Kyon {Silence Of Monochrome}

Kyon {Silence Of Monochrome}
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2010/01/08

再生




















昨年の10月の個展の時に友人から頂いた見事な胡蝶蘭は、
それから花を次々と落とし、ついにはすっかり花を落としきり、
美しい姿から寂しい姿に一変しました。
蘭は育て方が大変難しいと聞いていたので、
正直諦めていました。

しかし、しばらく経った頃、小さな小さなつぼみをつけ始め、
それは徐々に大きく膨らみ、
以前のような美しい花になりました。
本当に変わりないその美しさに、はっとしました。

大変おこがましいのですが、今の自分とかぶって見えてしまいます。
この有様に対して、これまでの歩みがふと重なります。

一度は花を散らし寂しい姿になっても、
また同じ美しい花を咲かせる事が出来る・・・
憧れと同時に、ひとひらの希望の花弁を受け取ったような気がします。

小さな命はいつも謙虚に、
生きている事の希望と真意を教えてくれます。

2010/01/06

映画の話

年始に借りて見たDVDで、とても心に残った作品があります。
C・イーストウッド監督の「グラントリノ」です。
前々からその評価の高さから見よう見ようと思っていたのですが、
この機会にじっくりと見ることができました。
そして、「百聞は一見に如かず」、噂以上の作品でありました。

海外の映画を見るといつも感じるのですが、
宗教や人種の問題、戦争の後遺症の問題等は、
本当に理解しようとすると、とても難しいということです。
私の勉強不足や、想像力の乏しさも原因しているのでしょうが、
それ以前に、この国のこの町に住んでいて、まず実感として感じ得ないことなので、
私には理解するのがとても難しいのです。

この映画にも、アメリカの実像として、それらのシーンは沢山出てきますが、
それ以外に、日本でも直面にしている老いと家族の問題や、老人の単身化、
地域社会の問題なども含み、
「人間として生きていく上での不可避な問題」を取り上げていたので、
国や生活様式は違っていても、
背負う問題は同じものがあるんだと、共感できる部分が沢山ありました。
切り口を変えれば、いくつもの違った問題やストーリーが見えてくるのです。

「そうか」と思ったシーンは、
モン族の食事会に、主人公のウォルトが招待された時のことです。
美味しい食べ物に段々と心を許していく主人公に、
「美味しい食べ物の前では人は笑顔になる」という通説を、
確信したように思いました。
映画におけるフード理論提唱者の方が以前ラジオでお話しされてましたが、
良い映画には良い食事のシーンがあり、食べ物を大切に扱っているとのこと、
なるほど、と思いました。
私は家事の中で、食事を作るのが大の苦手なのですが、
これからの人生において、食べ物への思いをちょっと考えなおさねば、とも思います。
同時期に「スーパーサイズミー」というドキュメンタリー映画も見ているので、
なおさら・です。

そしてウォルトが愛車を洗車して満足そうに眺めているシーン。
愛車のグラントリノは、主人公のアイデンティティであり、心の拠り所であり、
良き日々の象徴であり、宝物であり、誇りである。
こういうものを一生のうちに持てるか持てないかで、
心の在り方は随分と変わるのかもしれないと思います。
さて、私には何がある?と問うた時に、
「家族」以外に思いつくとしたら、やはり「描くこと」でしょうか。
それは、高価であったり誰に相続するものでも無いけれど、
やっと描けた絵1枚を眺めて思うことと、
主人公が磨き上げた愛車を眺めている時に思うことと、重なる点が有る気がします。

細かい絵を描いていますから、
そのうち身体的に描けなくなる日も来るでしょう。
でも、その「大切な日々」を眺めながら、
懐かしい気分に浸るだけの日々が来ても、
それはそれで、幸せなのかもしれません。


この映画では、感動した・とか、良い映画だった・というよりも、
深く考えさせられる点がいくつもあったということが、私にとって魅力でした。

両親の老いが更に現実味を帯びてきた時に、私はどう対処するのだろう
連れ合いはいるけれど子供は無く、このまま生きていくとどうなるのだろう
単身になった時、地域コミュニティとはどう接している?
孤独で命を断とうとする老人がいる、長生きしてごめんねという老人がいる・・
そんな社会はけして健全とは言えない

暴力は、更なる暴力と憎しみしか生まない
温かく美味しい食は、人と人との繋がりを豊かにする
良き師が若い頃私にも大勢いた、そしてその人たちが私を育ててくれた・・

そして、私にとっての「グラントリノ」は?


こんな思いが見た後に走馬燈のように 頭に広がり離れません。
当たり前の様な問題、事柄だらけですが、
気付くことと、気付かないまま、あるいは気付いても無視し素通りしてしまうかでは、
これからも生きていく上で、それは大きな分岐点に思えてなりません。

2010/01/04

走り続ける

大晦日から今年の三が日は、家で映画三昧でしたが、
さすがに頭が疲労してしまいました。
見た映画にシリアスなものが多かった為、いろいろと考えさせられた反面の、
自業自得の結果です。

そこで大晦日から少々充血ぎみの頭をクールダウンさせようと、
知り合いの大学が出ていることもあり、初めて「箱根駅伝」 を2日に渡り、
拝見しました。

最初は家事をしながらなど、そんなに集中していなかったのですが、
段々と引き込まれ、2日目の最終ゴール直前では、
すっかりその情熱と青春の世界に引き込まれていました。

とても単純な感想ですが、頑張るって素晴らしい! と思いました。
走っている時の表情はとても苦しそうなのに、
ゴールしてインタビューを受ける選手は皆、楽しかったと言っています。
肉体的にも精神的にも、お茶をすすりながらのんびり見ているこちら側からは、
到底想像ができないほど、過酷で苦しいはずなのに。

絵を描くというのは、マラソンに似ているなあ、と思うことがあります。
「駅伝」を見ていても、そう感じました。
走り続けている間の孤独との戦い、彼らが背負うプレッシャーとは比較になりませんが、
それでも、昨日の自分を少しでも超えたいという思い、
ゴール=描き終えた後の爽快感・・
私の描く白黒の細密描写は、油彩のようなダイナミックさも無く、
水彩のような淡い色彩の妙を楽しむことも無く、
とても淡々として、地道な作業が多いです。
点描などを施している時は、それこそ耐える精神力も必要となってきます。
日々黙々と、着実に描いているうちに、
気がつけばゴールが見えてきます。
そして思うのは、描き終えたその瞬間も素晴らしいのですが、
それよりも、淡々黙々と描き続けているその時間に居ることが楽しかったということです。

ゴールは次へのスタート地点でもあるので、
気持ちが多少緊張することもあります。
手書きのペン画は、ある意味、修正がききませんから、
点一つ描くことにおいても、とても慎重になります。
ただ、自分を信じて描き続けていれば、
そのうち描く絵そのものが意志を持ち、ゴールへと導いてくれるのです。

マラソンの選手達が、仲間を信じ、自分自身を強く信じて、
20キロ以上もの道のりを走破したように、
私も自分を信じて、これからもずっと描いて行こう、
そんな勇気をもらったように思います。

2010/01/01

四季

大晦日前に借りていたDVDが残り1本となってしまいました。
思ったより余力があって1日に数本見てしまいます。
大晦日に見た映画は実話に基づいたシリアスな作品で、見た後に涙が出ました。
悲しいとか可哀想という感情ではなく、自分の無力さ、
現実を知っても、知ること以外に何も出来ない不甲斐無さに心が震えました。
この同じ星の下で、新しい年が明けても、
様々な「現実」に直面している人々がいます。
こんな考え方は不謹慎かもしれませんが、
暖かい部屋で大好きな絵を描ける私は贅沢すぎる、とも思ってしまいます。

前職の時は、年末年始のこの時期が一番忙しく、
お正月休みも無いに等しかったので、
こうして普通に休んでいるのが、何だかとても悪いような気がしてしまいます。
町に行くと、様々なお店で必死に働いている方々を見ると、
昔の自分と重なって苦しくなり、そのご苦労を思います。

人生は紆余曲折で「四季」があるように思います。
仕事に没頭していた自分は、体裁上、あるいは経済的には今より豊かだったが、
自分自身の心の中はというと、いつも自分の真ん中がもぬけの殻で、季節に例えれば冬だった、と思います。
それが今は逆さなだけなのかもしれません。
記憶は残念ながら、喜怒哀楽の極端な場面をスクラップしているだけですが、
穏やかな春や秋のような日々は、
静かな旋律となって、心の片隅で優しいメロディを奏でているような気もします。
それが私の救いでもあります。
極端な日々など本当はいらない、今は普通であることが大切で、
絵を描く時間と心の余裕さえもてれば、それが幸せです。
しかし、それさえも贅沢すぎるのでは?と自問自答せざるを得ない現実が、
この世には沢山あるのも事実です。

自然界に春夏秋冬があるように、
人の世にも四季があり、人の人生にも四季があるように思います。
冬を越せば、命の芽吹く温かな春がやってくると、自然の流れに沿えばそうなるし、
春は必ず来ると、信じたいのです。
そして、昔の日本人が四季折々の美を愛でたように、
冬の寒さの中にいても、一面の銀世界に心を揺さぶられるような 、
夏のうだるような暑さの中にいても、キラキラと輝く海を見たときに心が躍るような、
そんな感性を持ち続けていけたらと、願います。

2010年

昨年は2回目の個展を開催できて、様々な人々に絵を見て頂き、出会う事が出来ました。
また、良き理解者の協力のもと、ホームページを立ち上げ、
本を出すことも出来ました。
見て頂いた方、協力して頂いた方にここでお礼申し上げます。
本当に、有難うございました。

今年もいろいろと挑戦していきたいと思いますので、
どうぞ、宜しくお願い致します。

Kyon