2011/05/31

時々見える星の空

上手く表現できないが、
人の内側にはそれぞれの「宇宙」があると思っている。
それは普段はなかなか見えてこないのだけれど、
ふとした瞬間に、小さな星空や輝く宝石のようなものがみえた時は、
人知れずこっそりと、内心大いに感動していたりする。

どんな人との会話にも、驚くべき発見があり、
様々な人生の旅話は、その人生を経験できない分面白いし勉強になる。
光と闇は表裏一体で、
時々驚いたりもするけれど、
美しい風景もマグマも包括している地球と同じ、
人は絶妙なバランス感覚で生きているからこそ、
輝きが一層に増す気がする。

街で「宇宙」がそれぞれ歩いている、座っている、話している・・と思って眺めていると、
なんだか漆黒の球体が殺伐とした空間をユラユラ舞っているようにも見えてくる。
それぞれが素晴らしい存在なのに、
それに気づかぬまま、忘れられたまま、又は虐げられてしまったまま、
漂っている人達をみると、何とも寂しい気分になり、
私自身も、さ迷う風船の様にもろい存在だと実感する。

それでも、人の心に在る銀河や星空、月や太陽を発見した時は何ともいえず嬉しくなる。
この人も壮大な「宇宙」を内在させていると。
どんな惑星が輝いているのだろうかと。
そう思うと、かなり、理想論すぎるかもしれない・・ が、
人は人をもっと尊び、大切にするのではないかと思う。

人は深い。人生も深い。宇宙の様に果てしない・・

2011/05/22

深層を見て、真相を感じたい

最近は、良い画像や写真をみても「合成したんでしょ」とか、
「よく加工したな」という短絡的な感想も多く聞こえる気がします。
 それを逆手にとって、どちらかのTVでは、
アナログでとった凄いCMの特集などを組んで放映してました。

残念な「スキーマ」が出来上がってしまっていると懸念しています。
「スキーマ」とはある物事や事象ついて、
その人なりの見方についての概念枠組みの事を言いますが、
無意識的で自動思考的でもあり、
物事を表面しか見ずに判断してしまう=偏見につながる危険性を秘めているのでは、と思います。
自分自身そう思い、「スキーマ」の存在を感じ、戒めてもおります。


過去にこの様な事がありました。
とある美術大学の合同展示会に出展したのですが、
そこでいただいたアンケート内容に、「スクリーントーン使っているのが残念」と書かれていました。
とても、ショックでした。
しばらく、憤りと悲しみで立ち直れませんでした。

私の絵はすべて手書きです。
一生懸命、時間をかけて、丹念に描いているのです。
スクリーントーンなど、一切使っていないのに、この様な事を言われては、
もう弁解する気もおこりません。
ましてや、同じ絵画の世界を目指す方に言われたとなっては・・もう・・


表面的な事、うわべだけをみて判断する事の重大さ、そして危険性を痛感しました。
もしかしたら、私も知らないうちにスキーマによって、
偏った見方をし、勝手に判断し、解った気になっているかもしれないとしたら、
それはとんでもない事だと思い、
以上の事は、反面教師として、心に刻んであります。
刻むというよりは、トラウマティックに残存していると言った方が、
的確かもしれませんが。。。

辛い体験でも、いずれは自分の糧になると信じています。
「自分以外は皆師なり」とはよくいったものです。
もう10年以上も前の話なので、今となっては、
そのような心の仕組みを教えてくれた「経験」そのものに感謝すべきなのかもしれません。

2011/05/17

未来への歩みは

チェルノブイリやセミパラチンスク等、
核による被害に関する書籍や写真集をみていると、
共通した思いを抱きます。

どの土地でも、住む人々は質素で素朴で穏やかな生活をしており、
自然と共に歩み暮らし、享楽的社会とは真逆の世界にいる人々です。
広がる田園風景や草原、森林は美しく、
のどかで、花の良い香りがし、子供たちの快活な声が聞こえ、
生き生きと働く人々、そしてコミュニティを想像します。

しかし、目に見えずにおいもない魔の放射能は人々の全てを奪いました。
美しい自然も、新鮮な空気も、人々の絆も、何もかも。

ここ日本で起こっている事も同じです。
美しいものが汚されていく。
慎ましい生活が崩されていく。

都会に住む者として、何とも言えない葛藤と憤りを感じます。
なんで、この薄汚れた享楽的都会が守られて、
美しい土地が汚されていくのか。
福島で生み出されていた電気を湯水のように使っていたのは私達なのに・・・

同じく美しい場所である、井の頭の森を歩いていた時にそう思い悲しくなりました。
悲しくなるだけで何もできない自分が恥ずかしくもありました。

美しいものほど、汚され傷つけられていくのは、
人の心も同じです。
まっすぐに頑張っている人、真面目な人、優しい人が
傷つき、悩み、病んでいくような気がします。

不条理な世界に生きていると感じてしまいます。


短絡的で、享楽的で、自己中心的な考えの塊が、
人を傷つけ、この原発災害をもたらしたシステムを作った、
重要なファクターであったように思えてなりません。

そして今、この時に、原因に気付き、深く考え、反省できれば、
この国の未来は良い方向に向かってくれると・・・・そう思っています。

2011/05/14

知の力

愛猫あずきが4ヶ月で亡くなってしまってから、もう5ヶ月近く経ちますが、
全く悲しみが癒えません。
突然悲しくなったり、とても涙もろくなりました。
これがペットロスか、これは相当に辛いものだと身を持って体験しています。
そして、昨今の地震に、原発問題。
最近も20キロ区域の家畜の処分(処分・・なんて酷い言い方!)が報道され、
傷口に塩をすりこんでいるように、辛い日々が続いています。

最近になって大学で心理学を学び出したのは理由があります。
20歳の時、精神的ストレスを原因に「パニック障害」を発症しました。
別名、不安神経症。心身症の一種です。
電車の中での突然の呼吸困難。そして遠のく意識。
このままでは死ぬというもの凄い恐怖感は、おそらくなった者しかわかりません。
今まで3回救急車で運ばれました。
こうした症状の場合、紙袋などを使って二酸化炭素を吸い、
「大丈夫死なない」と言い聞かせながら安静にしていると、
30分くらいで落ち着くのですが、慣れないうちはコントロールが非常に難しいのです。
私はこの病ともう10年以上付き合っていますが、未だに新幹線や美容院・歯医者など、
すぐに立ち去れない状況が苦手です。
友人に旅行に誘われても断らざるを得ません。
ただ、電車においては急行や快速には乗れるようになってきました。
これは本人にとっては快挙です。
そうして、私はできるだけ自分自身で立ち直れるよう
地道に行動して治癒してきました。

私の周囲でも、ウツや心身症を患っている人は多くいます。
最近はメンタルケアにも気軽に行けるようになってきたので、
だいぶ偏見は薄れてきたと思いますが、
それでも会社の対応などをみてきていると、なまけているとか、扱いが分からない等、
まだまだ理解や認知は低いと感じています。

高校から大学へ進学する時も最初私は心理学科を希望したのですが、
親に猛反対されました。おそらく固有の偏見と思います。
それで第二希望だった社会学科にしたのですが、結局尻切れトンボで終わってしましました。
その反省とリベンジをこめて、意を決して編入したのです。
そして私を含む、他にも苦しんでいる人達の事を少しでも理解し、
すこしでも手伝えることができたら、という思いを携えています。
発症時よりだいぶ良くはなりましたが、
未だにパニック障害に特有の予期不安につきまとわれいている身です。
そして、最近になってやっと友人等にもカミングアウトできたというように、
自分自身が自分を偏見対象にしていたことを大いに反省しております。
なぜなら病気を治癒するのに大切なのは、
まず自分を信じる事、大切に思う事だからです。
そして心と体は密接に繋がっているという事を認識する事も重要です。

昨今の原発震災で、良くない兆候は心身に表れ始めています。
動悸が増え、ちょっと息苦しくなる時が多いです。
東京にいる身ですらPTSDに陥りそうなのですから、
被災地や避難されている方々、放射能を心配する親御さん達、
家畜を処分しなければならない方々、大切な家族を亡くされた方々・・・
を思うと、とくに以前から心身症や精神病を患っている方々は、
相当厳しい状況だろうと思います。

私は今、「知の力」を借りて、
自分自身で出来る事は何だろう・と模索しています。
人を少しでもお手伝いするという点で、
今学んでいる事は、今後、頼もしいツールになってくれると思っています。
若い頃の様にがむしゃらには処理できず、
ノロノロ進行ですが、全く違うのは目的意識、
そして今また再び学べる事に感謝している事です。


ガンジーは言っています。
「善き事はカタツムリの速度で進む」

2011/05/10

言葉と心

人は言葉を手にした瞬間に、
言葉以前の世界は無意識に埋没し、
再びその扉を開く事が困難になるという。

例えば文章の沢山書いてある紙がとじてあるものには、「本」などという名前=言葉がある。

ふわふわした四足のそれには、「犬」や「猫」などという言葉があてはまる。

言葉以前、つまりこれはなんだろう?と疑問を持った時に、
様々な解釈と空想と触感、自分の五感をフル稼働して、
「コレハナニ?」と頭をぐるぐるさせている、
万華鏡のような瞬間ではないかと、私は思っている。

それが、「これは本よ」と言われた瞬間、
「本」という言葉で全てが集約され、
まるで壺の中に、煌めく宝石が一瞬にして吸い取られてしまったかのような、
虚脱感を感じさせる。

無意識に閉ざされた扉は、
多分年齢でいう三歳以前くらいだと思うのだけど、
人の記憶もその年齢以前は思い出すのが困難とされているらしい。
「三つ子の魂100まで」というがそうであれば、
ぜひ開けてみたいものだ。その扉を。
しかし、何が隠れているか解らないし、
言葉で表現できない世界観を、
言葉で支配されているこの頭で理解し統合するのは非常に混乱すると思う。
そして、自分の記憶とはいえ、
パンドラの箱にもなりかねない。

ツイッターを始め、あらためて人の言葉の重要性を感じているが、
言葉では言い表せないものも莫大に孕んでいるのが人の心だ。
言葉1つで表現し理解するには、あまりにも深すぎる世界とも思う。

2011/05/07

Webサイト更新しました。

久々にホームページに作品をアップしました。
Loversに2作品【men/women】、Nostalgiaに1作品 【椿】です。

Twitterも始めました。
今更ながら、『つぶやき』の偉大さを理解しました。

自分がつぶやく事で、自分の内世界が変わり、
人々のつぶやきのおかげで、外世界も変わる。
情報の宝庫、出会いの掛け橋。

様々な出会いに感謝しております。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。