は住めない。」
という言葉も次々と出てくる。
人々は、日々の生活の中で葛藤し続けている。
その認知的不協和の中で、ある者は妥協し、ある者は忘却し、
ある者は嘆き、 ある者は戦い続ける。
チェルノブイリ事故の12年後の人々の姿・・・
福島原発以後の日本に住む我々の姿と、重ならない訳がない・・・


白黒の映像というのは、自分の固定観念のせいで、
どこか過去に追いやられていく感じがする。
しかし、観終わってみると、実に鮮明なのだ。
記憶の中で、なにかが強烈に残る。
それは今度は私達が、このモノクロームの中にすいこまれていくのか・という怖さや、
自他ともに忘却、あるいは慣れていく不安感。
「ゾーン」=死の町から感じる冷やかさ、虚無、絶望・・・

生活が、ずっと続くと疑わなかった日常が、
たった一回の事故で奪われるという悲しい真実を静かに、
しかし切実に訴えているこの作品に、
自分自身も含め、多くの人がもっと早く出会えていたらと思う。
モノクロームに横たわるこの「ゾーン」には、
終始、どうしても生命を感じる事ができなかった。
肌の温かさ、呼吸、血の流れ、脈拍を感じない。
生命が凍結しているかのような、石のように硬く冷たい感じがする。
原発はメドューサか?睨まれた私達の生命は石と化してしまうのか・・・

原発=核による生命の石化は、もう二度と起こして欲しくない。
その為にも、多くの人にこの作品を観てほしい。
今だからこそ、真剣に原発とはなんだ?と問い、
自分の命や生活に関わる問題として考え、
多くの犠牲と人々の悲しみを伴った過去からの警告を、
これからも恐れずに、心に刻み続けて行きたい。


映画「プリチャチ」  渋谷UPLINKにて。