最近見た映画のセリフに、印象深い言葉がありました。
「鏡文字で、メッセージを残す・・」
私は左利きで、小さい頃は字や箸を右手に直すのに、両親は一苦労していました。
左利きの子を、無理やり直させると、
その子の発育にあまりよい影響が無い・と聞いた事があります。
本当かどうかは解りませんが、私に限って言えば、
その「影響」は無くも無かったと言えるでしょう。
この社会はやはり右利き社会です。
パスモをかざす時も不便ですし、ちょっとしたネジを回す時も、
時には時計の針の回転方向でさえ、私は一歩立ち止まって考えてしまう時があります。
人が描いた円を見れば、右で描いたか左で描いたかは一目瞭然です。
私は絵を左で、字を右で描くのですが、
左で円を描くと、時計の針の回転方向とは必ず逆の方向に円を描くことになります。
私は時々、それを本当の時計の回転方向だと勘違いする時があります。
以前、時計回りに物語が進む絵(時は流れる・・・)を描きましたが、
何を勘違いしたか、見事に時計とは逆の回転で、物語を進めていました。
しかも、描き終えてしばらくたってから気付いたのです。
これは全く個人的な事ですが、左と右の区別もたまに間違う事があり、
右へ曲がるはずが左へ曲がったりすることはしょっちゅうです。
それが左利き、または、それを無理やり直した事と、
直接の関係性は無いと思いますが、
時々やってしまう奇妙な思考と行動を考えると、
私の頭の中は、
常に鏡と向き合っているような状態なのではないかとさえ、思う事もあります。
何をするにも一歩立ち止まって考えてみないと行動できず、
幼い頃から、このノロノロとしたとろい性格に劣等感を持っていました。
それは当時右手を使う事が正しいとされていて、
鉛筆を持つのも、ハサミもお箸も包丁も、
まずきき腕の左手を無視して練習しなければならなかった二重の苦労の、
ある種後遺症のようなものに思えた時もありました。
これはもう少し大人になってから聞いた事ですが、
私を担当してくれていた保母さんが、
「kyonちゃんは人よりちょっとのんびりしているけれど、
そのかわり人の10倍頑張ろうとする子」と言ってくれた・と母から聞いて、
とても救われた思いになったのを覚えています。
その言葉は今でも私を勇気づけてくれています。
さて、左利きの人は鏡文字のかける人が多いと聞きます。
水守アドさんという、とても素敵なイラストレーターの方がいますが、
「クッククック~」といって、
透明なガラスに両手を使ってイラストを描くパフォーマンスを覚えている方も多いと思います。
あれが要するに「鏡文字」を絵に変えて、両手で再現したものです。
ちょっと試してみたら、私も難なく描けました。
簡単なものなら文字も、絵も、左右対称に描けます。
それはちょっとした驚きであり、
たいして役には立たないが、左利きでよかったかも、と思った瞬間でした。
万が一、右手を怪我しても、左で字が書けますし、
悪い事ばかりではない、と今は思っています。
「鏡文字で、メッセージを残す・・」
日記をそのうち、鏡文字で書いてみようかな・・と思ったセリフでした。
小さなメッセージでも、ちょっと神秘的で、未来の自分への謎かけになり、
面白いかもしれません。
出来る事なら、作品として、右手と左手、両手を使って鏡絵に挑戦しても、
また新たな世界が広がるかもしれません。
幼い当時は、皆との違いに悩んだ左利きも、
今は絵を描くためのベストパートナーとして、
私をずっと支えてくれています。