Kyon {Silence Of Monochrome}

Kyon {Silence Of Monochrome}
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2010/01/13

光と影

私が井の頭公園で絵を売っていたのは、10年も前のこと。
当時は焼鳥「いせや」さんの近くの階段付近から、
ハの字になって、色々なアーティストの方々が出展していました。
今は都の方で管理され、私が出展していた時よりも、
とても洗練された印象です。

先日はお天気も良く、久々に訪れた公園は、
家族連れやカップルなどで賑わっていました。

私もお店を見ながら、懐かしさに思いをはせながら、
ぶらりと歩きました。
そして、人を笑顔にする芸術作品はやはりいいものだなぁ、と思いました。
人間には、こういう笑顔が必要なんだと思いました。


私の作品は、どちらかというと笑顔とは真逆の位置にあるように思います。
私自身、描いている時は楽しいのですが、
発想の原点やその着地点は、寂しさや悲しさ、心の闇の部分に行き付くと思います。
インスピレーションも大体そこから来るものです。
悲しい時や辛い時ほど、心の底から湧きあがってくるのです。
そして、この世に生きている以上、これからも一生懸命生き続けていく上で、
描く為の「素材」は、胸の中で枯渇することは無いと思います。

 悲しい時には、悲しい映画や音楽を聴き、
心のデトックスを思いっきりすることが、次の元気につながるように、
絵画にもその時の気持ちに対して、それぞれの役割があると思います。

 夜の画家と呼ばれるルドンや、分裂の画家ムンク、
世紀末の画家ビアズリー、ハリー・クラーク等の描く世界がとても好きです。
マグリットの静かなる狂気の世界は、私の永遠の憧れでもあります。
彼らの絵に出会ったのも20代前半の頃ですが、
それらは皆、 自分を代弁し、
心の中の得体のしれないものを可視化してくれているようでした。
そして、それが自分への理解につながり、
夜から明ける朝の光を見れたような気がします。

絵画は大体において、描く側のカタルシスとなって機能しますが、
それは一線を越えると、他人には理解しがたいものになり、
闇の中へと沈んでいく一方で、
その断片を読み取り、感じた人にとっては、
その人自身のカタルシスにもなりうると思います。
それが、私にとってはムンクであり、ビアズリーであったのだと思います。

私自身、描くことで助けられてきました。
絵が精神浄化の産物といってしまえばそれまでですが、
その1枚がわずかでも、誰かの心象風景とつながってくれれば、
それはとても嬉しいことです。

モノクロームの世界に引き込まれた私にとって、
「夜の画家」への道のりは、とても険しいものがあります。
巨匠と呼ばれる画家達には、その旅路から帰ってこなかった人々が多くいます。
私にそのような勇気はありません。
猫と戯れる時間、家族と過ごす時間、友人と会話を楽しむ時間、スタジオに入る時間、
様々な「太陽の時間」がとても大切です。
しかし、光のさす所に、影は必ずできる。
描き続けていくことは、私にとって、
太陽と月、光と影、朝と夜のように、それらの時間と一対なのだと思います。
そしてそれが自然体なのだとも思います。


最も、マグリットやシャガールのように、陰と陽、二つの要素を巧みに融合させ、
静かに暗示させている絵画もあります。
そのような絵を、私も影の側で思考錯誤しながら、
いつか描くことができれば、と思います。