時々、思考の渦にのまれそうになる事があります。
情報は、ネットやテレビやラジオや本や雑誌・・・ありとあらゆる様々な媒体から止めどなく発信され、
吸収しすぎた情報が、頭の中で消化不良を起こすのです。
私の頭の中の判断力、仕訳力は、人よりも鈍いと感じる事が多々ありますが、
そんな時は、それらがさらに鈍くなっていると感じ、
雑然とした頭の中に取り残された私が、
やがて思考の渦のようなものに、連れ去られようとするようです。
合わせ鏡をのぞいた時に、いつまでも続く自分の姿・・
それをずっと眺めているようにも感じます。
もし、私が仕事をしていなかったり、友人とも接点がないような生活をしていたら、
やがて、その渦の中に巻き込まれて、溺れ死ぬ事でしょう。
絵や音楽は私にとって無くてはならない大切なものでありますが、
時にその思考の氾濫を助長する役目も持っています。
なので、私とそれらの間には、いつも適度な距離があり、
依存しすぎない事が、私の中でのルールになっています。
整理できない、雑然とした思考の世界・・
その中で本当に重要なものは、ほんの一握りしか無い事を知っているだけに、
その断片を見つけ出そうと焦るのですが、
それがかえって、事を悪くしてしまいます。
自分自身では手に負えなくなったその思考の部屋を、
一緒に片付けてくれるのは、
やはり他者であり、社会であるような気がしています。
また、合わせ鏡の中から抜け出せないで途方にくれている自分を、
その鏡の1枚をひょいっと取り除いて我に返らせてくれるような、
家族や友人の言葉、与えられた毎日の仕事に、
ただ頭が下がる思いです。
時には人間関係に苦しみ、仕事を恨む日もありました。
何の為に働くのか、自分を犠牲にしてまで、人と関係していかなければならないのか、
考えるほど迷宮に迷い込んでしまう事もありました。
しかし、今は、人との関係や、仕事によって社会に必要とされ、
少しでも人の役に立っているという感覚に救われている自分がいます。
何事も依存しすぎず、没頭しすぎず、
しかし無関心で通り過ぎない、思いやりを持った適度な距離間を保つ事で、
よりよい関係がきづけるのだと、
そして、そんな関係の中で人は充実した時間を送れるのだと、
やっと解ってきたような気がします。