Kyon {Silence Of Monochrome}

Kyon {Silence Of Monochrome}
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2011/04/19

チャイナシンドローム

映画「チャイナシンドローム」を見た。
1879年の作品で、奇しくもこの映画放映直後に、スリーマイル島の事故が起きた。

チャイナシンドロームとは、
炉心が溶融すると、その熱が地球の裏側を突き抜けてしまうという大事故を比喩したもの。
今現在、チェルノブイリ7級の事故が自国でおこっており、
連日の報道や会見等で、原子力関係のワードにすっかり慣れている身としては、
非常に解り易く、体験を追随しているようだった。
しかし、この映画は今から32年も前のもの・・
現実が映画を追体験していると言った方が適当かもしれない。

ジェーン・フォンダ演じる敏腕キャスターが、とある原子力発電所のレポートで、
「効率的」を「利己的」と言い間違えるシーンが印象深く、象徴的だった。

重大事故をその撮影中に目撃するが、キャスターはそれを特ダネとし、
午後のニュースで取り上げようとする。しかし、
即座に何者かに圧力をかけられ、その申請は尽く却下され、マスコミは黙殺を図る。

発電所を長年「愛した」室長の内部告発で、
重大事故の露呈が市民に測られるが、とんでもない結末が待っていた。
いささか大げさすぎるともおもったが、今現在がこんな状況にある為、
非現実な結末にも思えない自分がいた。

巨大すぎるエネルギーを制御しきれないのに、飼い慣らしていると勘違いしている人間の愚かさ、
どす黒い利権がらみの人間関係、
そこに光った一筋の愛と「良心」。
それも流れ星となって遥か彼方に消えてしまうのか。
この映画では結論は出なかった。

できることならば、映画「東京原発」と並んで、
ゴールデンタイムのお茶の間に届けて欲しい作品だ。
「原子力」=核の闇の部分を勇敢に懸命に映し出しているだけでなく、
サスペンスとしても見ていて面白いし、引き込まれる内容だった。
しかし、映画の場合はフィクションで終わり、ほっと一安心、現実に戻れるが、
今はフィクションが「現実」だ。

原子力の闇を描いた作品の数々は、
書籍であれ、映画であれ、「とんでも内容」として長く世間一般から黙殺・廃除され、
隠蔽さえされてきたと思うが、
なぜそうされてきたか、何となくわかってきた気がする。
描かれたフィクションが現実となりうる可能性を見事にはらんでいて、
あまりにも危険だったからではないだろうか?
そして周知されたあかつきには、受け手のリテラシーが問われるが、
皆が皆、冷静に判断できるとは言えないから、
それなら見せないほうがましだろうという解釈だろうか。
今も情報を発信する側に、そのような風潮は多く残っている気がする。


鑑賞後、寒々とした悲しみが襲い、怒りと共に混沌としていた。
1人の人間にはあまりにも巨大すぎる闇だ。
闇の中で、一匹の蛍を追いかけているような感じだった。
そしてその蛍すらも、結局は殺されてしまった・・・

それだけは、現実にならぬ様、願っている。