Kyon {Silence Of Monochrome}

Kyon {Silence Of Monochrome}
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2010/09/26

小豆まめ

暑い暑いとうだっていた日々は何処へ?
次の日には、急いでフリースのジャケットを箪笥の奥から引っ張す始末。
ワサビも猫ベットから離れず、これでもかというくらい丸くなって寝ています。

私の生活にも大きな変化が有りました。
それこそ、今年の記録的な酷暑からこの寒さのように、いきなり、突然に。

その小さな黒猫は、薄暗い夜道にほんのり街灯に照らされて、
ヨチヨチとやってきました。
ミャアミャアと小さく、繰り返し鳴きながら、私に向かって歩いてくるように見えました。
そして足元に手を伸ばしながら更に激しく鳴きました。
小さく、ガリガリに痩せた子猫でした。
「一緒にいこうか?」
そう話しかけました。

1か月になるその子猫は、通常あるべき体重の半分程しかなく、
風邪をひいていました。
そしてその虚弱な身体には、無数のノミやダニが・・・。
このか細い身体から、まだ血を吸うのかと思うと、腹が立ってきました。
翌日には病院へ行き、すぐさまノミと回虫の駆除をしました。
それから元気と体力を付ける為に、5時間おきに食事やミルクを与えました。
骨ばった小さすぎる身体を撫でながら、涙が出てきました。

それから約3週間。寝不足を我慢しながら、お世話をしました。
今では元気に飛び回っています。
まだジャンプはできないし、カリカリ御飯も上手く食べれない。
それでも、毎日少しずつ出来る事が増えて行きます。
そんな姿を見ると、本当に励まされます。

名前は「アズキ」と名付けました。
出会った時、真黒くて小さな身体が小豆まめのように見えた事と、
「ワサビ」のツンとした性格とは対照の「あまったれ」だからです。

まだまだ、充分に見守っていかなければなりませんが、
とにかく元気にのびのびと、大きく育ってほしいと思います。
その為に、今日も私は寝不足で、趣味の時間を返上しています。

2010/09/04

夏の困りごと

私の部屋にはエアコンがありません。
毎年のことなので、今年も扇風機で行くつもりでした。
そして、夜になれば涼しさも増し、じっくりと絵を描けるはずなのですが・・

今年の暑さはやはり、何かが違います。
夜になっても気温が下がらず、暑い!
扇風機では追いつきません。
それでも意を決して、首に冷却タオルをまき、
氷水とアイスコーヒーを用意して、扇風機をかけまくり、
部屋を閉め切って描き始めました。

しかし1時間も経たないうちに、頭がボーっとしてきました。
身体の熱が段々とこもってきて、放熱仕切れなくなってきた感じが辛くなり、
クラクラとしてきたので、流石にこれはまずいと思い、
描くことを断念しました。
こんな夏は初めてです。

緻密な作業をしている時は、冬場でも汗が滴り落ちてくるので、
ましてや猛暑が続き夜も気温が下がらない日々、
エアコンの無い部屋で絵を描くのは至難の業となってしまいました。

9月に入り、九という字の持つ、
秋を思い起こさせる涼しげなイメージに少し騙されつつ、
辛抱しながら蒸し風呂のような部屋の中でコツコツ描いております。

描き終えた後に、汗だくで外に出ると、
まるでクーラーのきいた部屋のような爽やかさ。
これならエアコンが無くてもいける!と不思議な錯覚をおこしています。

2010/08/27

共に生きる


ワサビはボランティアさんから譲り受けた猫です。
家に来てもう3年目になりました。
別に換算しなくていいのだけれど、
人間にしてみれば、24才くらいです。
猫は2年目から人間にして4才づつ歳を取っていくそうです。
そうすると、あと3年もしたら、私達を抜いてしまうのか・・と
寂しいような気分にもなり、
このような事はできれば考えない方が良いのでしょう。

可哀そうな野良猫が、病気を患って、すみません、ちょっと休ませて下さい・・
という感じで共に住むことになった子とは違い、
ワサビはお母さんと離れて、遠い遠い道のりををやってきました。
家に着いた時は、それ以前も、ずっと無口で、
この子は鳴けない子なのでは?と思った程でした。
抱くと目をまん丸くして小さく震えて止まらないので、
なにかいけない、悪い事をしているように思い、
申し訳ない気分になったりもしました。

それでも猫の適応力は素晴らしいものです。
運命の享受とでもいいましょうか、
私たちとも2日経たないうちに段々と打ち解けてきて、
可愛い声も聞かせてくれるようになりました。
「外に出たい!!」という我儘も言わず、悪戯もせず、
トイレも初日から失敗なく行えて、本当に良い子が来たと二人で喜びました。
あまりに臆病すぎて、人に懐かないのがたまに傷ですが、
健康でおとなしく、マイペースに過ごす姿に日々安らぎを貰っています。

時々、外にいる野良猫たちが野原を駆け回っている姿を見ると、
それを窓から眺めているワサビに向かって、
「ここにきてよかったのかな?」と問いかけます。
その問いかけに関して、もちろん言葉での返事はありませんが、
小さく鳴いてみたり、尻尾をフラリと振ってみたり、
彼女なりに「まあ、いいんじゃないの?ご飯もまずくないし」
という返答をしているみたいです。

 寿命は消して長くないかもしれないが、
自然の中を自由奔放に歩く野良猫たちを見ると、
本当の幸せはいったい何なのか?
そのような問いかけに自ら迷路に入り込んでしまいます。

自然に生きるとはどういうことなのか?

ワサビ、この子は幸せなのか?

小さな身体をさする度に、そんな思いが私を包みます。

そして、{出来る限りのことはしますから、共に生きて行かせてくださいね}
ワサビに心の中でずっと話しかけていました。

2010/08/18

蝉と蝶

とろとろに溶けてしまいそうな猛暑の日、
いつも通る坂道の真ん中に、蝉が一匹、仰向けになって死んでいました。
羽根も身体も、まだ死んだばかりか、とても綺麗です。
連れ合いが、このままでは車にひかれて潰されてしまうと、
道の脇、涼しげな木の木陰に蝉を移動させました。

「コンクリートの上では、死んでも土に戻れず寂しいものだね」
 そんな言葉を交わしました。

翌日の朝早く、幾分涼しい日でした。
また同じ坂道を上って行くと、小さな猫が一匹向こうからトコトコ歩いてきます。
何か見つけた様子で、それに向かって真っすぐに歩んできます。
猫はあまり食べていない様で、痩せていました。
猫の視線の先には、1匹の蝶。
羽根もボロボロに、それこそ虫の息で必死に草木にしがみつく、黒アゲハでした。
羽根をゆっくりと動かしていますが、もう飛べそうもありません。
しかし、猫もお腹を空かせている為か、
その蝶を懸命にいじくっています。
食べたら中毒をおこしかねない蝶でも、
その猫は食したい程、空腹だったのでしょうか。
私は、その両者が何だか切なく見えて、後ろ髪をひかれる思いで、仕事に向かいました。

その日の夕方、仕事を終えて帰路、その坂道を下る時、
うすぼんやりとした空気の中に、黒いものがヒラヒラと道になびいています。
近寄ってみると、それは朝に出会った瀕死の蝶でした。
羽根は更にボロボロで、見る影も無く、
無残な姿で死んでいました。

このままでは車にひかれたり、ふんずけられて、更に可哀そうだと思い、
その蝶を持ち上げようとすると、なかなか動かない・・。
すでにお腹の一部が少し踏まれていて道にへばり付いています。
それでもなんとか、蝶を持ち上げて、
土のある、小さな木陰に移動させました。

「コンクリートの上では、死んでも土に戻れず寂しいものだね」
先日の会話が、その時、私を突き動かしていました。

せめて土の上なら、他の生き物の栄養となるかもしれないし、
土の栄養となり、新たな植物の糧となるかもしれない。
道路の上で、無残に踏みつぶされ、粉々になり、
行くあても無く吹き飛ばされるより、
遥かに土の上での死は温かく、次の「生」を感じさせるものです。


「無縁社会」と呼ばれる現在、
孤立死を迎える人は、年間3万人以上といわれます。
私ももしかしたら、何十年か後、この蝶のようになってしまうかもしれない。
小さな蝶の死は、やがて来る自分自身の死へと繋がってゆきます。
その時、せめてこのように、土に返れるような死でありたい。
私は蝶を救いたかったわけではなく、
自分自身を救いたかったのかもしれません。

2010/08/12

65年

とても幼い頃、友人と友人のお母さんに連れられて、「はだしのゲン」を見に行きました。
友人は恐ろしさに泣きじゃくり、私も幼心が大きな不安と恐怖に包みこまれたのを覚えています。
同時期に、「ピカドン」という絵本を見て、衝撃も受けました。
何度も読み返して、言い様の無い恐ろしさにかられ、
飛行機が空を通ると、その都度机の下に隠れていたのを思い出します。
戦争体験の無い幼い私でさえ、空想の中でもその恐怖や絶望感は大きく心を揺さぶりましたから、
体験者でおられる方々の心中は、想像を絶します。


「戦後65年」といわれ、この夏は特に戦争体験やその実情を知る機会が多いように感じます。
私の祖父は、今生きていれば100歳を越していますが、
いつも朗らかで優しく、私を一番可愛がってくれた人でした。
ついに戦争の話を聞くことはなく随分前に他界してしまいましたが、
最近になって、古い古い写真が何枚も出てきて、
その中に軍服姿の祖父が銃を持っている写真を発見しました。
茶色く古ぼけたその中で、うっすらと笑みを浮かべている青年は、
紛れも無く祖父でした。
この時、どんな思いで、どんなことを考えながらいたのだろうと、
それをもう聴く事が出来ないことに、寂しさを覚えました。

驚いたのは、私よりも若い人達の中に、
日本が戦争をしていた、という事をしらない人達がいるということです。
幾つもの悲しい事実を繰り返し思い、考えることは容易なことではありませんが、
同じ悲劇を繰り返さない為には、やはり事実を知ることがとても大事な事だと思います。
その為には、私達世代もしっかりと自ら知ろうとし、学ぶことが必要に思います。

と言っても、私自身、そのことに気付いたのが、
恥ずかしながら、ごく最近のことです。
祖父がまだ生きていた頃は、私はまだ20代半ば。アイデンティティもままならず、
自分中心で必死でした。
その時に、軍服姿の若い祖父の姿を目にしても、
それに対して、その時代のことを自ら問うたかといえば、
そんなことすら思い浮かばなかったでしょう。

現在、特にこの夏は、私でも解り易く戦後を知ることのできる特番が多く、
それは大いに学ばせてもらおうと思っています。
しかし、心にある核心は、
あの幼い頃に感じた、恐怖とも不安とも悲しみとも言える、
複雑混沌とした、あの感覚です。
言葉には言い表せぬあの感覚が、
無き祖父や祖母が体験してきた時代の、一種の片鱗ともしシンクロするならば、
私は辛くても、その感覚をしっかりと心に刻み、
それを定期的に繰り返し思うことが大切なことのように思い、
それが大好きだった祖父や祖母との出来なかった「対話」を、
時空を超えて、今しているように思えるのです。