Kyon {Silence Of Monochrome}

Kyon {Silence Of Monochrome}
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2011/11/11

これは、始まりにすぎない?

311以降・・また、歴史に残る一日だった・・。

野田首相「TPP参加表明に向けて 関係国との協議に入る」
非常に玉虫色の表現だけど、事実上、交渉参加という事だろう。
全身が粟立つ感じがした。

8時台の私のタイムライン上では怒涛の怒りと悲しみの声。声。声・・・
悲鳴にも似た声が絶えまなかった。
一方で、民放各社はスケートやらバラエティやら・・
会見の「か」の字も見当たらず、結局見れたのは9時のNHKニュース。
これでいいのか、日本人。
この関心の低さ、危機感の無さ・・。
街の声で「大半が知らないのでは」という声に、
それはマスメディアの責任も大きいだろうけど、
今や一家一台パソコンを所有する時代、携帯でもネットは見れる・・そのような中でなぜ、
情報を獲得しようとしないのか、大きな疑問を感じる。
特に、3月に発生した原発震災問題や
子供や母親、農家・消費者を苦しめている放射能の問題、
「亡国」「売国」ともいわれ国論を二分しているTPPの問題は、
歴史に残る事件だと言っても過言ではないと思う。
その歴史のまさに真っただ中にいて、
それを自覚できないこと事態に、危機感や焦燥感すら感じる。

「知る」という事は勇気がいる。労力もいる。時間もいる。リテラシーも、ツールも必要だ。
放射能の晩発障害にしかり、TPPの脅威にしかり、
知ると背筋の凍るような内容も多い。
多少の偏向、誇張はあれと理解し、バイアスに注意していても、
ショッキングな内容のものを消化吸収するには、ある程度の許容力が必要だ。
だから、知らないでいた方がよかった事もあると思う。
しらなければ、たとえ放射能の影響で病に倒れたとしても、
疲労や不摂生等という自己責任論で自分に言い訳できるだろうし、
TPPの余波で、失業したとしても、これも運が悪かった・上司が悪い、仕事の内容が嫌いだった等、
またもや自己責任論や他罰的思考で片づけて、終了するのかもしれない。
でも、原発しかりTPPしかり、個人の責任ではかたずけれらない、
さらに大きな力の中で、ただ1%の貪欲な者達の手のひらの上で、
下僕のようにがんじがらめになって、いたぶられているとしたら、どうだろう・・
人権と自己愛に生きる人間にとって、これほど屈辱的なものはないのではないだろうか?
怒りや悲しみ、絶望感すら味わう事になるかもしれない。
知らない方がよかった事は沢山ある。特に、311以降には・・
そして、街にはまだ知らない、興味もない、知ろうともしない人々であふれかえり、
知ったものと知っていないものの溝は深い。それはまた、知った人間にとっては鮮明に見える溝だ。知らない人はそのまま、何も知らないから、溝の存在さえも気付かないかもしれない・・。
知ったものは、孤独とも戦わなくてはならない。分断とも向き合わねばならない。
だから、知ったが損?なのか?
そうは思わない。
幻想やマヤカシの中に生きるより、偽りの笑みの中で過ごすより、
作られた繁栄の中で操られるより・・
真実を知り、自分の認知する「現実」の中に生きていたいと、私は思う。

晩年、ガンに侵され苦しんでいた精神科医のフロイトも言っている。
「鎮痛剤でぼんやりとするなら、痛みのさなかでものを考える方がましだ」と・・。
私はそこまでの度胸も器量もないが、
テレビ等で思考力を骨抜きにされている感がある今こそ、
見習うべき言葉だと思う。