今まで無関心であったこと。
湯水のように電気を使い、今も依存せざるを得ないことを悲しく思う。
今、まさに歴史の中に私達は佇んでいる。
一番怖いのは「無関心」だ。
すでにテレビは通常にシフトし、何事も無かったかのような番組も流れている。
そうして、また人々は忘れて行くのだろうか。
しかし、今は過去ではなく、現実そのものなのだ。
今この現実がずっと連続している。
そして、事態は刻々と変化している。
どうか、平和な生活が、子供たちに未来ある明日が戻ってきて欲しいと思う。
「無関心」でも「喉元すぎれば熱さを忘れる」でも良くない。
また「過剰反応」でも「敏感」でも「無知」でもいけない。
私達は難しいバランスの中に立たされているが、
今は理性と本能とを上手に組ませて双方の言い分に耳を傾けつつ、
刻々と変化する現実を静かに、細かく見極めて行くことが必要だと思う。