幼い頃は、祖父母の家で大半を過ごし、
思い出も、祖父母との思い出の方が多く、今でも印象深く脳裏に焼き付いています。
祖母は言ってみれば、私の第二の「お母さん」のような存在でした。
ですから、20歳になっても、25を過ぎても、
ずっと存在しているのが当たり前のように思っていました。
祖母が80歳を過ぎた頃、入退院を繰り返すようになりました。
入院しては退院し、また病院へと戻って行く。
そしてまた病院から戻って来る時は、以前よりも体調は悪く、
精神的な脆さも辛くなる程でした。
当時、私は実家を出る計画を密かに企てていて、
それを話すと、何故か祖母は大粒の涙を流して、祝福してくれたのでした。
それは当時の、心細く後ろめたい気持ちの私にとって、
最大の救いでもありました。
間もなく、祖母は長い入院に入り、
日増しに病状は悪化していきました。
それでも私はまだ、祖母は死なない、という妙な幻想を抱いていましたから、
祖母を元気づけようと、
日舞を踊るのが好きだった祖母の為に、
その踊る姿を模写して、ベットの近くに飾っておきました。
しかし、それを見た祖母は、涙を流しながら、それをしまってくれ、と言います。
見ているのが辛いんだ、と言いました。
私は愕然としました。
自分の想像力の無さに、一気に砕け落ち、
自己嫌悪の津波に襲われたようでした。
その時祖母はもう、ここから戻れないという事を、うっすらと悟っていたのだと思います。
もう踊りは踊れない・・・そんな思いを私は少しもくみ取ることもできず、
祖母が何時でも「上手だね」と褒めてくれた、
その「絵」によって、祖母を傷つけてしまった。
絵を描く事が、この一瞬、意味なく恐ろしく思えたのです。
それから祖母は坂道を転がるように、あっという間に、
逝ってしまいました。
夏も終わりの日、私にとぎれる息で、「アイスを食べな」と言ってくれたのが、
言葉を聞いた最後でした。
絵を描く事は私の喜びです。そして絵によって救われています。
しかし、このとき程、絵を描く事、それ自体に不信感と、
罪悪感と、 後悔の念を感じたことはありません。
その思いは、時々私を支配し、
絵を描く事について、悶々と考える時間が過ぎて行きます。