6日夕方、ぐったりとして明らかに弱っているあずきをみて、
もう駄目かもしれないと、連れ合いと極限の緊張状態で病院へ連れて行く。
症状は「脱水症状」だった・・私のミスだ。水を飲ませる量が圧倒的にたりなかった。
もう舌を動かすのもやっとのあずきに、注射器で水やミルクを与えるのが、
正直怖かったというのもあった。
先生が背中から輸液をしてくれると、
それまでぐったりとしていたあずきが、ひょっと一瞬覚めたような顔をした。
明らかに持ち直してくれていた。
私は深い反省と罪悪感とともに、あずきのその様子に少しの安堵をもらい、
その日は帰宅した。
あずきのせなかは輸液でふくらんでいてちょっと太った様に見えた。
これで24時間は大丈夫だという。あとは私達が精一杯お水やミルクを与える事だ。
少なくとも50mlは、必ず。
7日 明日は仕事で一日開けてしまう為、母にあずきをお願いしなければならない。
その為に母と一緒にあずきのお世話の練習をするつもりだった。
母もこれまであずきを可愛がってくれ、一緒に育ててくれた。
昨日のうちに、あずきの看病のための24時間スケジュール表を作り、
きめこまかに、全身全霊で世話をするつもりだった。
必要なものももっとストックをふやして、
出来る事はなんでもやってあげようと思った。
午前はミルクを10mlなんとか飲んでくれた。
ミルクの雫が小さな口に滴ると、舌がかすかに動く。それが救いだった。
午後2時過ぎに母と二人でミルクを与えた。
相変わらずあずきはぐったりとしているが、その時は呼吸が何だかおかしい事に気付いた。
小さくぜぇぜぇといっている。
それでも水分と栄養補給はしてもらわねばならない。
小さな口にミルクを1滴、2滴・・・少しづつでも飲んでくれている。
根気よく、ゆっくりと、気長に、集中して、ミルクを与えていたその時だった。
あずきは突然痙攣のような発作を起こしたかと思うと、
大きく深呼吸をして、それから動かなくなった。
目の眼振もとまっていた。
その時は私も母も気付かなかった。
「なんだろう?」「おかしいね、あずき?あずき?」
それは静かなおとずれだった。
理解した途端に、涙がせきを切って溢れ出た。
悲しかった。寂しかった。
おつかれさま。と声をかけてやりたいが、
まだそんなに、疲れる程、生きていないではないか。
あずきは、病気で苦しむ為に産まれてきたのではないのに、
なぜ、こんなことに・・・
あずきは男の子だったから、
てっきり、5キロもこえる大きな猫になるだろう、と想像していた。
先住のわさびは気難しい猫だが、
このキュートでフレンドリーなあずきならなんとか仲良くやってくれるだろう、
実際、2匹は近づきつつあった・・
そのうち、猫団子も見れるだろうし、
「家族2+2匹」でにぎやかな毎日が、これからもずっと続くのだろうと、
勝手に想像し、楽しみにしていた。
もうそれは叶わない。
儚い夢に終わってしまった。
それよりも、更に辛いのは、あずきの一生がこんなにも、
桜が散るように儚いことだ。
彼は夏に産まれた。
しかし、殆どを寒い秋冬ですごした。
寒い思いばかりさせてしまった。
春の暖かさや、夏の爽やかさを知らないで
逝ってしまった・・・・・・