まず、映画の詳細についてはあまり触れずに、
率直に感じた事だけ、書いていこうと思う。
正直をいうと、「福島や日本も、いずれこうなるのでは」と、思ってはいても、
軽率に言えないし、言いたくない。
口に出すのも、ためらう。
それ程に、深刻で残酷で、悲しい内容だった・ということだ。
子供を心配して、苦渋の表情に、大粒の涙を浮かべる母親の姿・・
疲労と困惑の表情を浮かべて、半ば諦めにも似たため息をつかざるを得ない医師や看護師達・・
「ちきしょう!!くそったれめ!!」と、表情を変えずに唱える様に呟き続ける事故当時の避難者・・
これらがすべてを物語っている。
これらすべてを、今の日本に当てはめられる程、私の心は成熟していない。
理解するのを阻止しようとする、余分な感情までも湧き出てくる。
「そんなことない、そんなことないよ」だって見渡せば、
何事もなかったかのような、汚染等ないような景色が、
いくつもいくつも、そこいらに、散らばっている・・・
そこで、思う事がある。
今も、チェルノブイリ原発事故の悲惨な後遺症に悩まされるベラルーシやウクライナ。
そこの事故当時のセシウムに対する食品の基準値よりも、
今の日本の食品基準値が高いという事は、
一体どういう事を意味するのだろう?
例えば、「ウクライナの飲料水の基準値は1キログラム当たり2ベクレルに対し、
日本はセシウム134と137の合算値は200ベクレル(7月:AERAより)」
野菜や肉に関しても、同雑誌に解り易いグラフがあり一目瞭然だが、
日本より基準の厳しい場所で、
25年経った今でも深刻な後遺症に悩まされているという事実を目の当たりにし、
では、それよりも明らかに緩い基準での日本は、
今後どうなってしまうのか?っと率直に思う。
今日、初めて米からも検出というニュースを聞いた。
米の出荷制限の基準は500ベクレル・・・それ以下なら、私達の食卓に・・
日本人の大事な大事な、ほぼ毎日摂取する主食である。
本当に、安全なのか?
罪深いのは、原発を選択してもいない、
まだ見ぬ生命が脅かされているという事だ。
映画の中で、「ナンバーワンルーム」には、親から見捨てられた障害児達が、
所狭しと寝転がり、ただ生きているという現実。
大きなコブを後頭部に負いながらも、抱かれたその胸に頬を寄せる赤ちゃんのその愛らしさは、
他の健常な赤ん坊と何ら変わらく見えた。
それは、知的障害児でも、水頭症の子供達でも同じ・・
彼らの笑顔は、天使の微笑み、そのものに感じた。
だから、余計に、悲しく切なかった・・・
この子たちの両親もきっと、苦しみ、断腸の思いを味わったろう。
目玉がふやける程に、泣明かしたに違いない。
その現実を、例えば、私自身に当てはめる勇気が、
私はまだ、持てない・・・
私も自分が子を持つ望みを、まだ捨ててはいないからだ。
いかなる場合でも、私は自分の子を愛します、愛せます!と、
胸を張って言える自分が、悔しい事に、いないからだ・・・
だから、これは日本の向かう姿だろう・・と、うっすらと、ぼんやりと、
しかし強烈に感じてはいても、
私は声に出して言う勇気がない。
それ程に、恐ろしく、悲しい映画だった。
今後、内部被ばくの直接の原因となる、食品や水・飲料に対する基準が厳しくなり、
子供と妊婦、さらに今後次世代を生むであろう女性の身体を第一に考える方向に進んで欲しい。
そして、増大は避けられぬであろう、癌の他、多種多様の病魔に対し、
医療機器や医師の教育等、万全な体制を整えて「その時」に備えて欲しいと切に願う。
もしかしたら、私自身や私の大切な人達も、
何年後、何十年後かに、病に倒れるかもしれない。
自分の事、大切な人の事と重ねて思う程に、
この映画は「真実のもの」として、語りかけてくると思う。
日本で放出された放射能は、世界を、地球をも汚染した。
国境は人間がつくっただけのもの・・
海や空に国境は無い。
ということは、この原発事故の問題は、
私達だけの問題ではないという事も素直に理解でき、
また、頭に入れておくべきだと思う。
命はつながっている・・その言葉通りに。
過酷な運命を背負いながらも、懸命に生きている「チェルノブイリ」の子供達に、
土下座をして謝りたいくらいです。
過ちをまた、犯してしまった国の、1人の人間として・・
本当に、本当に、ごめんなさい。
PS・・
セシウムの検査で値が高く出てしまった、高校生。
大好きな木イチゴのジャムを計測したら、みるみるセシウムの値が上昇した。
「これは食べるのをやめなさい。これを食べる度に君はセシウムを摂取する事になるのだよ」
と先生に言われ、はにかむ笑顔を見せた。
きっと、このジャムを毎日、パンにたっぷりつけて、ほおばっていたのだろうな・・
状況が目に浮かんで、微笑ましくも、辛かった・・
これが、日常が破壊されるという事だ。
そして、本日の映画館、場所は渋谷であったが、
鑑賞者の少ない事もショックであった。
雨にもかかわらず、街にはあんなに沢山の人がいたのに。
この国の関心度はこんなものか・・と思いたくないが、目の当たりにしてしまった。
辛いのは百も承知だが、「知る」という事は、
自分の中で考える事に通じ、やりなおすきっかけになると思う。
そういう意味で、この国の人全てがこの「事実」を知る事も必要だと思っている。
この無残で悲惨な現状を幾つもふまえた上で、包括した上で、
このリスクを背負ってでも、原子力=核を推進しますか?
という問いかけをした時、
私達は、どう答えを出すであろうか・・・
出すべきだろうか。
2011/08/20
2011/08/12
イルカの日
この作品は以前聞いたラジオで紹介されていて、
見るのにはいささか心の準備が必要な作品だと感じていた。
痛烈に悲しい作品だと、冒頭から感じて、苦しかった。
イルカの姿がそれは神々しく、和やかで美しくあるほどに、
悲しく切なかった・・・
これは、イルカの知能の高さと信頼感、「心」そのものを、
私利私欲のために利用しようとする、人間のエゴのおぞましさを描いた作品。
前半の、博士とイルカの、愛に満ちた交流が心を揺さぶるだけに、
後半は胸が締め付けされるように、辛かった。
研究所で産まれたアルファというイルカが、その知能の高さゆえに、
人の言葉を理解し、話し始めた時から、悲劇は始まっていた。
自分の名前を呼ばれて、
けなげに 「ファー!」 と返事をする姿・・
「ファー パパ 大好き」
と言って、博士の足に愛らしくすり寄るアルファの姿・・
恋人のビ―と別れ別れにされ、猛烈に怒りながら、
「ビー 今すぐ かえして」 と、懇願する姿・・
どれも胸に迫る。
人を信頼し、人の言葉を信じるが故に、
暗殺利用目的で誘拐され 、爆弾を装着される姿・・
人はこの時、恋人のビーをも利用する。
恋しい、愛しい、守りたい・・という心そのものを利用しようとする。
そして、最後は人に追われる身となり、
安全の為に、大好きな博士と、永遠の別れをしなければならなくなった。
「ファがいるから パパはいじめられる」と聞かされ、
寂しそうな表情をうかべて、
「 ファー 行く 」と・・
そして、いつまでも、博士を追う姿が、
福島原発事故により、20キロ圏内でやむを得ず置いて行かれた、
かつての犬や猫や牛、馬、鶏などの悲しい姿と重なる・・
イルカだけではなく、私は全ての動物達には「心」があると思っている。
そして、それを信じる人にとっては、
この作品はあまりにも悲しい。
きっと、原発事故により亡くなっていった多くの動物達も、
その死の直前まで、もしかしたらそれ以後も、ずっと、
飼い主さんの事を信じて待っていたのかもしれない。
この映画は映像や音楽が素晴らしいが、
ただそのイルカの魅力=賢さと愛らしさを表現しただけではない。
その無垢で純粋な魅力が、
生物の頂点に立ったかのような奢りと傲慢さで、
権力の為には、何でも利用しようとする人間のおぞましさをより恐ろしく、
増幅させる。
嘘ばかり言う人間に対して、ファーは言う。
「人間 無い事ばかり 言う」
それでも、人を信用し、愛そうとするファーやビ―の姿を、
むしろ、人間が真似し、学ぶべきではないかと思う。
昨今、とある水族館で、イルカが稽古中にジャンプの着地を誤って、
胸を強打し、亡くなったというニュースがあった。
悲しい事故だった・・
狭いプールの中で、人に芸を見せるためだけに産まれてきたわけではないだろうに・・
私はこのような事故が二度と起こらない事を、本当に心から願う。
そして私達は、自分達の私利私欲や娯楽、興味のために、
不必要な命を犠牲にはしていないだろうか・・と
いつも心の中で問うていく必要があると思う。
見るのにはいささか心の準備が必要な作品だと感じていた。
痛烈に悲しい作品だと、冒頭から感じて、苦しかった。
イルカの姿がそれは神々しく、和やかで美しくあるほどに、
悲しく切なかった・・・
これは、イルカの知能の高さと信頼感、「心」そのものを、
私利私欲のために利用しようとする、人間のエゴのおぞましさを描いた作品。
前半の、博士とイルカの、愛に満ちた交流が心を揺さぶるだけに、
後半は胸が締め付けされるように、辛かった。
研究所で産まれたアルファというイルカが、その知能の高さゆえに、
人の言葉を理解し、話し始めた時から、悲劇は始まっていた。
自分の名前を呼ばれて、
けなげに 「ファー!」 と返事をする姿・・
「ファー パパ 大好き」
と言って、博士の足に愛らしくすり寄るアルファの姿・・
恋人のビ―と別れ別れにされ、猛烈に怒りながら、
「ビー 今すぐ かえして」 と、懇願する姿・・
どれも胸に迫る。
人を信頼し、人の言葉を信じるが故に、
暗殺利用目的で誘拐され 、爆弾を装着される姿・・
人はこの時、恋人のビーをも利用する。
恋しい、愛しい、守りたい・・という心そのものを利用しようとする。
そして、最後は人に追われる身となり、
安全の為に、大好きな博士と、永遠の別れをしなければならなくなった。
「ファがいるから パパはいじめられる」と聞かされ、
寂しそうな表情をうかべて、
「 ファー 行く 」と・・
そして、いつまでも、博士を追う姿が、
福島原発事故により、20キロ圏内でやむを得ず置いて行かれた、
かつての犬や猫や牛、馬、鶏などの悲しい姿と重なる・・
イルカだけではなく、私は全ての動物達には「心」があると思っている。
そして、それを信じる人にとっては、
この作品はあまりにも悲しい。
きっと、原発事故により亡くなっていった多くの動物達も、
その死の直前まで、もしかしたらそれ以後も、ずっと、
飼い主さんの事を信じて待っていたのかもしれない。
この映画は映像や音楽が素晴らしいが、
ただそのイルカの魅力=賢さと愛らしさを表現しただけではない。
その無垢で純粋な魅力が、
生物の頂点に立ったかのような奢りと傲慢さで、
権力の為には、何でも利用しようとする人間のおぞましさをより恐ろしく、
増幅させる。
嘘ばかり言う人間に対して、ファーは言う。
「人間 無い事ばかり 言う」
それでも、人を信用し、愛そうとするファーやビ―の姿を、
むしろ、人間が真似し、学ぶべきではないかと思う。
昨今、とある水族館で、イルカが稽古中にジャンプの着地を誤って、
胸を強打し、亡くなったというニュースがあった。
悲しい事故だった・・
狭いプールの中で、人に芸を見せるためだけに産まれてきたわけではないだろうに・・
私はこのような事故が二度と起こらない事を、本当に心から願う。
そして私達は、自分達の私利私欲や娯楽、興味のために、
不必要な命を犠牲にはしていないだろうか・・と
いつも心の中で問うていく必要があると思う。
2011/08/09
アトミックカフェ
映画「アトミックカフェ」を見た。
きっかけは、今年のフジロック。
311以降に発生した原発震災を機に、フジロックで反核を掲げる「アトミックカフェ」が復活した。
フジロックでは開催中の三日間、自然エネルギーで運営されるアバロンステージにて、
有識者のトークショウやアーティストのライブで盛り上がり、
また福島原発や日本の現在の実情について様々な話がなされた。
そこにいた人々はそれぞれ、何かを感じ、想い、核について真剣に考えたのではないだろうか。
「アトミックカフェ」・・1982年に公開された、核兵器に関するドキュメンタリー映画。
冷戦時代の当時、人々がどのように国やメディアによって扇動・洗脳され、
核の時代へと盲進していったかが皮肉をこめて、如実にスクラップされている。
水爆実験の爆発を、「美しい」と豪語する兵士・・
放射能は何ら問題ないといわれて、
不安を抱きながらも爆発実験に間近で参加させられる若い兵士達・・
線量計をつけていたが、一体どれほどの被曝をしたのか。
多分本人達には知らされず、科学者たちの興味深々な眼差しを、
長期に受けたのではないだろうか・・
実験により生成された放射能の危険性を軽視させるような情報の拡散。
近隣の住民には、バスタブで石鹸を踏んでころんだり、
台所で日常おこるような危険性と同程度だから、安心せよというプロパガンダ・・
万が一ハゲても、とりあえずかつらをかぶっておこう。そのうちまた生えてきますよ・等と、
ユーモアを交えて伝える。
そして子供たちへの洗脳。
可愛らしいカメさんが、「ピカっとしたら、すぐ隠れる!いいね!」とにこやかに言う。
そして、避難訓練の様な、被ばく防止訓練の模様・・
(私はこれをみてプルトニウムを飲んでも大丈夫と言っていた、プルトくんを思い出した)
危険な事実をはらむモノは、いつだってまず子供達を抱き込もうとしないだろうか。
世界の平和を守るために、我々の生活・日常を守るために、
「核は必要です!」と言い続ける国とメディア。何かに似てないだろうか。
そう・・・今のこの国そのものに見えてしまう。
「停電が起こるとクーラーが止まり熱中症で死亡するかもしれません。」
「経済が衰退し、日本はこれ以上の繁栄は望めない。私達のこの生活水準も保てない。」
(=だから、原発必要です)
最近まで、TVで嫌という程、耳ににしてはこなかっただろうか。
そして、放射能は、「直ちに影響はありません。」と言われ、
子供は20ミリシーベルトまで安全とされ、
食品の安全性も不確かなまま、
「スピーディ」であるべき放射能拡散予測等、情報公開は一切なされてこなかった。
そして今も煙にまかれたまま、私達は、放射能の霧の中をさ迷っている・・。
連日、NHKなどで、ビキニ環礁の被曝者やロンゲラップ島の住民の証言、
広島・長崎の被爆者の告白や、
チェルノブイリ原発事故被曝者の今も続く過酷な実状が報道されている。
それら点の数々が、この映画で一つの「線」となった。
核=原子力。これは紛れもない事実と思う。
この映画をみて、国民への情報操作の有り様を見ただけでも、それを痛烈に感じる。
そして、今もに似たような事が起きている最中ではないか・とすら思う。
この映画には冒頭に、広島と長崎の原爆投下の映像も出てくる。
第二次世界大戦当時の映像であるから、
私達の立つ位置とは真逆の視点で語られており、
映像や言葉は無残で辛く、思わず目をそらしたくなる。
明日は、長崎の原爆投下の日・・・・・とても複雑な思いで、この映像を見た。
やはり核は人を幸せにはしない・・・
核のある未来に平和は来ないだろうと、猛烈に思う。
今、「チャイナシンドローム」と同様に、多くの人に見てもらいたい映画です。
きっかけは、今年のフジロック。
311以降に発生した原発震災を機に、フジロックで反核を掲げる「アトミックカフェ」が復活した。
フジロックでは開催中の三日間、自然エネルギーで運営されるアバロンステージにて、
有識者のトークショウやアーティストのライブで盛り上がり、
また福島原発や日本の現在の実情について様々な話がなされた。
そこにいた人々はそれぞれ、何かを感じ、想い、核について真剣に考えたのではないだろうか。
「アトミックカフェ」・・1982年に公開された、核兵器に関するドキュメンタリー映画。
冷戦時代の当時、人々がどのように国やメディアによって扇動・洗脳され、
核の時代へと盲進していったかが皮肉をこめて、如実にスクラップされている。
水爆実験の爆発を、「美しい」と豪語する兵士・・
放射能は何ら問題ないといわれて、
不安を抱きながらも爆発実験に間近で参加させられる若い兵士達・・
線量計をつけていたが、一体どれほどの被曝をしたのか。
多分本人達には知らされず、科学者たちの興味深々な眼差しを、
長期に受けたのではないだろうか・・
実験により生成された放射能の危険性を軽視させるような情報の拡散。
近隣の住民には、バスタブで石鹸を踏んでころんだり、
台所で日常おこるような危険性と同程度だから、安心せよというプロパガンダ・・
万が一ハゲても、とりあえずかつらをかぶっておこう。そのうちまた生えてきますよ・等と、
ユーモアを交えて伝える。
そして子供たちへの洗脳。
可愛らしいカメさんが、「ピカっとしたら、すぐ隠れる!いいね!」とにこやかに言う。
そして、避難訓練の様な、被ばく防止訓練の模様・・
(私はこれをみてプルトニウムを飲んでも大丈夫と言っていた、プルトくんを思い出した)
危険な事実をはらむモノは、いつだってまず子供達を抱き込もうとしないだろうか。
世界の平和を守るために、我々の生活・日常を守るために、
「核は必要です!」と言い続ける国とメディア。何かに似てないだろうか。
そう・・・今のこの国そのものに見えてしまう。
「停電が起こるとクーラーが止まり熱中症で死亡するかもしれません。」
「経済が衰退し、日本はこれ以上の繁栄は望めない。私達のこの生活水準も保てない。」
(=だから、原発必要です)
最近まで、TVで嫌という程、耳ににしてはこなかっただろうか。
そして、放射能は、「直ちに影響はありません。」と言われ、
子供は20ミリシーベルトまで安全とされ、
食品の安全性も不確かなまま、
「スピーディ」であるべき放射能拡散予測等、情報公開は一切なされてこなかった。
そして今も煙にまかれたまま、私達は、放射能の霧の中をさ迷っている・・。
連日、NHKなどで、ビキニ環礁の被曝者やロンゲラップ島の住民の証言、
広島・長崎の被爆者の告白や、
チェルノブイリ原発事故被曝者の今も続く過酷な実状が報道されている。
それら点の数々が、この映画で一つの「線」となった。
核=原子力。これは紛れもない事実と思う。
この映画をみて、国民への情報操作の有り様を見ただけでも、それを痛烈に感じる。
そして、今もに似たような事が起きている最中ではないか・とすら思う。
この映画には冒頭に、広島と長崎の原爆投下の映像も出てくる。
第二次世界大戦当時の映像であるから、
私達の立つ位置とは真逆の視点で語られており、
映像や言葉は無残で辛く、思わず目をそらしたくなる。
明日は、長崎の原爆投下の日・・・・・とても複雑な思いで、この映像を見た。
やはり核は人を幸せにはしない・・・
核のある未来に平和は来ないだろうと、猛烈に思う。
今、「チャイナシンドローム」と同様に、多くの人に見てもらいたい映画です。
2011/08/03
わさび 4回目の誕生日
写真は来たばかりの頃の、幼いわさび。
この表情によく釘づけになったものです。
今も、時折、様々な事を中断させる名人(猫)ですが・・。
今月は、わさびの4回目の誕生日。
推定ですが、8月1日にお祝いしています。
私達の家族であり、宝物です。
出会えてよかった!これからも、よろしく。
そして、どうか長生きしてね。。
この表情によく釘づけになったものです。
今も、時折、様々な事を中断させる名人(猫)ですが・・。
今月は、わさびの4回目の誕生日。
推定ですが、8月1日にお祝いしています。
私達の家族であり、宝物です。
出会えてよかった!これからも、よろしく。
そして、どうか長生きしてね。。
夢の中の子供
今週のアエラ「放射能と妊婦の心」を読んで愕然としました。
福島ではすでに、放射能の影響ででるといわれる先天性の異常を懸念して、
せっかく授かった命を中絶している事例もでてきていると・・・
昨今の報道で、日本の人工中絶が増えていると聞きました。
その原因の一つに、妊娠中の検査がより精密になり、
先天性の異常の可能性が、
以前にもまして発見し易くになってきたからだといいます。
非常に悩ましい事態の上に、さらに放射能の不安です。
この国の未来である子供達は、
この世に誕生する以前から、命を脅かされてしまっている・・
あまりにも残酷な現実です。
最近、「子供の夢」をよく見ます。
乳幼児を抱いている夢、幼い女の子の頬を拭う夢・・
一生、子供を持たないだろう・・と思う一方で、
子供が欲しいという潜在的な願望もあるのでしょう。
そして、この放射能に汚染された国にいる限り、
本気で子供が欲しいと思ったとしても、
もう叶わないのではないか、と本能的に感じているのかもしれません。
だからこそ、私の心は充足夢をみる事で、
自分自身を癒そうとしているように感じます。
そんなふうに思うと、
昨日拭った幼い女の子の頬には、
涙がつたっていたのではないかとさえ、
思えてくるのです。
福島ではすでに、放射能の影響ででるといわれる先天性の異常を懸念して、
せっかく授かった命を中絶している事例もでてきていると・・・
昨今の報道で、日本の人工中絶が増えていると聞きました。
その原因の一つに、妊娠中の検査がより精密になり、
先天性の異常の可能性が、
以前にもまして発見し易くになってきたからだといいます。
非常に悩ましい事態の上に、さらに放射能の不安です。
この国の未来である子供達は、
この世に誕生する以前から、命を脅かされてしまっている・・
あまりにも残酷な現実です。
最近、「子供の夢」をよく見ます。
乳幼児を抱いている夢、幼い女の子の頬を拭う夢・・
一生、子供を持たないだろう・・と思う一方で、
子供が欲しいという潜在的な願望もあるのでしょう。
そして、この放射能に汚染された国にいる限り、
本気で子供が欲しいと思ったとしても、
もう叶わないのではないか、と本能的に感じているのかもしれません。
だからこそ、私の心は充足夢をみる事で、
自分自身を癒そうとしているように感じます。
そんなふうに思うと、
昨日拭った幼い女の子の頬には、
涙がつたっていたのではないかとさえ、
思えてくるのです。
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