Kyon {Silence Of Monochrome}

Kyon {Silence Of Monochrome}
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2010/03/15

私が幼少の頃、毎日を過ごしていた祖父母の家は10年以上も前に取り壊されました。
その現場は、私にとっては「死」であり、とても直視できるものではありませんでした。
取り壊す前に撮っておいたその家の写真を見て、
何度懐かしみ、寂しい涙を流したか知れません。
だから私は、郷里がしっかりある人が時々とても羨ましく感じます。

祖父母の家に遊びに行く時は、
決まって川沿いの砂利の坂道を、自転車を大きくバウンドさせながら、
心も大きく弾ませて走って向ったものでした。
祖父母の家は、私にとっては宝の山でした。
叔母が大学を卒業して就職した後にその家を去り、
そのまま残された叔母の部屋は、私にとって城のようなものでした。
本好きの叔母が読んでいた沢山の本の山・・
横溝正史や江戸川乱歩、筒井康孝などを好むのは、
そこにあった本の影響です。
そしてお洒落だった叔母の古着も魅力的でした。
毛皮など、もっとお姉さんになったら来てみようと、小学生の自分はとてもワクワクしたものです。

砂壁に赤い電球が1つ灯るだけのその小さな薄暗い部屋は、
夕暮れになると少しひんやりとして、
気温のせいなのか、それとも違う寒気なのか分からない時がありました。
覚えているのは、日がすっかり暮れた頃に、
その寒気に身体がゾクゾクとして途端に恐ろしくなり、
わっと部屋を出た事です。
今思うと、多分、気温の寒気では無かったのでしょう。
それは暑い夏の日でも有りましたから。

それでも、私はその小さな薄暗い部屋が好きでした。
友達と遊ばなくても、両親が働いていて傍にいなくても、
心はすっかり、祖父母とその部屋に満たされていました。


時々、その祖父母宅へ行く途中の砂利道を通る事があります。
家は取り壊され跡形もないのですが、
その道だけは変わらずに存在しています。
目をつむって歩いてみると、その道の曲がった先に、
祖父母宅が出てくるような気がして、
それが叶ったらどんなにか嬉しいだろうと思うのですが、
その道を曲がった瞬時に、心はいつも寂しさで溢れます。

砂利を踏む足音だけが、
今では唯一、当時の感覚を呼び覚ましてくれるものです。
その先には何も無く、ただ虚無だけがあんぐりとその口を開いているだけなのですが、、
それでも私はその道を、どうしても歩きたくなる時があります。

心の目では、何もない空間の中に、
ツルバラが見事に咲く、懐かしい祖父母宅がいつでも見えてくるのです。