絵を描くとき以外、音楽を聞かない。
というより、聞けなくなった・・という表現のほうがしっくりくるかもしれない。
音楽は、異なる自分を導く「鍵」のようなものだ。
異なる自分は、日常の自分とは違う。
日常とは合い入れない者である。
生きる為に仕事をする。自分にとっての日常である。
それは今も昔も変わらない。
その為の努力や人間関係を今ではもう拒否しないし、
違和感も感じない。
それなりの喜びもあり、楽しさもある。
ただ、そこにいる自分は、コアにいる「自分」とは確かに違う自分である。
ある一つのペルソナである。
鍵に導かれる自分は、絵を描く自分である。
それは、時間にも人間関係にも、金にも支配されない。
束縛されることを嫌う。
そういう自分と、日常の社会的存在としての自分は、
10代、20代の頃は常に齟齬を生み、
その不協和音に苦しんできた。
今はだいぶ「住み分け」ができてきている。
しかし、むやみにその扉を開けることはできない。
できないというか、したくないのだ。
だから、絵を描く自分の存在は、
日常・普通に接する人々に 明かすこともないし、
必要もないと思っている。
扉の向こうにいるのは、一番コアな自分である。
時に自我を凌駕するesであり、idである。
タナトスであり、エロスである。
感情であり、欲望である。
生きていくのに、絶妙なバランス感覚を要することは今も昔も変わらない。
ただ、「世間」というもの、「ヒト」というものに、
慣れてきたことには違いない。