私が井の頭公園で絵を売っていたのは、10年も前のこと。
当時は焼鳥「いせや」さんの近くの階段付近から、
ハの字になって、色々なアーティストの方々が出展していました。
今は都の方で管理され、私が出展していた時よりも、
とても洗練された印象です。
先日はお天気も良く、久々に訪れた公園は、
家族連れやカップルなどで賑わっていました。
私もお店を見ながら、懐かしさに思いをはせながら、
ぶらりと歩きました。
そして、人を笑顔にする芸術作品はやはりいいものだなぁ、と思いました。
人間には、こういう笑顔が必要なんだと思いました。
私の作品は、どちらかというと笑顔とは真逆の位置にあるように思います。
私自身、描いている時は楽しいのですが、
発想の原点やその着地点は、寂しさや悲しさ、心の闇の部分に行き付くと思います。
インスピレーションも大体そこから来るものです。
悲しい時や辛い時ほど、心の底から湧きあがってくるのです。
そして、この世に生きている以上、これからも一生懸命生き続けていく上で、
描く為の「素材」は、胸の中で枯渇することは無いと思います。
悲しい時には、悲しい映画や音楽を聴き、
心のデトックスを思いっきりすることが、次の元気につながるように、
絵画にもその時の気持ちに対して、それぞれの役割があると思います。
夜の画家と呼ばれるルドンや、分裂の画家ムンク、
世紀末の画家ビアズリー、ハリー・クラーク等の描く世界がとても好きです。
マグリットの静かなる狂気の世界は、私の永遠の憧れでもあります。
彼らの絵に出会ったのも20代前半の頃ですが、
それらは皆、 自分を代弁し、
心の中の得体のしれないものを可視化してくれているようでした。
そして、それが自分への理解につながり、
夜から明ける朝の光を見れたような気がします。
絵画は大体において、描く側のカタルシスとなって機能しますが、
それは一線を越えると、他人には理解しがたいものになり、
闇の中へと沈んでいく一方で、
その断片を読み取り、感じた人にとっては、
その人自身のカタルシスにもなりうると思います。
それが、私にとってはムンクであり、ビアズリーであったのだと思います。
私自身、描くことで助けられてきました。
絵が精神浄化の産物といってしまえばそれまでですが、
その1枚がわずかでも、誰かの心象風景とつながってくれれば、
それはとても嬉しいことです。
モノクロームの世界に引き込まれた私にとって、
「夜の画家」への道のりは、とても険しいものがあります。
巨匠と呼ばれる画家達には、その旅路から帰ってこなかった人々が多くいます。
私にそのような勇気はありません。
猫と戯れる時間、家族と過ごす時間、友人と会話を楽しむ時間、スタジオに入る時間、
様々な「太陽の時間」がとても大切です。
しかし、光のさす所に、影は必ずできる。
描き続けていくことは、私にとって、
太陽と月、光と影、朝と夜のように、それらの時間と一対なのだと思います。
そしてそれが自然体なのだとも思います。
最も、マグリットやシャガールのように、陰と陽、二つの要素を巧みに融合させ、
静かに暗示させている絵画もあります。
そのような絵を、私も影の側で思考錯誤しながら、
いつか描くことができれば、と思います。