猫のワサビはメスなのですが、基本ドライな性格なので、
必要最低限にしか甘えてきません。
飼い主としては少々寂しいのですが、
ご飯が欲しい時と、遊んでほしい時のみニャンと来て、
あとは、別の部屋でゆっくり寝ていたりします。
しかし昨日は寒さのせいか、珍しく私の布団にもぐりこんできました。
めったにあることではありません。
最初ワサビも違和感からか、瞳がランランとしていましたが、
そのうち体勢も崩れてゴロゴロとご機嫌な音を出し始めました。
猫のゴロゴロという音は、子猫がお母さんに、
ここにいるよと教えるために鳴らすものとか、
リラックスしている時、安心している時に出す音だと聞いています。
お腹の近くで聞こえるワサビのゴロゴロは、
温かいよ、安心だよ、と語りかけているように聞こえます。
最近読んだ本の中に、
日本の若者の他者への信頼感が、
低下しているというデータと記事がありました。
人は大体において善良であるという「信頼」が、
薄らいでいるというのです。
それが真実であるなら、とても悲しいことです。
警察や法律の存在や、報道にある数々の残虐な事件を見ると、
性善説が疑わしくなり、
性悪説のほうが信憑性が高くなるような気もしてきますが、
人が人と関係して生きていくのが必然のこの世界で、
人に対する不信感を抱いて、人と温かい関係を築けるかといえば、
それはとても難しいでしょう。
私は以前、財布を3度程落としたことがありましたが、
幸運にも 財布は無事でした。この「幸運にも」と思うこと自体、
私にもある種の不信感があることは否めません。
買い物をしてもレシートはすぐに確かめますし、
実際、打ち間違えがあったり、財布の件でも、
中のお札を抜き取られていたことが1度だけありました。
経験に基ずく自己防衛本能というものに近い感じでしょうか。
生活をしていても、なんだか世知辛い世の中になったなあ 、
と思うことは少なからずあります。
それでも信頼関係が無ければ、
社会は正常に成り立っていかない気がします。
まず自分が身近にいる人々を信頼し、
その気持ちを少しでも具体的に示していくことで、
豊かな信頼関係が築けるのではないか、そしてそれが生まれてほしいと思います。
「正直者が馬鹿をみる」というような、悲しくもある意味真実を伝えていることわざもありますが、
それでも、騙すよりは騙される方がいい、
不信感を抱いて関係するよりは自ら信頼していきたい、と思うのは、
いささか綺麗事すぎるかもしれませんが、
そう願って行動していくことが大事だと思います。
人との会話の中で、具体的にあなたを信頼しています、や、
あなたといると安心です、という言葉はそんなに聞けません。
ですから、たとえ相手が猫であっても、
自分に信頼と安心感を抱いてくれていることを、
ゴロゴロという音で素直に伝えてくれることが、
ただただ嬉しく、感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。
しかしその夜は、ワサビを押し潰してはしまわないかと心配し、
更に、思考の渦巻きにのまれてしまい、
混沌とした中でよく眠れませんでした・・・・・